Дама с Рилаккумой

または私は如何にして心配するのを止めてリラックマを愛するようになったか

2021年に読んだ本ベストテン

2021年に読んだ本ベストテン

 

1・佐藤泰志佐藤泰志作品集』(クレイン)

2・野呂邦暢野呂邦暢小説集成』(全九巻、文遊社)

3・野呂邦暢『随筆コレクション1 兵士の報酬』『随筆コレクション2 小さな町にて』(みすず書房

4・石塚久郎編『病短編小説集』『医療短編小説集』『疫病短編小説集』(平凡社ライブラリー)

5・小島庸平『サラ金の歴史 消費者金融と日本社会』(中公新書

6・川添愛『言語学バーリ・トゥード Round1 AIは「絶対に押すなよ」を理解できるか』(東京大学出版会)

7・保坂正康『戦場体験者』(ちくま文庫)

8・大澤真幸社会学史』(講談社現代新書)

9・大野耐一トヨタ生産方式 脱規模の経営をめざして』(ダイヤモンド社)

10・三谷宏治『経営戦略全史』(ディスカバー・トゥエンティワン)

 

1・佐藤泰志(1949-1990)『佐藤泰志作品集』(クレイン)

 文学史には生前評価されなかった作家というものがよく出てくるが、佐藤泰志ほど生前の不遇と近年の復活とが残酷なほど対照的な小説家はいないだろう。

 佐藤泰志は1949年に函館市で生まれる。幼い頃より作家を志し、函館西高校在学中に「市街戦の中のジャズメン」(のちに「市街戦のジャズメン」に改題)を発表し早くから注目を集める。同人誌と商業誌とを行き来しながら執筆活動を続け、同時期にデビューした村上春樹中上健次と並び称されるようになった。

 しかしながら生涯文学賞に恵まれることはなかった。「移動動物園」で新潮新人賞候補、「黄金の服」で野間文芸新人賞候補、「きみの鳥はうたえる」「空の青み」「水晶の腕」「黄金の服」「オーバー・フェンス」で五度の芥川賞候補となるが、いずれも受賞を逃した。「そこのみにて光り輝く」が三島由紀夫賞に落選した翌1990年に国分寺の自宅近くの畑で自殺した。三島賞の選考委員の中で唯一「そこのみにて光り輝く」を推していたのは、作風が似ていた中上健次ではなく、保守派の文芸評論家の江藤淳(1932-1999)であった。佐藤の死に衝撃を受けた江藤は他の選考委員に気兼ねしたことを悔やみ、これからは自分の文学的理念には絶対に妥協しないと異様な熱量のある文章を綴っている。

 佐藤の死後、著作は一冊も文庫本になることなく全て絶版となり、急速に忘れ去られていった。再評価のきっかけとなったのは、歿後17年目の2007年に文弘樹氏がひとりで経営している出版社であるクレインより刊行された『佐藤泰志作品集』であった。2010年にこの作品集に感銘を受けた函館市の映画館と市民との協力によって映画『海炭市叙景』が製作され国内外で高く評価される。同年に函館市出身の小学館の編集者によって『海炭市叙景』が小学館文庫に収録され、その後ほとんどの代表作が小学館文庫と河出文庫にはいり新しい読者を獲得した。函館市佐藤泰志の映画化プロジェクトは『そこのみにて光り輝く』『きみの鳥はうたえる』『オーバー・フェンス』『草の響き』と続き、いずれも高い評価を得ることとなる。

 佐藤の活動時期はバブル景気と重なっており、逃げ場のない日常の中でもがき苦しむ若者の閉塞感を描く作風は広く理解されず、バブル崩壊後の格差社会の進展とともに読者の共感を集めることとなった。しかしそれでも、佐藤の作品を読んでいると、なぜこれほどの作家が生前評価されずに終わったのかと悔やまれてならない。

 出口のない貧しい生活の暗さの底知れなさを描きながら、そこになお光り輝く一筋の生を求め続ける。佐藤泰志の作品には、現代にもなお生き続けている文学の力そのものがある。

 

