Дама с Рилаккумой

または私は如何にして心配するのを止めてリラックマを愛するようになったか

岩波文庫にはいった三島由紀夫と深作欣二(2018/9-2019/6の日記)

2018/09-2019/06


 とうとう岩波文庫三島由紀夫が収録される時代となった。
 三島由紀夫は新潮社との関わりが深く、代表作の圧倒的多数は新潮文庫に収録されている。一方で他の文庫レーベルにおいても、文春文庫の『若きサムライのために』、角川文庫の『不道徳教育講座』、河出文庫の『英霊の聲 オリジナル版』、そしてちくま文庫の『命売ります』などがある(『命売ります』は2015年に突然ベストセラーとなった)。ややマイナーながら、それぞれの文庫のカラーを反映した独特なセレクションとなっている。すると、もし岩波文庫ならば、いかな三島作品を入れてくるのかと気になるところであったが、収録されるとしても当分先のことだろうと思われた(政治的なスタンスも考慮に入れるならなおさら)。しかし遂に岩波文庫三島由紀夫が読めるようになった。
 2018年から『三島由紀夫紀行文集 』を皮切りとして『若人よ蘇れ・黒蜥蜴 他一篇

三島由紀夫スポーツ論集

』の三冊が刊行された。いずれも近畿大学文芸学部の佐藤秀明の編纂・解説であり、三島由紀夫の逆説を駆使した批評的鋭利、異常な論理性で充溢する美文の魅力を存分に味わえる。

 

