Дама с Рилаккумой

または私は如何にして心配するのを止めてリラックマを愛するようになったか

2019年に読んだ本ベストテン

2019年に読んだ本ベストテン。

1・手塚治虫手塚治虫文庫全集』(全200巻、講談社
2・ブレイディみかこ『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社)
3・三島由紀夫著、佐藤秀明編『三島由紀夫スポーツ論集』(岩波文庫
4・つげ義春つげ義春 初期傑作短篇集』(全4巻、講談社)『つげ義春 初期傑作長篇集』(全4巻、講談社
5・モリッシーモリッシー詩集』(中川五郎訳、シンコーミュージック
6・出口王仁三郎著、笹公人編『王仁三郎歌集』(太陽出版)
7・篠田航一『ヒトラーとUFO 謎と都市伝説の国ドイツ』(平凡社新書
8・久保明教『機械カニバリズム 人間なきあとの人類学へ』(講談社選書メチエ
9・西内啓『統計学が最強の学問である』『統計学が最強の学問である 実践編』『統計学が最強の学問である ビジネス編』『統計学が最強の学問である 数学編』(ダイヤモンド社
10・田中靖浩『会計の世界史 イタリア、イギリス、アメリカ 500年の物語』(日本経済新聞出版社

1・手塚治虫(1928-1989)『手塚治虫文庫全集』(全200巻、講談社

 実際のところ、手塚治虫の全集を作るのは不可能に近い。手塚は作品を単行本化する際や再版する際に、大幅に書き直している。従って基本的に異本は収めていないこの文庫全集は、厳密に言うと全集ではない。厳密にやるならば、筑摩書房の『宮澤賢治全集』のようなスタイルになるだろう。
 以下にこの全集の中のベストテンを掲げる。

①『ブラック・ジャック』(1973-1983、『週刊少年チャンピオン』)
 言わずと知れた天才無免許医の話である。もともとは数話で終わる予定であったが、人気が出たために、手塚治虫の最長の作品の一つとなった。
 多分にヒューマンな作品であるが、その分ブラック・ジャックの影も際立つ(そもそも裏のある人間だから法外な治療費を請求する無免許医をやっているわけで)。ブラック・ジャックに心を惹きつけさせる巧みなストーリーテリングの中に時折、果たしてブラック・ジャックの言動が絶対的に正しいものなのかと疑わせるように構成されている。特に現代的な視点からだと、ブラック・ジャックのライバルであり、非合法な安楽死を患者に勧めるドクター・キリコの主張がどうしても頭をよぎる。

 
②『リボンの騎士』(1963-1966、『なかよし』など)
 手塚はディズニーの他に、宝塚歌劇から大きな影響を受けている。幼少期に宝塚に住んでいた手塚は歌劇団に憧れ、『リボンの騎士』に宝塚の世界を移植した。手塚に影響を与えたディズニーと宝塚であるが、そのどちらとも、逆に手塚作品の影響を受けることとなる。
 王様と王女の子供が男の子か女の子か国中が気になる中、天使のチンクのいたずらで男の心と女の心の二つを持ったサファイアが生まれてしまう。男子でなければいとこのジュラルミン大公の息子に王位継承権が移ってしまうので、王様はサファイアを男として育てるが、天使のチンクはサファイアを女の子に戻さないといけない。半世紀前に両性具有、男装の麗人といったモチーフを活用したことに驚く。
 物語の前半では、サファイアが男の心と女の心で入れ替わる箇所が多い。男の心のときは勇敢で剣術が強いが、女の心のときはか弱く剣も取れなくなってしまう。これはこれで設定としては面白いと思うものの、ジェンダー固定観念を使用するのはちょっと無理があるのでは、という疑問が深まってきた頃合いに、このようなジェンダーの区別を崩す展開にしていくあたりに手塚治虫のうまさがある。サファイアは徐々に女の心のときも戦えるようになっているし、そもそも国の王になるのは男でないといけないのかという意見が出始めるし、女たちがホモソーシャルな共同体の圧力に団結して反旗を翻すようになる。

③『七色いんこ』(1981-1982、『週刊少年チャンピオン』)
 宝塚に通い詰めた手塚の演劇通を遺憾無く発揮している。根強いファンが多い割に、映像化されたことはない。
 代役専門の謎の俳優、七色いんこは、天才的な演技力を持ちながら、代役の出演料と称して、裕福な観客から金品を盗んでいる。
ハムレット」(ウィリアム・シェイクスピア)から、「ガラスの動物園」(テネシー・ウィリアムズ)、「ゴドーを待ちながら」(サミュエル・ベケット)、「棒になった男」(安部公房)、狂言の「靱猿」、「犀」(ウジェーヌ・イヨネスコ)、「結婚申込」(アントン・チェーホフ)、「仮名手本忠臣蔵」まで、古今東西の演劇を題材に話が進む。特に「作者を探す六人の登場人物」(ルイージ・ピランデルロ)はメタ演劇のメタ演劇のメタ演劇となっており非常に笑える。

