Дама с Рилаккумой

または私は如何にして心配するのを止めてリラックマを愛するようになったか

2017年に観た映画のベストテン

2017年に観た映画のベストテン。

(洋画)
1・クリント・イーストウッドハドソン川の奇跡』(2016、米)
2・クリント・イーストウッド硫黄島からの手紙』(2006、米)
3・クリント・イーストウッドグラン・トリノ』(2008、米)
4・フリッツ・ラング『怪人マブゼ博士(マブゼ博士の遺言)』(1933、独)
5・フリッツ・ラングブルー・ガーディニア』(1953、米)
6・ビリー・ワイルダーお熱いのがお好き』(1959、米)
7・ビリー・ワイルダー第十七捕虜収容所』(1953、米)
8・ウディ・アレンミッドナイト・イン・パリ』(2011、米)
9・ウディ・アレンおいしい生活』(2000、米)
10・ジム・ジャームッシュ『コーヒー&シガレッツ』(2003、米)

(邦画)
1・北野武キッズ・リターン』(1996)
2・北野武その男、凶暴につき』(1989)
3・北野武3-4X10月』(1990)
4・北野武あの夏、いちばん静かな海。』(1991)
5・北野武ソナチネ』(1993)
6・北野武HANA-BI』(1998)
7・周防正行それでもボクはやってない』(2007)
8・佐藤純彌新幹線大爆破』(1975)
9・若松孝二実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』(2003)
10・深作欣二復活の日』(1980)

1・クリント・イーストウッド(1930生)『ハドソン川の奇跡』(2016、米)
 近年のイーストウッド映画作家や芸術家というよりも職人を思わせる。『ハドソン川の奇跡』は特に簡勁を極めている。日本でも話題になった2009年のUSエアウェイズ1549便のバードストライクによる不時着水を題材にしている。一人の死傷者も出さなかったサレンバーガー機長(トム・ハンクス)は事故調査において、着水は危険であった、空港に引き返すべきであったと厳しく追窮される。
 若干90分余で素晴らしい人間が完璧に彫琢されている。

2・クリント・イーストウッド硫黄島からの手紙』(2006、米)
 イーストウッドが『父親たちの星条旗』(2006、米)製作中に、日本側の視点にたった映画を製作したくなったために撮影された。音楽は監督の長男でジャズベーシストのカイル・イーストウッド
断絶を強く意識させる。硫黄島と本土の連絡は遮断され、兵士と家族を結ぶ手紙は届くことはない。そして作戦を指揮した栗林忠道中将(渡辺謙)は米国滞在経験もある親米派であった。アメリカを知っていたからこそ、塹壕作戦で米軍を地獄に陥れることとなった。中将がアメリカとの繋がりを取り戻す機会は訪れることはなかった。
 出色は一等兵・西郷役の二宮和也だ。パン屋の仕事は憲兵に潰され、応召後は上官の理不尽にうんざりしている西郷は無気力に陥り、日本の負けを望むようなことも呟く。しかし人格者である栗林中将とのわずかなふれあいの中で、徐々に希望を見出して行く。無気力さの難しい演技もさることながら、そこからの立ち直りが全く胡散臭くない。

3・クリント・イーストウッドグラン・トリノ』(2008、米)
 偏屈な老人(イーストウッド)とモン族との交流を描く。アメリカの光が強く照らされているからこそ底知れぬ闇も見えてくる。

4・フリッツ・ラング(1890-1976)『怪人マブゼ博士(マブゼ博士の遺言)』(1933、独)
 公開の1933年にヒトラーが政権を掌握した。『怪人マブゼ博士』はドイツ国内で上映禁止となる。ラングは宣伝相ゲッベルスからナチスプロパガンダ映画製作を期待されたが亡命を選ぶ。『怪人マブゼ博士』には直接的な関係はないが、ナチス時代を予感させる。
 前篇はサイレント映画ドクトル・マブゼ』(1922、独)である。前作で催眠術を駆使し金融犯罪を企てていたマブゼ博士は発狂し、精神病院に入れられ、世間の人々は博士を忘れ去っていた。彼は独房で意味不明の走り書きを記し続けていた。そんな中、目的が不明の不穏な完全犯罪が企てられていることを警察が察知する。これほどの完璧な犯罪計画を仕立て上げられる頭脳を持つのは、マブゼ博士しか存在しないはずであった。
 謎の多いシナリオ、人間の異常心理、グロテスクな視聴覚表現は、ドイツ表現主義の極北である。