2・野呂邦暢(のろ・くにのぶ、1937-1980)『野呂邦暢小説集成』(全九巻、文遊社)

3・野呂邦暢『随筆コレクション1 兵士の報酬』『随筆コレクション2 小さな町にて』(みすず書房

 佐藤泰志野呂邦暢を好んでいたという。確かに二人には共通点が多い。函館と諫早の地方都市の生活を題材にし、清冽な文体を特徴とする。二人とも早逝し、最近まで作品が入手困難であった。

 野呂邦暢長崎市に生まれ、疎開先の諫早市から原爆の閃光を目撃する。その後三つの湾の水と空気が混じりこむ諫早の風土の中で育つ。

 川村二郎から「言葉の風景画家」と呼ばれた野呂の小説・随筆は、端正な文体から強烈なイメージを喚起させる。1973年の芥川賞候補作「鳥たちの河口」では、労働争議がきっかけで職を失った男が、諫早湾の干潟でのバードウォッチングに熱中する。未来への不安、渡り鳥から感じる世界の変異、傷ついた「カスピアン・ターン」の治療を通じて現れる家族と世界の再生への光が、卓越した自然描写によって描かれている。

 一方で奇異な印象を受けるのは、野呂には自衛隊経験があることである。大学浪人中に父の事業の失敗によって進学を断念し、職を転々としていた野呂は不景気のために19歳で陸上自衛隊に入隊する。長崎県内の相浦教育隊での訓練を経て、対ソ防衛の最前線であった北海道北部方面隊に配属される。

 堀江敏幸も書いている通り、野呂は自衛隊に入りそうなマッチョな文学者では決してなかったが、原爆、九州が後方支援地となった朝鮮戦争自衛隊経験、戦記蒐集と野呂のなかで戦争は大きなテーマであり続けていた。自衛隊経験を綴った「草のつるぎ」は、自衛隊への忌避感情が強かった1974年当時としては異色の作品で、左派の一部からの批判を受けつつも芥川賞を受賞した。旧日本軍の記憶、米軍と国民との微妙な距離感を背景に、夏の暑さの中の苛酷な教練によって精神を捉え直す一青年を緻密に描いている。また1957年の諫早大水害のエピソードも盛り込まれており、災害小説としても読み直せる。

 中央文壇から一定の距離を保ち諫早を拠点にし続けた野呂は、ミステリー仕立ての『愛についてのデッサン』、歴史物の『諫早菖蒲日記』、ティーンズ小説などと執筆の幅を広げていったが、1980年に心筋梗塞で急死する。

 玄人筋からの評価は高いものの、一般的な認知度が低い状態が続いていたが、最近になり『野呂邦暢ミステリ集成』(中公文庫)、『愛についてのデッサン』(ちくま文庫)などが簡単に入手できるようになった。

 

 

4・石塚久郎(1964-)編『病短編小説集』『医療短編小説集』『疫病短編小説集』(平凡社ライブラリー)

 2016年に『病短編小説集』、2020年に『医療短編小説集』、2021年に『疫病短編小説集』が出版され、トリロジーの形を取ることとなった。専修大学のゼミをもとにしており、2020年以降はリモート講義での学生とのディスカッションから生まれていった。まさに同時代的なアンソロジーである。

 コロナと共に再注目されたヴァージニア・ウルフはエッセイ「病気になること」において、文学は英雄や戦争、恋愛のことばかりに注目し、病気についてはほとんど書いてこなかったと語っていた。「医療人文学」は、人文学を医療・病気という観点から捉え直すだけでなく、医学の現場においても、倫理教育の一環として取り入れられつつある。

 扱われている短篇が非常に面白い。例えばアーサー・コナン=ドイルの「ホイランドの医者たち」は女性医師をテーマとする。一人の男性医師しかいなかった田舎町で、女性医師が開業する。女に医者は務まらないと馬鹿にしていた男性医師だが、意に反して女性医師は腕前と人当たりの良さから村で評判を呼んでいく。患者が離れて情緒不安定になり女性医師に嫉妬する(このような短所は元々男性医師が女性を馬鹿にするときに挙げていた)男性医師だが、馬車の事故で自分が女性医師の治療を受ける羽目になる。しかしそこで女性医師の人間的魅力に気づく……。

