Дама с Рилаккумой

または私は如何にして心配するのを止めてリラックマを愛するようになったか

2018年に観た洋画ベストテン

2018年に観た洋画ベストテン。

1・クリント・イーストウッド15時17分、パリ行き』(2018、米)
2・クリント・イーストウッドトゥルー・クライム』(1999、米)
3・ビリー・ワイルダー『情婦』(1957、米)
4・ビリー・ワイルダー『ねえ! キスしてよ』(1964、米)
5・ビリー・ワイルダー『地獄の英雄』(1951、米)
6・ビリー・ワイルダー『あなただけ今晩は』(1963、米)
7・アキ・カウリスマキ希望のかなた』(2017、フィンランド・独)
8・ジム・ジャームッシュ『ミステリー・トレイン』(1989、米・日)
9・セルジオ・レオーネ『続・夕陽のガンマン 地獄の決斗』(1966、伊)
10・フリッツ・ラング『激怒』(1936、米)

1・クリント・イーストウッド(Clint Eastwood, 1930¬–)『15時17分、パリ行き』(The 15:17 to Paris、2018、米)
 2015年に発生したアムステルダム発パリ行きの高速鉄道におけるイスラーム過激派による銃乱射事件で、死者を出す前に犯人を取り押さえた三人のアメリカ人、スペンサー・ストーン、アレク・スカラトス、アンソニー・サドラーの生い立ちから、ヨーロッパ旅行、そして事件に至るまでを描く。一般的な伝記映画のように思えるが、この映画は非常に奇妙である。というのも、この三人を演じているのが本人達だからだ。さらにこの三人だけでなく、居合わせた乗客、乗務員、警察を演じるのもほとんどが実際に事件に居合わせた人々であり、撮影した車輌も実際に事件が起きた車輌を調達している。事件から数年の期間を経た当事者たちが本人役として当時のことを演じることによる虚構と現実の混淆、反覆の中に含まれる微妙な差異が効果を生み出している。
 スペンサーとアレクはシングルマザーの家庭に生まれ育ち、教師や生徒達から母子家庭の子として偏見を持たれていることに反撥して生活指導を繰り返されていた。そのうちに学校随一の問題児として度々校長室に呼び出されていたアンソニーと仲良くなる。
 学校を卒業後も3人の交流は続くが物理的には離れ離れとなる。特にスペンサーの人生は失敗続きであった。空軍に入隊した彼はエリート集団であるパラレスキュー部隊を志願するも、認定試験の最後にある立体視力の検査で異常が見つかり、第二志望に回される。そこの集団生活でトラブルを多発させ、救護班に回される。
 大人になった3人は長期休暇を取り、ヨーロッパ旅行へと向かう。そしてアムステルダムからパリに向かう途中で事件に遭遇する。この事件の顚末は映画の中ではほんのわずかを占めるに過ぎないが、これまでの3人の人生、経験の全てが一瞬にして試される場面となっている。スペンサーの度重なる挫折経験、不本意な人生選択も、無駄ではなかったことがここで明らかとなる(ジェフリー・E・スターンによってまとめられた原作のノンフィクション(田口俊樹・不二淑子訳、ハヤカワ文庫NF)では、この三人の少年時代だけでなく、「第四の少年」として実行犯であるアイユーブの少年時代も紹介されている。アイユーブはモロッコの貧困家庭の生活から抜け出すためヨーロッパに向かうも、差別に直面して過激派の思想に染まっていく。シャルリー・エブド襲撃事件を受けたフランスの世論が言論の自由ばかりを主張し、イスラームに対する侮辱の問題については一顧だにされなかったことに激怒してアイユーブは犯行に至ったという。しかしイーストウッドの映画ではアイユーブの生い立ちに関しては全く触れられていない。反テロリズム、反イスラームを標榜するのではなく3人の個人的な運命に焦点を当てることが目的とはいえ、欧米中心主義的な見方を内包していることは十分に注意されなければいけない)。
 宗教的とも言うべき人生観、運命観を標榜している映画であるが、3人の行動の最後の一押しをしているのは、高尚な概念・経験などではなく、実はインスタグラムである。アンソニーはインスタグラムにはまっており、ヨーロッパ旅行中もセルフィーを駆使してスマホに写真を取り溜めて、それをしょっちゅうインスタにアップしていた。列車に乗っていたときも、アンソニーは早く旅行先の写真をアップしたかったのだが、Wi-Fiの調子が悪かった。それで3人は事件の発生した先頭の一等車に移っていたのである。もしアンソニーがこれほどインスタにはまっていなかったら、いくら3人の人生経験が素晴らしいものであったとしても、この事件を防ぐことはできなかった訳である。最後になって不意に重要な役割を担うインスタグラムというアンバランスな装置が映画に珍妙な味わいをもたらしている。

