2020年に観た洋画ベストテン。
1・ポン・ジュノ『パラサイト 半地下の家族』(기생충、2019、韓)
2・キム・ギドク(1960-2020)『春夏秋冬そして春』(봄 여름 가을 겨울 그리고 봄、2003、韓独)
4・エレム・クリモフ『炎628』(Иди и смотри、1985、ソ連)
5・ビリー・ワイルダー『フロント・ページ』(The Front Page、1974、米)
6・ジョージ・A・ロメロ『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』(Night of the Living Dead、1968、米)
7・クリント・イーストウッド『リチャード・ジュエル』(Richard Jewell、2019、米)
8・ジョエル&イーサン・コーエン『ノーカントリー』(No Country for Old Men、2007、米)
9・ジョエル・コーエン『ファーゴ』(Fargo、1996、米)
10・スティーヴン・スピルバーグ『激突!』(Duel、1971、米)
1・ポン・ジュノ(봉준호、1969-)『パラサイト 半地下の家族』(기생충、2019、韓)
貧困は現代映画の大きなテーマの一つとなっている。日本の『万引き家族』、イギリスの『わたしは、ダニエル・ブレイク』、アメリカの『ジョーカー』に続き、韓国でも貧困映画の傑作が現れた。
失業中の父と母、それに美大志望の娘と多浪の息子からなるキム家は、アパートの半地下で暮らしていた。息子のギウは名門大学に通う友人の留学中に英語の家庭教師の代理を頼まれる。辿り着いたパク家は大豪邸を構える富裕層であった。家庭教師の高額報酬に目のくらんだキム一家は、弟の絵の家庭教師、運転手、家政婦となってパク家に寄生していく。
経済格差、貧困、男尊女卑、自然災害、北朝鮮問題などをブラックユーモアで描く。どの場面を切り出しても暗示に富んでおり、視点を変えるだけで無限に解釈の可能性がある。
2・キム・ギドク(김기덕、1960-2020)『春夏秋冬そして春』(봄 여름 가을 겨울 그리고 봄、2003、韓独)
いま韓国映画といえばポン・ジュノであろうが、少し前まではキム・ギドクも並び称されていた。韓国にも波及した#MeToo運動の中でギドクはハラスメント告発により韓国映画界から追放される。海外を転々とし、2020年の12月、永住先として考えていたラトビアで新型コロナに罹患し急逝した。
作品と作者は別、といえばそれまでだが、ギドクにおいて作品内の過激さと撮影現場での暴力とはやはり繋がってしまっているとみるべきであり、手放しで称讃するべき作品ではないということについては留保しなければならない。
『春夏秋冬そして春』では、仏教の寺院での四季の移りかわりと若者の成長が淡々と描かれる。春に小動物に残酷な悪戯をしていた少年は、夏に寺を訪れた少女と恋に落ちる。そして季節と人生は巡りゆき……。人間の一生を四季を通して簡潔にまとめ上げている。
ピエタとは、十字架からおろされたキリストを抱いて嘆くマリアを描く聖母子像のことである。
高利貸しのイ・ガンドのもとに、突如いなくなったガンドの母を名乗る女が現れる。債務者からの嫌がらせと思っていたガンドだが、次第に本当の母なのではないかという疑いに駆られていく。
かなり捻りを加えて親子関係を問う作品である。イ・ガンドを演じるイ・ジョンジンがGacktに似ている。
4・エレム・クリモフ(Элем Климов、1933-2003)『炎628』(Иди и смотри、1985、ソ連)
戦争映画の中でもその救い難さで知られている。628とは、独ソ戦中にベラルーシで焼き払われた村の数である。
ドイツ占領下のベラルーシで、フリョーラ少年はパルチザン部隊に憧れ、家族の反対を押し切り志願する。しかしフリョーラに対するドイツ軍の報復攻撃により少年の村は壊滅に至る。
なす術もなく打ち震える村人たちと残虐行為で亢奮するドイツ軍の対比が恐ろしい。
5・ビリー・ワイルダー(Billy Wilder、1906-2002)『フロント・ページ』(The Front Page、1974、米)
ビリー・ワイルダーの作品は全て観たいところであるが、『翼よ!あれがパリの灯だ』『ワン・ツー・スリー』『悲愁』など、少なからぬ作品があまりDVDが出回っておらずなかなか観られない。たまたま観る機会があった後期の作品『フロント・ページ』は、やはりワイルダーらしい面白さに溢れていた。
結婚を機に新聞記者を辞めて新天地に行こうとしているヒルディ(ジャック・レモン)は編集長から最後の仕事に、死刑囚最後の日のインタビュー記事を任される。適当に仕上げて早くハネムーンに行くつもりであったヒルディであったが、死刑囚の脱走事件がおこり…。