④『きりひと讃歌』(1970-1971、『ビッグコミック』)
 1970年代前半の手塚は虫プロ商事の経営危機の対応に追われた。さらに、手塚の漫画には社会批評性がないと新左翼から攻撃を受ける。そのためこの時期の作品は、『奇子』『人間昆虫記』『アトムの最後』『アラバスター』など、非常に暗いものが多い。
 四国の小村で起こるモンモウ病の解明に、大阪の若い大学病院の医師、小山内桐人が向かう。しかし自らもモンモウ病に罹患して顔貌が変形し、さらに医学部の権力闘争によって大学から籍が抹消される。
 暗い作品ながら、差別問題を正面から見据えている。

⑤『火の鳥』(1954-1986、『COM』『野生時代』などに断続的に連載、未完)
 手塚治虫は気になる同時代人として、三島由紀夫を挙げたことがあるという。
 三島由紀夫は同時代のサブカルチャーに関して、厖大な、そして鋭い短評を残しているのだが、手塚に関しては、「かつて颯爽たる「鉄腕アトム」を創造した手塚治虫も、「火の鳥」では日教組の御用漫画家になり果て」と書いている。(「劇画における漫画論」、1970)。『鉄腕アトム』を評価していたということにはいささか驚くが、『火の鳥』はお気に召さなかったようだ(真相は不明だが、どうも皇室の祖先を野蛮な原始人として描いたことが気に食わなかったようである)。
 しかしながら、手塚のライフワークであった未完の大作『火の鳥』と、三島の最長の小説にして遺作である『豊饒の海』とが類似しているように思えてならない。輪廻転生をうたいながらも、実際には直線的に進んでいき終点へと至る『豊饒の海』と、永遠の宇宙の命をうたいながらも、実際には遠い過去と遠い未来とを振動しながら行き来し現在へと収斂に至る『火の鳥』……。

⑥『ライオンブックス』(1956-1957、『おもしろブックス』、1971-1973、『週刊少年ジャンプ』)
 わずかなページで物語をまとめる手塚のストーリーテラーとしての天才性が味わえる連作短篇集。ところで手塚の短篇には、論理的なずらしによってアイロニーな効果を生じさせているものが多いのだが、このあたりにも三島由紀夫の短篇小説に通じるものを感じてしまう。

⑦『鉄腕アトム』(1952-1968、『少年』)
 小説家の丸谷才一は、よい小説には、文学の知識がない人にはストーリーテリングで楽しませて、文学通にはその衒学をもってうならせるという二つの要素が揃っていると語った。『鉄腕アトム』もまた、活劇の巧みさが味わえるとともに、血縁や人種差別、労働問題などの問題が分かる人には分かる(知らない人には教えてあげる)仕組みとなっている。
鉄腕アトム』の本篇は掲載誌『少年』の廃刊により明確なラストは存在しない。だがそれ以外のところで三つのラスト、すなわちアニメ版のラスト、『アトム今昔物語』のラスト、そして『アトムの最後』がある。
 アニメ版のラストでは人類を救うためアトムが太陽に突っ込む。サンケイ新聞(現・産経新聞)で連載された『アトム今昔物語』(1967-1969)では、アトムはタイムスリップしてしまい、エネルギー切れのまま、別のアトムの誕生の時まで放置されタイムパラドックスを避けるために爆破される。最も陰惨な「アトムの最後」(1970)ではロボットが人間を支配する未来の世界で逃げてきた男女の二人が主人公であり、アトムは狂言回しである。逃亡中の二人は、ロボットが人間を助けていた時代にいたアトムに助けを借りるため、ロボット博物館に眠るアトムを再起動させる。結末はあまりにも救いようがない。

⑧『ミッドナイト』(1986-1987、『週刊少年チャンピオン』)
 こちらも短篇集。もぐりのタクシー運転手が出会う乗客たちの物語である。ブラック・ジャックがゲストで何度か出演しているが、やはり強烈なキャラクターである。

⑨『アドルフに告ぐ』(1983-1985、『週刊文春』)
 ドイツ人と神戸の日本人のハーフでナチ党員となるアドルフ、神戸に住むユダヤ人のアドルフ、そしてアドルフ・ヒトラーの三人の物語。卓越した人間ドラマながら、人間は永遠に戦争をやめられないであろうと諦観もしてしまう。