2・クリント・イーストウッドトゥルー・クライム』(True Crime、1999、米)
 24時間後に無実かもしれない人間の死刑が執行されるというのに、映画は異様な緩慢さで進んでいく。
 かつてニューヨークの大手紙で敏腕として鳴らしていたものの、今は仕事も家庭も堕落した地方紙記者エベレット(イーストウッド)は、交通事故死した同僚のミシェルが担当していた仕事を引き継ぐ。それは黒人の死刑囚フランク・ビーチャム(イザイア・ワシントン)への最後のインタビューであった。ビーチャムは交際していたコンビニ店員を金銭トラブルで射殺したとして死刑を求刑されていたが、エベレットはビーチャムの家族や目撃者の取材の過程で、ビーチャムの善良な人柄を知り、目撃者が人種的偏見に囚われていることに気付く。彼は冤罪の可能性を嗅ぎつけ、不仲の編集長からの制止を振り切って調査を開始する。
 このようなあらすじだと、事件の真相については大方の予想がつくだろう。しかしながら『トゥルー・クライム』はありきたりのシナリオに何重にもひねりを加えた一筋縄ではいかない構成をとっており、アメリカの社会問題の複雑さを暗示している。

3・ビリー・ワイルダー(Billy Wilder, 1906–2002)『情婦』(Witness for the Prosecution、1957、米)
 ビリー・ワイルダーの脚本はなぜかくも面白いのか。本人が1987年度アカデミー賞のタルバーグ賞授与スピーチ(1988)で説明している。1933年、ユダヤ人だったワイルダーはドイツから亡命し、幸いにもハリウッドで仕事を得られたため短期ビザを取得して仕事をしていたが、期限はすぐにきれてしまった。永続的な移民ビザを手に入れるには、米墨国境を超えて、メヒカリの米国領事館に申請に行かなければならなかった。数多くの公式書類が必要なのだが、ナチス統治下のドイツからは取り寄せられない。書類をほとんど揃えていないワイルダーに対して、領事はどうにもしようがないと難色を示し、張り詰めた空気となる。しばらくして領事は、「職業は何だい」と尋ね、ワイルダーは「脚本を書いています」と答えた。審査官はワイルダーをじっくり眺め、値踏みするように彼の背後へ回る。そしてパスポートに大仰に移民許可のスタンプを押して言うには、「いいものを書けよ」。彼の期待に応えるために、ハリウッドのワイルダーは面白い脚本を書いてきたのだ。
 ワイルダーの脚本は、複雑な伏線を巧妙に張り巡らしながらも、娯楽に徹し観客の頭を疲れさせることは決してしない。社会に対する疑問を投げかけながらも、笑いを醸し出すことは忘れない。ヘイズ・コードがあった時代らしく上品にまとまっていながら、物語の内実は不道徳極まりない。今日のカルチュラル・スタディーズからみればクィアとも言える。
 原作と映画との優劣をつけることはあまり好ましい態度ではないが、『情婦』に関してだけは、アガサ・クリスティの原作短篇「検察側の証人」を完全に超えてしまっていると言い切ってしまっていいだろう。
 1950年代のロンドン、大御所弁護士のウィルフリッド卿(チャールズ・ロートン)は、病院を退院して事務所に戻ったが、付き添いの看護師から口うるさく生活指導をされるのに辟易している。復帰早々、未亡人殺しの嫌疑をかけられているレナードが弁護の依頼に来る。事件当日の彼のアリバイを実証できるのは、連合軍占領下のドイツから連れてきた妻のクリスティーネ(マレーネ・ディートリッヒ)だけであった。しかしクリスティーネは予想に反して、「検察側の証人」として法廷に立つ。
 映画の原題は小説と同じく『検察側の証人』であるため、『情婦』という邦題はかなりの意訳であるが、本当に情婦的だったのは果たして誰のことなのだろうか。

4・ビリー・ワイルダー『ねえ! キスしてよ』(Kiss Me, Stupid、1964、米)
 アメリカのとある田舎町に住む音楽家のスプーナーは、美人の妻と結婚しているが、誰かに奪われるのではないかといつも不安である。彼は音楽教室のかたわら、作曲家デビューを夢見ているが、作詞を手がけているガソリンスタンドの主人から、人気歌手のディノが町に通りがかりで給油にやってきたことを知らされる。二人はわざとディノの車を故障させ、スプーナーの家に泊まらせて歌を売り込もうとする。
 有頂天になったスプーナーであったが、ディノが女好きであるという噂を知り、妻を寝取られるのではないかと不安にかられる。彼は妻を実家に追い出し、妻と偽って娼婦のポリー(キム・ノヴァク)を連れてきてディノを相手にさせようとする。スプーナーの妻とポリーを除いてはどうしようもない人間ばかりなのだが、物語は巧みに展開され、ハッピーエンドを迎える。

5・ビリー・ワイルダー『地獄の英雄』(Ace in the Hole、1951、米)
 マスコミの過剰報道の問題を描いた先駆的作品。酒癖の悪さで都市部の大新聞社を追放されたチャールズ・テータム(カーク・ダグラス)は、地方紙で鬱々とした記者生活を送っており、特ダネを書いて大手紙に復帰することを狙っていた。そんな中、偶然チャールズは岩盤崩落事故の現場に遭遇する。実際のところ、簡単に救い出すことができたのだが、報道をセンセーショナルなものにするために、わざと困難な方法をとらせて救出を遅らせる。チャールズの目論見は成功するが、報道を聞いて現場に集まってきた群衆の慾望を制御できなくなってしまう……。