同じ原作で1940年代にもハワード・ホークスが『ヒズ・ガール・フライデー』を手掛けているが、ワイルダー版では緻密な構成の中でもドタバタっぷりが目立つ。さらに従来のワイルダーの古典的コメディタッチに、当時のアメリカン・ニューシネマの影響と思しきタッチも足されている。
6・ジョージ・A・ロメロ(George A. Romero、1940-2017)『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』(Night of the Living Dead、1968、米)
ゾンビ映画はこれまで、核戦争、差別、経済格差、環境破壊など様々なアナロジーで語られてきた。新型コロナのパンデミックはまさにゾンビ映画の典型を辿っていった。はじめにあった楽観論は消え失せ、長い潜伏期間によって安全な地帯に広まっていき、貧困層は閉じこもることができずあえて外に出ざるを得ない。そして現実の人間は、映画の中だけと思っていた馬鹿げた行動をしょっちゅう起こすものだったのである。
ハイチの民間信仰であったゾンビを近代化して世界中に拡散したのがジョージ・A・ロメロであった。ロメロ以前にもゾンビが出てくる映画はあったが、1968年発表の初監督作品『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』と1978年の『ゾンビ』によって、ゾンビ映画というジャンルを確立した。
父の墓地を訪れていた兄妹のところに、怪しい男が近づいてきて兄に襲いかかる。これがロメロの映画で初めて登場するゾンビなのであるが、動きが俊敏なので今からみると意表を突かれる。また、この映画内ではゾンビという言葉は使われておらず、グールと呼ばれている。
辛くも男から逃げ切った妹は森の中の一軒家にたどり着くが、その周りにもゾンビが集まっていく。その家に逃れていた他の人々と今後の処置については話し合うものの、意見が対立しあい状況は悪化する一方であった。
陰鬱な結末は2020年のアメリカで起こったもう一つの社会問題にもつながっている。
7・クリント・イーストウッド(Clint Eastwood、1930-)『リチャード・ジュエル』(Richard Jewell、2019、米)
1996年のアトランタオリンピックにおいて爆発物を発見し多くの命を救ったにもかかわらず容疑者として逮捕された実在の警備員リチャード・ジュエルを題材にしている。
ポール・ウォルター・ハウザー演じるリチャード・ジュエルであるが、正直なところ真っ先に疑われるようなパーソナリティに満ちている。巨体、政治的タカ派、マザコン、そして英雄願望など……。それでもFBIとメディアの攻勢の中で耐え続けるジュエルと、彼を支える母とかつての職場で気に入られていた弁護士(サム・ロックウェル)とによる奮闘が心に残る。
ところで本作は封切りで観るのは見送った。というのもジュエルを追い詰める女性記者の描写が物議を醸していたのが気がかりであったからである。実在した女性記者をモデルにしており、所属していた地元新聞社は、映画内での傲慢な態度、F B I捜査官への枕営業を示唆するような描写に対して、イーストウッドとワーナー・ブラザースに抗議した。実際に映画で観てみると、イーストウッドのジェンダーのステレオタイプが古臭いままなのに辟易するとともに、当時の新聞社も圧倒的な男性社会であり、女性が対等に評価されるには男性以上に傲慢にスクープを飛ばさざるを得ないのだという悲愴感も溢れていたように思える(モデルとなった女性記者はリチャード・ジュエル事件の誤報で叩かれたことを遠因に後年オーバードーズで自殺している)。
8・ジョエル&イーサン・コーエン(Joel & Ethan Cohen、1954-/1957-)『ノーカントリー』(No Country for Old Men、2007、米)
コーマック・マッカーシーの原作をもとに、麻薬取引の金をたまたま見つけたヴェトナム帰還兵の男と、彼を執拗に追う殺し屋(ハビエル・ハルデム)を描く。
最初は殺し屋役のハビエル・ハルデムの残虐さが際立つが、常人には理解できないがそれでも聴いているうちに筋が通っているような気もする彼の仕事の信条が癖になっていく。
9・ジョエル・コーエン『ファーゴ』(Fargo、1996、米)
借金を抱えた男は、金持ちの義父から金を巻き上げるため、妻の狂言誘拐を思いついた。しかし誘拐を担当したチンピラ二人組が警察の職務質問を受けたところからシナリオが狂っていく。
暴力的な展開にもかかわらず、間が抜けていてシュールである。
10・スティーヴン・スピルバーグ(Steven Spielberg、1946-)『激突!』(Duel、1971、米)
スピルバーグのデビュー作となったビデオ映画で、後年のスペクタクル大作とは異なる非常にシンプルなつくりである。
とあるセールスマンはのろのろ運転のタンクローリーを追い越したために、執拗に煽られ続ける。運転手の顔が最後までわからないのが怖い。