5・フリッツ・ラングブルー・ガーディニア』(1953、米)
 ドイツから亡命したラングはアメリカへ渡り、反ナチスプロパガンダ映画やフィルム・ノワール、B級低予算映画を監督し、視力悪化のため1960年に引退した。ゴダールの『軽蔑』(1965)では本人役で出演している。
ブルー・ガーディニア』はフィルム・ノワールの雰囲気を漂わせながらも、心温まる。電話交換手ノーラ(アン・バクスター)は朝鮮戦争出兵中の恋人から手紙で他の女との結婚を告げられる。傷心したノーラはバーで酒を煽るが、そこに画家のハリー(レイモンド・バー)が言い寄ってくる。ハリーの勧めるカクテル「ポリネシアン・パール・ダイヴァー」を飲んでいるうちにノーラは意識が遠のいていく(このカクテルはタランティーノ『ジャンゴ 繋がれざる者』(2012、米)にも出てくる)。
 ハリーはノーラを自宅に連れ帰り、乱暴しようとする。我に返ったノーラは火かき棒を無我夢中で振り上げるも意識を失う。目醒めたときには男は死んでいた。自分が殺したという疑惑にとらわれながら、彼女は新聞記者(リチャード・コンテ)に無実を訴え助けを求めようとする。当時の女性を取り巻く偏見、報道批判を交えた、サスペンスフルな上質の人間ドラマとなっている。バーで『ブルー・ガーディニア』を歌うジャズ・ピアニストのナット・キング・コールが憎い演出だ。

6・ビリー・ワイルダー(1906-2002)『お熱いのがお好き』(1959、米)

(ネタバレあり)

 マリリン・モンローの紹介の時には必ず流れる"I wanna be loved by you"が有名なコメディ映画。
禁酒法時代のシカゴはマフィアが跋扈していた。サックス奏者のジョー(トニー・カーティス)とベース奏者のジェリー(ジャック・レモン)は暗殺現場に居合わせてしまったために追われる身となる。シカゴを離れるにはフロリダに向かうジャズバンドの欠員に応募するしか方法がなかったが、それは女性限定であった。仕方なく二人は女装して入団する。
 楽団内でジョーは歌手のシュガー(モンロー)に惹かれる。一方のジェリーは大富豪の男オズグッド3世(ジョー・E・ブラウン)に一目惚れされてしまう。ジョーはロイヤルダッチシェル石油の御曹司に変装して、シュガーにアプローチする作戦をとる。結局ジョーは女装をやめて、二人は男女として「正常に」結ばれる。
 かたやジェリーはオズグッドに求婚される。財産目当てのジェリーも満更ではなかったが、本当の結婚は気がひける。オズグッドに結婚できない理由を並べたてる。「本当は金髪じゃないの」「構わん」「タバコを吸うわ」「気にしないよ」「実は男とずっと同居してたのよ!」「許すよ」「私、子供が産めないの!」「養子をもらおう」「ああ、分かって……(カツラをとって)俺は男だ」それに対してオズグッドは平然と「まあ、完璧な人間なんていないよ」と言ってのける。いつの間にか同性であることも、諸々のちょっとした欠点の一つとして片付けられている。コメディとはいえ、当時としてはここまで大胆にホモセクシュアルな関係を描いたことにワイルダーの凄さを感じる。ハリウッド映画屈指の名台詞・脚本であるとともに、現代のクィア批評からしても興味深い作品である。

7・ビリー・ワイルダー第十七捕虜収容所』(1953、米)
 第二次大戦末期のドイツにあったアメリカ人捕虜収容所が舞台だ。アメリカ人たちは収容所内で脱走の手助けなどを計画していたが、ドイツ側に情報が流れていた。皆がこの中にナチスのスパイがいると信じ、ドイツ人相手に商売をして飄々と儲けているセフトン(ウィリアム・ホールデン)に疑いの目を向ける。
 ワイルダーは親族をアウシュヴィッツで殺されている。それにも関わらず収容所のナチスはコミカルであり、アメリカ人とも掛け合っている。その様子が無駄のない脚本で描かれる。

8・ウディ・アレン(1935生)『ミッドナイト・イン・パリ』(2011、米)
 脚本家で小説家志望のジル(オーウェン・ウィルソン)は、婚約者と義理の両親とともにパリへ旅行する。義父といまいち相性が合わないジルは真夜中、酔っ払っていたところ、アンティークカーに乗せられる。着いたのは1920年代のパリであった。
 アーネスト・ヘミングウェイスコット・フィッツジェラルドガートルード・スタインコール・ポータールイス・ブニュエルパブロ・ピカソたちにまみえるのは文化好きの夢である。さらにジルはヘミングウェイに小説のアドバイスもしてもらう。ヘミングウェイの指摘の鋭さに思わず唸る。