⑩『MW(ムウ)』(1976-1978、『ビッグコミック』)
 南の島を訪れた際に毒ガスMWを浴びた二人の男、結城と賀来。島で賀来に犯された結城は成人後、毒ガスの後遺症で凶悪犯となり、もう一人の賀来は神父となるも、結城の犯罪告白や肉体関係に罪悪感を覚える。
 猟奇的なストーリーであるとともに、いち早く同性愛を取り上げた作品として興味深い。

2・ブレイディみかこ(1965-)『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社)

 今年度の毎日出版文化賞特別賞、YAHOO! JAPANニュース/本屋大賞ノンフィクション本大賞を受賞した、現在最も注目される書き手の最新作。
 日本人で保育士の母と労働者階級のアイルランド人の父の子が、エリートが通うカトリック小学校を卒業した後、カトリックの中学ではなく、思うところあってかつて底辺と貶されていた地元の中学校に通うこととなる。
 人種差別、貧困、ジェンダー意識など、数々の困難に直面しながらも、息子と母はイギリスの学校生活を送っていく。多様性が無条件に素晴らしいわけがなく、辛い話も多いけれど、それをロックに書き綴る。

3・三島由紀夫(1925-1970)著、佐藤秀明(1955-)編『三島由紀夫スポーツ論集』(岩波文庫)

 小説家の中でも、三島由紀夫の評論はずば抜けて面白い。本著はスポーツという興味深い切り口から、ボディビルによる肉体改造から自衛隊駐屯地での割腹自殺に至る三島の言動を振り返る。

4・つげ義春(1937-)『つげ義春 初期傑作短篇集』(全4巻、講談社)『つげ義春 初期傑作長篇集』(全4巻、講談社

 アーリー・ワークスが面白い創作者というのがいて、個人的にはチェーホフ深作欣二イーストウッドがその部類に入る(逆に三島由紀夫ヒッチコックの初期作品の良さはあまりよくわからない)。
 つげ義春の創作活動は1954年、他愛のないギャグ漫画から始まった。手塚治虫の圧倒的な影響力を感じる作風で、ギャグ漫画として十分楽しめる一方で、60年代後半以降に称讃される独自性は感じられない。しかしながら徐々に後年のつげを想起させる寂しさや不条理が現出し始め、作家性の確立を辿ることができる。
それにしても、デビュー当時のつげはこんなに多作であったのか。最後に作品を発表した1987年の自筆年譜において、ほとんど仕事ができなかったが「スーパーマリオブラザーズ2」をクリアした、とだけ書いてあるのとは対照的である。

5・モリッシー(1959-)『モリッシー詩集』(中川五郎訳、シンコーミュージック
 
 ブレイディみかこが敬愛する、ザ・スミス(1982-1987)のボーカルであったモリッシーの対訳作詞集。正直なところ日本語訳が微妙だが、出版当時(1992)、インターネットで気軽に洋楽の情報を得られなかったことと、日本人がまだバブルの余韻に浸っていて貧困が切実な問題ではなかったことを考えれば、出版に漕ぎ着けただけ偉業であると思う。日本語訳に関しては、YouTubeや個人のブログなどにもっとよいものがころがっている。
 マンチェスターの引きこもり文学青年であったモリッシーの文章に惚れたギタリストのジョニー・マーが、家から引きずり出したことで、労働者階級出身者たちのバンド、ザ・スミスが結成された。男性的なロックの世界において、自虐的でひねくれたモリッシーのリリックは異彩を放ち、その文章は太宰治を思わせるものがある。一方で、モリッシーがどんなにいじけたリリックを書いていても、ジョニー・マーが禁欲的なまでに統制されたギタープレイで受け止めていたことも忘れてはならない。

6・出口王仁三郎(1871-1948)著、笹公人(1975-)編『王仁三郎歌集』(太陽出版)

 出口王仁三郎といえば、大本教(正式には大本とだけ言うらしい)の創始者出口なおの女婿であり、そのカリスマ性で大本を巨大組織に発展させた一方で、官憲から激しい弾圧を受けた。大本事件として日本史にも出てくるが、今の学生にとっては、東進ハイスクールの現代文の参考書で有名な出口汪講師の曾祖父といった方が通りがよいだろう。
 王仁三郎は厖大な短歌を残したが、信者以外にはほとんど忘れられていた。しかし現代歌人笹公人がその短歌のパワーに惚れ込み、『王仁三郎歌集』を世にも送り出した。
 素人くささは否めないが、王仁三郎のおおらかな人間性が発揮されており面白い。例えば、

 ころころと背すぢつたひて首の辺に爆発したり風呂の湯の屁は

 ところで、編者の笹公人によると、編集中に様々な怪異現象や偶然がおこり、出版後、とある霊能力者に本を持たせたところよろめいて、この本には何十キロという霊的な重さがあり、この歌集を家に置くだけでお守りになると言われたという(「メディア初公開、明智光秀の秘密も緊急暴露! 大黒様の出現、超能力店長、陰陽師、霊的な本…辛酸なめ子×笹公人のオカルト対談!」https://tocana.jp/2018/09/post_18084_entry_4.html より)。一家に一冊、新年の縁担ぎに『王仁三郎歌集』はいかがでしょうか……?