 先ず『三島由紀夫紀行文集』は従来あまり注目されてこなかった紀行文作家としての才能を発見させてくれる。三島は1951年から52年にかけて朝日新聞社の社費で世界旅行をした。「アポロの杯」はその際のアメリカ、南米、ヨーロッパの記録である。アテネにおける古代ギリシアとの出会いは、のちの三島文学の方向性を決定づけた出来事としてあまりにも有名であるが、ニューヨークとリオ・デ・ジャネイロでの印象記も面白い。ニューヨークでは都会的な洒脱さへのアフィニティーを表明し、リオ・デ・ジャネイロではカーニバルに熱狂する(他のエッセイではリオ・デ・ジャネイロに住むのだったら私もヒゲを生やしてみようか、とも書いている)。ちなみにパリに関しては、有り金を全部取られたのをよほど根に持っているのか、罵詈雑言を並べている。
 二冊目の『若人よ蘇れ・黒蜥蜴 他一篇』は三島の劇作家としての才能を再認識させてくれる。軍需工場で働く大学生たちの敗戦前後を描く「若人よ蘇れ」、江戸川乱歩原作で、緻密ながらも毒々しいレトリックが駆使される「黒蜥蜴」、そして左翼過激派と対峙する公安警察を題材にした異色作「喜びの琴」の三篇からなる。
 いわく付きの作品「喜びの琴」は、ひと昔前の岩波だったら絶対に入っていなかっただろう、と同時にどの文庫に収まっているのが似つかわしいかと言われれば、新潮というよりはやはり岩波やちくまだと思うが(ちくま文庫にはすでに収録されている)。「喜びの琴」は1964年に文学座で初演されるはずであったが、所属俳優たちの抗議により上演が中止された。三島は「文学座の諸君への『公開状』 『喜びの琴』の上演拒否について」を朝日新聞に寄稿し、芸術的な理由ではなく政治的な理由で上演中止することは芸術に携わる者として怯懦な姿勢であると罵倒に近い言葉を並べ、事態が紛糾した。
「喜びの琴」は、言論統制法の審議が進む近未来において、左翼政党から分離した過激派の鉄道テロ計画を察知した公安警察の顚末を描く。左翼政党は明らかに日本共産党がモデルであり、鉄道テロも松川事件をモデルにしていると思われる。上演直前に松川事件で起訴された国鉄東芝労働組合員全員の無罪が確定していたこともこの戯曲に対する劇団員の反撥をいやましたであろう。公安警察が左翼に対して露骨な偏見を抱きながら捜査を強行し、保守政界や右翼との結託もちらつくというなかなか際どい設定であるが、揺れ動く思想と状況の中で葛藤する巡査・片桐の心理描写が素晴らしい。
 そしてなにより三冊目の『三島由紀夫スポーツ論集』が三島由紀夫の意外な親しみやすさ・現代性と理解・解釈の難しさとを同時に、スポーツという一つの線で見事に伝えてくれるコレクションとなっている。
 三島由紀夫としばしば対比される文学者に太宰治がいる。三島は『斜陽』で流行作家となった太宰に対面した際に「あなたの文学が嫌いです」と言い放ち、場を凍りつかせた(後年言いすぎたと反省してもいるが)。「小説家の休暇」(新潮文庫収録)において三島は太宰文学の欠陥を指摘する。「太宰のもっていた性格的欠陥は、少なくともその半分が、冷水摩擦や器械体操や規則的な生活で治されるはずだった。生活で解決すべきことに芸術を煩わしてはならないのだ。」この言の通り、三島はスポーツによって自らの文学に強靭さを与えることを試みてきた。
 とはいうものの、太宰に出会った頃の三島もまた快活な生活を送っていたとは言いがたい。祖母の溺愛のもと育った三島は貧弱な体つきであり、軍医の誤診のために出兵することもなかった。まともな運動経験は軽い乗馬しかなく、それでも息切れるほどであった。しかし30代を控え、身体を鍛えることを決意し、ボディビルに打ち込むこととなる。そして、ボクシング、剣道、空手などに手を出していく。子供の頃のスポーツ嫌いを克服して、中年に至ってスポーツに熱中したという非常に珍しいタイプなのである。このことは石原慎太郎と対比するとわかりやすいだろう。若い頃からサッカー、ヨットに打ち込んできたスポーツマンである石原慎太郎は、三島の筋肉を使えない筋肉と馬鹿にしている(『三島由紀夫日蝕』)。
「ボディ・ビル哲学」は三島のスポーツ観を愉快に表現している。「もともと肉体的劣等感を払拭するためにはじめた運動であるが、薄紙を剥ぐようにこの劣等感は治って、今では全快に近い。(…)こういう劣等感を三十年も背負って来たことが何の利益があったかと考えると、まことにバカバカしい。(/)三十年の劣等感が一年で治るのであるから、私が信者になったとて無理はあるまい。(…)ボディ・ビルをバカにしながら自分の痩軀にヒケ目を感じている人はどれほど多いか、想像の外である。(…)だまされたと思ってボディ・ビルをやってごらんなさい。」
 ところで自己啓発や筋トレに興味のある人ならば、この「ボディ・ビル哲学」からある方を想起しないだろうか。『筋トレが最強のソリューションである マッチョ社長が教える究極の悩み解決法』(ユーキャン)のTestosteron社長とほぼ同じ主張なのである。三島は現代日本における肉体改造による自己啓発コンサルタントのはしりとも言えよう。それだけではない。「実感的スポーツ論」においては、学校体育とプロのアスリート以外にも一般人がスポーツに親しめる社会づくりを提言している。つまり現在の文部科学省が推進している生涯スポーツ政策の理論的先駆者でもあるのだ。
 このようにスポーツ理論がしっかりしているだけあって、実際の東京五輪やボクシングの観戦記は、ルールも選手の名前もわからないというのに、ぐいぐい読ませる。三島の美文とスポーツの魅力との幸福な邂逅である。
 しかしながら、『三島由紀夫スポーツ論集』の後半を占める「太陽と鉄」で様相は一変する。「太陽と鉄」は非常にロジックが難解で(いや破綻しているというべきか)一筋縄ではいかない評論なのだが、これまでのスポーツ批評にはほとんど存在しなかった死の影を感じさせる。三島はスポーツによって生の充溢を目指していたのだが、いつの間にかそれは死の希求へと転移しているのである。
 肉体と精神との合一の話は自衛隊体験入隊へと発展する。そして航空自衛隊の戦闘機F104に搭乗し、天空で音速を突破した際の愉楽を綴って締められる。この「太陽と鉄」の延長線上に、70年の陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地における割腹自殺がある筈なのだが、その繋がりは容易には理解できない。三島文学は今尚厖大なテーマと謎にみちている。

 


 三島由紀夫岩波文庫に入るかもしれないというのはある程度予想できたことではあった。しかし、誰が決めたのかはわからないが、深作欣二の映画が岩波文庫の表紙に使われたのには驚いた。『若人よ蘇れ・黒蜥蜴 他一篇』の表紙は、深作欣二監督の映画『黒蜥蜴