6・ビリー・ワイルダー『あなただけ今晩は』(Irma la Douce、1963、米)
 新米警官のネスター(ジャック・レモン)は、パリの風俗街の取り締まりを真面目にやってしまい、警察の上司が娼婦を買っていた最中に検挙してしまったことによって警察をクビになる。やけくそになったネスターは、風俗街のバーで元締めの大将と喧嘩するが、相手を打ち負かして、イルマ(シャーリー・マクレーン)のヒモとなる。しかしネスターはイルマに娼婦の仕事をして欲しくなく、自分が金持ちのイギリス紳士に扮して、イルマに大金を渡すようになる。しかしながら、そもそも彼の資金源はイルマの稼ぎであることに気づき、ネスターは資金繰りに困る。ネスターは新しいやり方を考案するが、自分が生み出したイギリス紳士のせいで面倒なこととなる。
 和田誠三谷幸喜の映画対談本『それはまた別の話』(文春文庫)はこの映画のバーテンダーの口癖にちなむ。

7・アキ・カウリスマキ(Aki Kaurismäki, 1957–)『希望のかなた』(Toivon tuolla puolen、2017、フィンランド・独)
 ヴィクストロムは妻と別れ、ヘルシンキでレストラン経営を始める。そこにシリア難民のカーリドが現れ、ヴィクストロムは彼を匿うこととなる。
 従来のカウリスマキ映画にはほとんど登場してこなかった排外主義団体がおおっぴらに暴力を振るってくるのは、今のヨーロッパ情勢を反映しているだろう。それでもこのような状況の中でもカウリスマキが映画を作ってくれることが今の希望である。
 
8・ジム・ジャームッシュ(Jim Jarmusch, 1953¬–)『ミステリー・トレイン』(Mystery Train、1989、米・日)
 エルヴィス・プレスリーが育ったメンフィスで、あのスクリーミン・ジェイ・ホーキンスが受付をしているホテルに泊まった3組の人物たちの一日を描くオムニバス映画。第一話「ファー・フロム・ヨコハマ」ではエルヴィス好きの永瀬正敏工藤夕貴カップルが主役である。
 3話とも同じ時間帯のことを描いている。見事な伏線回収というわけではなく、どうでもいいことが微妙につながっていくのが、なんともくだらない味を出している。

9・セルジオ・レオーネ(Sergio Leone, 1929–1989)『続・夕陽のガンマン 地獄の決斗』(Il buono, il brutto, il cattivo/The Good, the Bad and the Ugly、1966、伊)
 クリント・イーストウッドが世界的映画スターとなるきっかけとなったマカロニ・ウェスタンの三部作の最終作にしておそらく最高傑作だが、随分人を食った構成、演出である。
 南北戦争の最中、善玉(クリント・イーストウッド)と卑劣漢(イーライ・ウォラック)はコンビを組み、保安官を騙し賞金を稼いでいたが、善玉は卑劣漢が嫌いになりコンビ解消を申し出る。怒った卑劣漢は善玉を欺いて砂漠に置き去りにしようとするが、善玉が南軍の大量の金貨が隠された墓碑の名前を聞き出していたことを知る。卑劣漢は金貨を隠している墓地は知っているが、墓碑の名前は分からない。二人はまたコンビを組んで、駆け引きをしながら金貨を探す旅に出る。その二人の前に冷酷な殺し屋の悪玉(リー・ヴァン・クリーフ)が立ちはだかる。
 南北戦争の喧騒とは無関係に動くこの三人の合従連衡は、次第に戦争に飲み込まれていく。エンニオ・モリコーネの音楽で、作品の荒々しさ、ユーモアが増している。
 
10・フリッツ・ラング(Fritz Lang, 1890¬–1976)『激怒』(Fury、1936、米)
 フリッツ・ラングはドイツ時代の芸術的価値を見直された一方で、アメリカ時代の厖大なB級映画群はやや等閑視されているきらいがある。アメリカ時代の作品を見直すことによって、フリッツ・ラングの再々評価を行う必要があるのではないだろうか。
 結婚する余裕ができたジョー(スペンサー・トレイシー)は、西部で暮らしている許嫁キャサリンシルヴィア・シドニー)の元へと向かう。しかし途中で誘拐犯の濡れ衣を着せられ、警察署に拘留される。さらに暴徒化した町の住民たちがリンチを加えるために警察署を襲い、放火する。放火から辛くも逃げ出したジョーは、復讐を遂げるために身を隠す。彼は22人の町の住民たちが殺人容疑の裁判にかけられるラジオ放送を聞きながら嘲笑い、死刑判決が下されるのを待ち望む。
 ドイツ時代の『M』(1931)と同じテーマを、『激怒』はさらに苛烈に展開する。それでいて、二律背反的な構造を巧みに使い、深刻な場面でもギャグをしっかり入れてくるところはやはり上手い。