 
7・篠田航一(1973-)『ヒトラーとUFO 謎と都市伝説の国ドイツ』(平凡社新書

 著者は毎日新聞ベルリン特派員、現在青森支局次長。『独仏「原発」二つの選択』(宮川裕章と共著、筑摩選書)といった真面目な仕事もある一方で、ドイツの都市伝説蒐集にも精を出した。
 ドイツといえば真面目なイメージが強いが、その近現代史には様々な都市伝説が潜む。
 はじめに置かれている、老牧師の述懐で怪しい世界に引き込まれてしまう。老牧師は若い頃、南ドイツのとある田舎町に住んでいた。ある冬の日、一人の小さい男の子が川に溺れそうになっていたのを見て、極寒の川に飛び込み救出した。しかし牧師はそのことに関して後年思い悩むことが多かったという。というのも、その牧師が助けた男の子はアドルフ・ヒトラーであったからだ。
 この噂の信憑性だが、その町に実際にヒトラー一家が住んでおり、さらに溺れていた少年が助けられたという当時の地元紙のベタ記事が残っていることから、かなり信憑性が高いとはいえる。しかしながら、その少年が本当にヒトラーであったどうかまでは断定できない。
 ヒトラーの南米逃亡説から、フリーメーソン(こちらの方は知名度の割には案外普通の組織である)、ハーメルンの笛吹き男など、怪しい話が盛り沢山である。しかしながら、このような都市伝説を、面白半分に楽しめるだけならまだしも、残念ながら都市伝説は差別の温床、徴候でもある。ユダヤ人迫害もまた、都市伝説によって伝播した。
 最近ドイツで急速に広まっている都市伝説に「アラブ人の恩返し」という話があるが、自らの偏見について考えさせられてしまう。道に迷っていたアラブ系の男性を、あるドイツ人女性が親切に案内してあげる。別れ際に、アラブ系の男性は感謝の言葉とともに次のように語ったという。「あなたはいい人だから特別に教えてあげましょう。ちょうど一週間後、この広場でテロが起きるから近づいてはいけませんよ」

8・久保明教(1978-)『機械カニバリズム 人間なきあとの人類学へ』(講談社選書メチエ
 
 最近の講談社選書メチエには、A I関係の良書が多い(西垣通『A I原論』、郡司ぺギオ幸男『天然知能』など)。おそらくA Iに人文科学的な関心を持っている編輯者がいるのだと思う。
 最近のA Iブームの中で、シンギュラリティによって、A Iが人間を超すとよく言われている。しかしながら、人間を超えるとはどういうことなのだろうか? 人間は人間がいかなるものかわかっているのか? そもそも人間というものは本当に固定的な存在なのだろうか(人文科学ではよくある議論でも自然科学の世界では驚きをもって迎えられる!)? 技術の発達によって人間は変容してきたのではないか?
 本書は、「将棋電王戦」における人工知能と人間との一戦などを緻密に分析して、人間がテクノロジーとの共食い(カニバリズム)によって自己を変容させていくのだと主張する。
 アガンベンの生政治や、ダナ・ハラウェイの「サイボーグ宣言」を彷彿とさせる面白い論攷である。

9・西内啓(1981-)『統計学が最強の学問である』『統計学が最強の学問である 実践編』『統計学が最強の学問である ビジネス編』『統計学が最強の学問である 数学編』(いずれもダイヤモンド社

 ビジネスパーソンに幅広く読まれたベストセラーであるが、著者は意外にもビッグデータブームに批判的であることに留意するべきである。ビジネスにおけるほとんどの問題は、実は少ないサンプル調査で効果を上げられる伝統的な統計学の手法で対処できるものであり、無闇にビッグデータという言葉に踊らされて巨額の投資をしても費用対効果はまず見込めないという(もちろん効果的だとわかっているならばビッグデータも有効である)。
 伝統的な学問の思考を、うまくビジネスに落とし込む語り口がうまい。
 

10・田中靖浩(1963-)『会計の世界史 イタリア、イギリス、アメリカ 500年の物語』(日本経済新聞出版社

 15世紀イタリアにおける複式簿記の誕生から、株式会社、財務会計公認会計士制度、管理会計ファイナンス理論の発達を辿る。世界中を飛び回る複雑な歴史を「9つの革命」という軸で圧縮している。
 ダ・ヴィンチレンブラントプレスリービートルズの逸話をうまく使い、歴史の中に潜む会計の力を明らかにしている。