9・ウディ・アレンおいしい生活』(2000、米)
 ウディ・アレンは基本的に一年に一作のペースで監督しているが、だいたい不入りである。『ミッドナイト・イン・パリ』は例外中の例外だ。『おいしい生活』も数多い失敗作の一つとされる。邦題は、ウディを起用した西武百貨店のキャッチコピーにちなむものだろう。
 ムショ帰りのレイ(ウディ・アレン)はまた仲間達と銀行強盗を企てる。トンネルを掘るかたわら、偽装工作のために妻(トレイシー・ウルマン)にクッキー屋をオープンさせるが、それが大繁盛してしまう。夫妻は製菓会社を興して大富豪となるが、妻は上流階級との文化的格差に愕然とし、必死で財産に見合った教養を身につけようとする。夫はそれについていくことができず、距離が生まれる。
 夫妻の豪邸の内装は最初、夫の意向で金ピカになっているが、妻は成金趣味だとして青を基調としたデザインに変えようとする。この二人の感覚で思い出すのが、ホワイトハウスのカーテンを真紅にしていたオバマと、入居時にそれを金ピカに変えたトランプである。
 過去の庶民的生活を懐かしむウディはこう嘯く。「教養や名声がなんだ、俺はコーラが飲めればそれでいいんだ」大多数のアメリカ人の偽らざる心情という気がする。

10・ジム・ジャームッシュ(1953生)『コーヒー&シガレッツ』(2003、米)
 新作の『パターソン』(2016、米独仏)も良かったが、やはりジャームッシュはモノクロ映画が至高である。コーヒーと煙草で雑談する11エピソードをまとめただけなのだが、ミニマリズムがクセになる。ロベルト・ベニーニビル・マーレイといった名優、イギー・ポップトム・ウェイツといったミュージシャン、それにコーヒーの黒、煙草の白が絶妙なコントラストをなしている。

1・北野武(1947生)『キッズ・リターン』(1996)
 北野映画には「きれいはきたない、きたないはきれい」という撞着語法がよく似合う。社会的によしとされる人間達から滲み出る凡庸さ、処世術にうんざりしてしまう。一方で、どうしようもなく愚劣な人間が一瞬放つ美しさが永遠に忘れられない。
 落ちこぼれ高校生のマサル金子賢)とシンジ(安藤政信)はカツアゲと酒、煙草に明け暮れ、退学寸前になっていた。そんな中、マサルはボクサーにカツアゲの仕返しをされる。落ち込んだマサルは弟分のシンジも誘い、ボクシングジムに通い始める。
素質があったのは誘われたシンジの方であった。シンジは快進撃を続け、プロを目指す。一方のマサルはジムを辞め、ラーメン店で知り合ったやくざの組に入っていた。
 才能のない若者を描く残酷さは容赦ない。それでいてなぜか清涼感がある。

2・北野武その男、凶暴につき』(1989)
 監督デビュー作。スケジュール上の都合で降板した深作欣二に代わり、主演とともに急遽監督を引き受けた。この偶然がなければ、監督としての才能は埋もれたままであっただろう(俳優としては『戦場のメリークリスマス』などですでに評価されていた)。
 冒頭の数分で、武がほぼ完全に作家性を確立していることがわかる。少年達の陰湿なホームレス狩り、少年の家に乗り込み暴力で自白を強要する吾妻(ビートたけし)。そして全篇にわたり延々と続く吾妻の歩行シーンが映画の性格を規定している。ただし本人は、尺が足りなかったから歩いただけだよ、と言い訳している。
 警察署の上層部から疎まれている暴力刑事の吾妻(ビートたけし)は、麻薬の密売を追窮するうちに、警察から横流しされていることに気付く。絵画を思わせるフィックスと長回し、叙情的シーンから唐突に湧き出る暴力が吾妻の孤独な闘いと生き方を表現している。のちの北野映画では久石譲の音楽が用いられるが、本作ではエリック・サティの音楽が用いられ、不穏な雰囲気を醸し出している。

3・北野武3-4X10月(さんたいよんえっくすじゅうがつ)』(1990)
 草野球チームに所属している万年ベンチの雅樹(小野昌彦、柳ユーレイ)は、勤務先のガソリンスタンドでやくざに因縁をつけられる。復讐のために野球チームの和男(飯塚実、ダンカン)とともに拳銃を求めに沖縄へと向かう。
 野球メンバーがたけし軍団というのもあってか、どことなくユーモラスな雰囲気が出ている。だが絶望がユーモアを押し殺してしまう。