 ここまで読んで、エンターテインメント小説の常として、ドタバタを経てこの二人は結ばれるのだろうという予想をしてしまったのだが、小説巧者のコナン=ドイルはこちらの(あさはかな!)読みを裏切った。女性医師は医学の道を極めなければいけないと、男性医師のプロポーズをあっさりと断るのである。

  また小説本篇そのものだけでなく編者による解説が非常に興味深い。小説本篇で不思議に思った描写も、解説で鮮やかに解き明かしてくれる。

 例えば、ラドヤード・キプリングの「一介の少尉」はインドで重病になる。その男仲間たちと恋人との関係を、編者は「男同士の絆」から読み解く。男同士の絆とは、イヴ・K・セジウィックの『男同士の絆 イギリス文学とホモソーシャルな欲望』(名古屋大学出版会)によって知られるようになった概念であるが、もとの論文は非常に難解である。しかしながらこの「一介の少尉」の解説によって、男同士の絆はなぜ同性愛嫌悪と女性蔑視によって成り立っているのかを明瞭に理解できるようになるだろう。

 もともと『病短編小説集』と『医療短編小説集』だけを企画していたようだが、コロナの影響で『疫病短編小説集』も編まれることとなった。編者の好みで伝染病関係の文学は扱いが薄くなっていたが、文学の責務として社会に応答すべきであると考えたのだという。

 確かに疫病を文学で表現するのは難しい。そもそも形がみえないのだから。みえない疫病を表象化しようとしたのがエドガー・アラン・ポーの「赤き死の仮面」であったが、舞踏会に現れた「赤き死の仮面」を剥ぎ取ったところ、そこには…何もなかった! それでも天然痘コレラ、スペイン・インフルエンザなどを果敢に取り上げた小説が読ませる。

  編者は今回のコロナも文学において「たとえ時間がかかっても、それは書かれるであろうし、書かれなければいけない」と訴える。それまでの間、このトリロジー現代文学の一つの指標となるであろう。

 

5・小島庸平(1982-)『サラ金の歴史 消費者金融と日本社会』(中公新書

 埼玉県深谷市は日本の資本主義史上において著名な人物を二人育てた。一人はもちろん渋沢栄一である。そしてもう一人は悪名を轟かせた武富士の創業者・武井保雄である。

 日本の消費者金融サラ金)は、2000年代にチワワブームをもたらした「どうする? アイフル!」や華美な「武富士ダンサーズ」のCMなどで知名度を上げたが、多重債務や苛酷な取り立てによって社会的なバッシングを受けることとなる。

 ところで2006年のノーベル平和賞バングラデシュグラミン銀行が受賞した。グラミン銀行は、貸し手がつかない貧困層向けに高利ながらも貸付を行う「マイクロクレジット」によって貧困を解決したという。このビジネスモデルは日本のサラ金とほぼ同じである。それではなぜ、グラミン銀行ノーベル平和賞で讃えられたのに、日本のサラ金は絶対悪と断罪されなければいけないのか?

 『サラ金の歴史』はこれまで学術的にあまり取り上げられてこなかったサラ金を真正面にテーマにした非常に興味深い新書である。

 例えば、サラ金の発達は実は日本企業の人事制度と結びついていたという意外な指摘がある。日本の評価査定において、成果主義能力主義ではなく情意考課が重視されていた。飲み会において元気に振る舞う社員が会社に勢いを与えてくれるという暗黙の了解から、サラ金から借りてでも飲み会や付き合いに精力的に取り組む男性社員こそ評価されていたのである。

 逆に「サラ金」という名称とは裏腹に、女性との結びつきも強かった。銀行からの融資対象ではなかった女性は、家計のやりくりのためにサラ金を頼り、サラ金も貸倒のリスクの低い優良貸付先として開拓していた。家庭崩壊という問題にもつながった一方、女性の貴重な資金源としての金融包摂の役割も担っていたのである。

