Дама с Рилаккумой

または私は如何にして心配するのを止めてリラックマを愛するようになったか

ブレイディみかこ『子どもたちの階級闘争』(2017/12-2018/8の日記)

 『子どもたちの階級闘争 ブロークン・ブリテンの無料託児所から』(みすず書房、2017)は生硬かつ頑陋な左翼色を感じさせる題名でありながら、読み終えたらこのタイトルしかありえないと感じさせられる。緊縮に喘ぐ労働者の絶望、差別にさらされる移民の苦しみ、社会への怒り、それでも足掻き続ける人々への愛情が「子どもたちの階級闘争」という言葉に込められている。
 著者のブレイディみかこは、福岡県の貧困家庭に生まれ、高校を卒業後、パンクに憧れ渡英した。無一文での帰国、ロンドンの日系企業勤務などの紆余曲折を経て、労働者階級出身のブレイディ氏と結婚し、保育士となった。
 南部ブライトンでの保育士業務のかたわら、自身のブログやYahoo!JAPANニュースにおいてパンクロックや英国セレブのゴシップ記事を執筆していた。日本で注目を集めるようになったのは、緊縮政策下での英国の労働者階級の動揺を発信するようになってからである。ネット媒体だけでなく、2015年からはみすず書房のPR誌『みすず』で「子どもたちの階級闘争」の連載を開始し、読書界に衝撃を与えた。『みすず』の連載は完結したが、現在も岩波書店の『図書』で「女たちのテロル」、新潮社の『波』で「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」、筑摩書房の『ちくま』で「ワイルドサイドをほっつき歩け ハマータウンのおっさんたち」を連載している。
 イギリスでは労働者階級が強い力を持ち続けていた。1945年、ドイツの無条件降伏後に行われた総選挙では、普通に考えれば救国の英雄チャーチルが勝ちそうなものだが、福祉充実を前面に押し出した野党の労働党が圧勝する。
 新首相となったアトリーは「ゆりかごから墓場まで」の高福祉を実現するが、その後「イギリス病」と揶揄される停滞に陥ることとなり、79年に保守党のサッチャーが首相に就任する。新自由主義を掲げ、国営事業の民営化や労働組合の弱体化を推進し、イギリス経済を復活させたという評価の一方で、鬼籍に入った今もなお呪詛を吐く人々が少なからずいる。みかこが敬愛するモリッシーは“Margaret on the Guillotine”(1988)という曲まで作っている。
 長期政権を誇ったサッチャーも、人頭税の導入により支持率が急落し、90年に辞任した。97年に「第三の道」を掲げた労働党のブレアが就任する。サッチャーから「私の最も出来の良い息子」と賞讃されたブレアは、労働党の支持基盤であった労働者階級の切り捨てを行い、インテリ志向を強めることとなる(みかこは日本のリベラルのブレア人気を揶揄している)。その後、保守党政権が続き、緊縮財政が展開され労働者階級に大きな打撃を与える。第三極の自由民主党の躍進に始まり、スコットランド国民党や英国独立党の伸長、ロンドン暴動、スコットランド独立問題、そしてブレグジットといった問題が頻発することとなる。
 そんな中、野党労働党最左派のジェレミー・コービンが党首に就任する。時代錯誤のマルクシストの登場で労働党は終わりだ、と嘆かれる中でコービンは若年層を中心に人気を集める。ブレグジット後に不意打ちで行われた総選挙でも、開票直前に急速に支持を広げ、与党保守党の圧勝という下馬評を覆した。 
 『子どもたちの階級闘争』はこの緊縮下でみかこが保育士をつとめた無料託児所の物語である。無料託児所(口を悪くして言えば底辺託児所)はイギリスの高福祉の象徴的な存在であったが、予算が徐々に削られていき、遂に廃止となる。
 無料託児所には、人間としての尊厳を奪われかけている人々が集まってくる。その多くは白人であり、移民の子どもは案外少ない。移民の家庭には教育熱心な親が多く、差別を恐れて、地元の公立校には通わせず、パブリック・スクールに行かせたがるからだ。白人の労働者階級が公立校に進学し、教育格差が広がるというソーシャル・アパルトヘイトが蔓延している。そして移民に対する偏見が再生産されていく。そのために白人の下層階級が多い地区の託児所や学校では、数少ない移民の子どもはいじめの標的や偏見の対象となりやすい(そんな中でブレイディ家の息子はあえて公立校の進学を選ぶのだが……。その後の顚末は『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』に記されている)。もちろん保育士のみかこに対しても、白人の子どもからむき出しのレイシズムを浴びせられることがある。そして移民の間でも、東欧系がアジア系を蔑視するという入れ子状の差別が起きている。
 経済、労働、人種といった複雑に絡み合う問題を、みかこは一見乱暴だが、繊細な筆致で炙り出す。現代の左派がポリティカル・コレクトネスにうつつを抜かして経済問題を等閑視し白人の労働者階級を見下していることに怒るとともに(もちろんポリコレを否定しているわけではない)、地元の移民に対する差別にも立ち向かう。その一方で大晦日のケルンで起きた移民による集団暴行事件やナイジェリア北部のボコ・ハラムによる女子生徒誘拐事件に対して、リベラル派の男がレイシストと批判されるのが怖くて及び腰なのにも容赦ない。あまりにも錯綜した深刻さに絶望してしまいそうなエピソードが並ぶが、みかこの文章からは、なおそこに人間への希望を見出すことができる。
 みかこの通っていた福岡の県立高校は進学校で、アルバイトが禁止されていたが、家計の足しにするためにアルバイトをしていた。学校側に発覚して詰問されたときに、教師は、今の日本にそんなアルバイトが必要な貧困家庭が存在するはずがない、と叱責してきたという。現在では流石にそこまでの認識にとどまっている人は少ないだろうが、いまなお日本人の多くにとっては底辺託児所のような世界はあえて目を向けたくないところではないか。『子どもたちの階級闘争』はもはやそのような認識は不誠実であり通用しないということを突きつけてくる。
ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー
 
女たちのテロル女たちのテロル