4・北野武あの夏、いちばん静かな海。』(1991)
 北野映画は台詞が少ない。この作品に至っては主人公の二人は一言も発することはない。勘のいい人ならばどういうことかすぐ気付くのだろうが、うっかりしていると理由が明言される中盤まで奇異な感覚に囚われる。ある種のサイレント映画となっている。
 ゴミ収集業者で働く茂(真木蔵人)は、ゴミ捨て場で見つけたサーフボードに惹かれ、独学でサーフィンを始める。恋人の貴子(大島弘子)が砂浜からそれを見守る。世界は二人に対してそれほど優しくはないのだが、美しい。

5・北野武ソナチネ』(1993)
 ゴダールの『気狂いピエロ』(1965)の影響を受けた作品。パリから南仏へ逃避行に赴いたアンナ・カリーナジャン=ポール・ベルモンドのように、東京のやくざ達が沖縄へと南下する。
 東京の暴力団北島組傘下の村川組組長(ビートたけし)は、沖縄の暴力団との抗争を手打ちにすることを頼まれ、組員とともに沖縄へと向かう。抗争は想像を絶する激しさであり、市街から離れた海辺の隠れ家に潜伏することとなる。やくざ達は暇を持て余し、これまでの血で血を洗う抗争から一転、童心に戻って遊びを満喫する。
 暴力と遊びの落差が異様な印象を与える。海辺ではしゃぐたけしが時折見せる真顔のアップは死相にも感じられる。翌年、武はオートバイ事故で生死をさまよう。顔面麻痺が残るなか行われた退院会見では手首に数珠を巻いていた。原節子から贈られたものである。

6・北野武HANA-BI』(1998)
 同僚刑事を殺した犯人に対して怒りに任せて銃を乱射したことにより(おそらく)懲戒免職となった西(ビートたけし)は破滅へと突き進む。それは娘を亡くし、自らも余命幾ばくもない妻(岸本加世子)を喜ばすためであった。
 破滅へ向かうかたわら西は、下半身不随となり妻子に去られた元同僚の堀部(大杉漣)が絵を描くことを手助けしていた。堀部は次第に芸術に目覚めていく。西と堀部はオートバイ事故後の武の相反する自画像となっている。

7・周防正行(1956生)『それでもボクはやってない』(2007)
 痴漢の疑いを掛けられたフリーターの青年(加瀬亮)が容疑の否認を貫いてから、裁判の判決に至るまでを描き、日本の刑事司法の問題を抉っている。痴漢冤罪というと粗暴な言説が飛び交いがちだが、本作は丁寧に作られている。

8・佐藤純彌(1932生)『新幹線大爆破』(1975)
 新幹線が時速80キロに落ちると稼動する爆弾を仕掛けたというアイデアですでにこの映画は決まっている。
 国鉄の運転指令室長は宇津井健国鉄総裁は志村喬、警察には丹波哲郎、爆弾を仕掛けられたひかり109号の運転手は千葉真一(救援に向かう新幹線の運転手は弟の矢吹二朗)、そして主犯は高倉健という恐ろしいキャストだ。
 新幹線に爆弾を仕掛けたことを証明するために高倉健は、新幹線とは対照的な夕張の炭鉱汽車を爆破する。また、三人の犯人が零細町工場の元経営者、左翼学生崩れ、沖縄からの集団就職者であること、乗客救出と犯人逮捕の優劣をめぐる国鉄と警察の対立といった社会批判的要素もあるものの、乗客のパニック、国鉄技術者の苦闘、警察の知力を尽くした全国捜査、犯人との駆け引きといったサスペンスで十分に娯楽映画として楽しめる。
 監督の佐藤純彌(『新幹線大爆破』のタイトルクレジットでは佐藤純弥)は東大仏文科卒。兄はロシア語学者の佐藤純一・東大名誉教授。現在『キネマ旬報』にて回顧談『映画(シネマ)よ憤怒の河を渉れ』を連載中。

9・若松孝二(1936-2012)『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)』(2003)
 あさま山荘事件に至るまでの連合赤軍兵士達の同志連続リンチ事件を描く。左翼シンパであったからこその痛烈な批判である。

10・深作欣二(1930-2003)『復活の日』(1980)
 興行的には大ヒットしながらも批評家からは酷評された。それに落ち込んだのか、プロデューサーの角川春樹は大作路線からアイドル路線へと転換した。突っ込みどころは多々あるが、これほどの破格のスケールで展開される日本映画は存在しないだろう。
 東ドイツの手に渡った生物兵器MM-88が手違いにより空気中へ放出され、世界中の生命は壊滅した。残されたのはウイルスの活動できない極寒の南極基地の人間達だけであった。黙示録的な世界観を貫くのは人類文明への問いである。原作は小松左京