 そのほかにもジェンダーフィンテック感情労働など、現在の経済研究で注目される概念からサラ金を解剖していき、まさに目から鱗が出るような驚きを与える。サラ金というダークサイドから戦後日本経済の実態が抉り取られる。

 

6・川添愛(1973-)『言語学バーリ・トゥード Round1 AIは「絶対に押すなよ」を理解できるか』(東京大学出版会)

 副題の「AIは「絶対に押すなよ」を理解できるか」だけで、笑える本であると分かるだろう。ユーミンの名曲は「恋人はサンタクロース」ではなく「恋人がサンタクロース」である理由(この本で初めて気づいた)、大槻ケンヂが恐山に行ったときにジミ・ヘンドリックスから津軽弁で励まされた話など、さまざまな話題から言語学にまつわる話題をユーモラスに取り上げる。

 「バーリ・トゥード」とはサンスクリットか何かの言葉かと思っていたが、「何でもあり」の総合格闘技のことらしい。プロレス好きの筆者が、東京大学出版界のPR誌『UP』で題名の説明もなしに連載を始めたところ、東大の物理学の教授から怒られたことに対する弁解文がこれまたおかしい。

 

7・保坂正康(1939-)『戦場体験者 沈黙の記録』(ちくま文庫)

 

 正直なところ読んでいて気が進まないが、戦場を体験した人々の異常な経験を克明に残した重みのある記録である。

 戦場の中の飢餓、暴力、殺人、自殺、性処理などでトラウマを抱える復員兵がいた一方、戦後の公式戦史・戦友会ではトラウマを忘却するかのように記憶が再編されていった。

 中国人に日本人の戦争責任を詰められた著者が、自分は当事者ではないから謝罪はしないが今後このようなことがおきないようすることが今の自分の責務である、と語るのが重い。

 

8・大澤真幸(1958-)『社会学史』(講談社現代新書)

 社会学の流れをコンパクトにまとめた本で、概念の流れがわかりやすい。

 ただしこの本に対して、社会学者の佐藤俊樹が「神と天使と人間と」と題した書評(『UP』2019年6月号・7月号)でマックス・ヴェーバーの単純な事実誤認の指摘から始まる痛烈な批判を寄せているので留意が必要である。

 

9・大野耐一(1912-1990)『トヨタ生産方式 脱規模の経営をめざして』(ダイヤモンド社)

 カイゼン、ジャスト・イン・タイム、カンバンなどに代表されるトヨタ生産方式を作り上げた張本人がその全貌を語る。

 世間一般に言われるトヨタ生産方式とは異なる見解が二つあった。

 一つはトヨタ生産方式は低成長時代のために存在するものであるという主張である。高度経済成長期だからこそ成り立ったトヨタ生産方式は、現在の経済停滞期には役立たないという意見もあるが、実際にトヨタは高度成長期にも重要なプレーヤーであったが、オイルショック後に一気に他社を突き放した。

 もう一つは、トヨタ生産方式はなかなか真似できないものであるという主張である。米国などの企業がトヨタを視察するなどして、トヨタ生産方式は世界中に知れ渡った。トヨタ生産方式が普及してしまうと、トヨタコア・コンピタンスは失われてしまうのではないかと疑問に思っていたが、なおトヨタは高い競争力を維持している。トヨタ生産方式は、徹底した教育、サプライヤーとの緻密な連携があって初めて機能するものであり、うわべだけを取り入れて中途半端に活動していたほとんどの他社では効果を発揮することはなかったのである。

 

10・三谷宏治『経営戦略全史』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)

 ボストン・コンサルティング・グループアクセンチュアなどで戦略コンサルタントとして働いてきた著者が、学術研究と一般のビジネス書の事例紹介との間をポジショニングして、人物と歴史を軸に経営戦略を語る。

 科学的な管理を目指す大テイラー主義マイケル・ポーターなど)と人間の感情的側面・能力を重視する大メイヨー主義(ジェイ・バーニー、野中郁次郎など)の対立を軸にして魅力的にまとめている。