』(1968)における、丸山明宏(現在の美輪明宏)と三島由紀夫のツーショットである。
 三島は、自身の原作・脚本・監督による『憂国』(1966)では、二・二六事件のさなか切腹する陸軍中尉を演じ、自らの原作ではないのに増村保造監督の『からっ風野郎』(1960)でもやくざ役で主演を務めている。もはや悪ノリであるが、映画にも積極的であったことが伺える。
 深作映画の『黒蜥蜴』において、三島は特別出演程度であるが、強烈な印象を残す。
 『黒蜥蜴』は、少年探偵団が結成される前の名探偵・明智小五郎木村功)と、美しいものを狙い続ける女賊・黒蜥蜴との対決を描く。二人は敵でありながら、お互いに惹かれあっていく。この黒蜥蜴を丸山明宏が演じることによって、ジェンダーの混淆が生じている(舞台でも美輪明宏の当たり役となる)。黒蜥蜴に限らず、戯曲全体において江戸川乱歩の原作以上に既成概念の転倒が強調されている。
 映画の終盤になって一瞬だけ三島が姿を見せる。黒蜥蜴に捕らえられた少女・早苗たちは、黒蜥蜴の展示室に誘われる。そこで黒蜥蜴は、一体の人形を見せる。それはボディ・ビルで鍛え上げられた肉体を見せつけながらも、苦悶の表情を浮かべている三島由紀夫であった。
「鋼鉄のような腕の筋肉、素敵な胸毛……どう? よく出来たお人形でしょ? でも少し、出来すぎていやしないかね? この人の身体には、産毛まで生えているわ……産毛の生えた人形なんて聞いたこともないわね? このお人形はね……」回想シーンで、三島が乱闘で刺し殺され、剥製として飾られるに至ったことが明かされ、そして丸山明宏が三島の剥製に接吻をする!
 『黒蜥蜴』は日本国内でDVD化されていないので、視聴は難しくなってしまっている。『黒蜥蜴』に限らず、1960年代の深作映画は現在あまり顧みられることがない。深作欣二は70年代以降の『仁義なき戦い』シリーズ等の実録やくざ映画で記憶されており、(さらに不幸なことに)実質的な遺作の『バトル・ロワイヤル』(2000)が少年犯罪を助長するとして一部から批判され、教育上よろしくない暴力映画監督の枠に押しとどめられてしまった嫌いがある。
 しかしながら、深作が駆け出しの監督であった1960年代には、バラエティに富んだ作品を数多く発表している。社会派、探偵物、スペース・オペラ、ギャング映画、『仁義なき戦い』シリーズで自ら葬りさることとなる任侠やくざもの等である。千葉真一菅原文太田中邦衛などののちの常連俳優だけでなく、鶴田浩二丹波哲郎高倉健など深作映画では珍しい俳優も数多く出演している。
 深作は東映入社後、下積みを重ね、1961年から初監督作『風来坊探偵 赤い谷の惨劇

』で映画初主演を務めた千葉真一と共に、風来坊シリーズを手掛けていく。この時点ですでに、深作に特徴的なスピーディなカメラワークがほぼ完成されており、当時流行りのスウィング・ジャズで軽快に物語が進んでいく。
 続く『白昼の無頼漢

』(1961)、『誇り高き挑戦

』(1962)は社会派である。『白昼の無頼漢』の主人公、鶴田浩二は占領軍統治下で、GHQ汚職を追窮したために大手紙を追放され、今は業界紙「鉄鋼新報」の記者を務めている。そんな中、とある企業が東南アジアに武器を密輸していることを嗅ぎつけるが、容赦ない妨害が入る。あまりにも理不尽な戦後社会の闇に対峙する鶴田浩二の黒々としたサングラスと敵役の丹波哲郎のニヒルさが印象的である。
 60年代後半からは、深作は東映の十八番である任侠やくざ映画を手がけるようになる。70年代以降の『仁義なき戦い』のアナーキズムとは違い、義理と人情を大事にする主人公が、上や敵からの理不尽な要求に耐え続け、最後になってその怒りを爆発させるという基本的文法を踏襲している。しかしながら、社会の安定に伴い、警察による暴力団取り締まりが強化され、かつてのヤクザ稼業が衰退していることも示唆されている。
日本暴力団 組長』(1969)の最後においても、ライバル役の暴力団右翼団体に鞍替えする。その結成記念として、神社の境内で組員たちが君が代を斉唱する。そこに、抗争の中で裏切られ全てを失った鶴田浩二が斬り込みにくる。
 ところで、この右翼団体世話人をしている黒幕の右翼政治家を佐々木孝丸が演じており、(記憶が曖昧だが確か)この会場にも参列して君が代を歌っていたはずである。このことは妙な感慨を覚えさせる。佐々木孝丸といえば、黒澤明の『蜘蛛巣城』(1957)で三船敏郎に弑逆される城主を演じていたことで最も知られている。その一方で、戦前は左翼演劇で活動しており、世界的な社会主義労働歌「インターナショナル」の日本語訳詞者でもあるのだ(佐野硯との共訳)。しかし戦後はうってかわって、やくざ映画における大物右翼役を数多く演じて大当たりする。日本映画史の深淵には、『蜘蛛巣城』で弑逆される佐々木孝丸の裡に、インターナショナルの訳詞者であるところの佐々木孝丸がおり、そしてさらにその深奥に君が代を歌う佐々木孝丸がいるのである。

 

 

三島由紀夫紀行文集 (岩波文庫)

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若人よ蘇れ・黒蜥蜴 他一篇 (岩波文庫)

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三島由紀夫スポーツ論集 (岩波文庫)

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誇り高き挑戦 [DVD]

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日本暴力団 組長

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