1・濱口竜介『ハッピーアワー』(2015)
2・濱口竜介『ドライブ・マイ・カー』(2021)
3・濱口竜介『Passion』(2008)
4・濱口竜介『偶然と想像』(2021)
6・濱口竜介『親密さ』(2012)
7・濱口竜介『永遠に君を愛す』(2009)
8・岡本喜八『肉弾』(1968)
9・ヴァーツラフ・マルホウル『異端の鳥』(Nabarvené ptáče / The Painted Bird、2019、チェコ・スロヴァキア・ウクライナ)
10・クリント・イーストウッド『クライ・マッチョ』(Cry macho、2021、米)
1・濱口竜介(1978-)『ハッピーアワー』(2015)
濱口竜介の作品で不満なことと言えば、DVDや動画配信で気軽に観られる作品が少ないことと、長尺・長回しで観るのに気合いがいることくらいである。2015年発表の『ハッピーアワー』は現段階の濱口竜介のフィルモグラフィーにおける最高傑作であるとしばしば言われながらも、その外形的欠点によってのみあまり知られていないきらいがある。
神戸を舞台として、演技経験がほとんどない4人によって演じられる30代後半の女性の日常の破綻と修復を五時間強かけて剔出する。一見、幸福な女同士の絆を描いていくのかと思わせておいて各人の抱える問題が複雑に絡まり合って暗転していくのだが、「ハッピーアワー」という題名を単なる皮肉とは思わせない程の力強さを感じさせた。
2・濱口竜介『ドライブ・マイ・カー』(2021)
妻の急逝から数年後、主人公の家福(西島秀俊)は広島での国際演劇祭の演出を担当することとなり、事務局からの要請でいやいやながら愛車に専属ドライバー(三浦透子)をつける。そこに妻の不倫相手と疑っていた若手俳優(岡田将生)がオーディションに現れる。
村上春樹の短篇集『女のいない男たち』(文春文庫)を原作としているが、むしろチェーホフの演劇『ワーニャ伯父さん』に重きがあり、ほぼ全篇が『ワーニャ伯父さん』の演技指導の過程で占められている。韓国手話を含む多言語を混ぜ合わせた挑戦的な演出は逆に日本語によるコミュニケーションの断絶の存在の方を深く意識させる。
3・濱口竜介『Passion』(2008)
東京藝術大学大学院修士課程の卒業制作で若干粗い箇所もあるが、学生映画でここまでの作品を作ってしまうのかという驚愕した。
冒頭の不穏さを醸し出した同級生の結婚報告を起点として男女同士が呼び戻してはいけない過去の慾望を引き摺り出して破綻を生むこととなる。終盤にある埠頭のシーンのすさまじい長回しと、すれすれのところでの破局の回避を暗示した演出に感銘を受けたが、偶然撮れたものだと知ってさらに驚いた。
4・濱口竜介『偶然と想像』(2021)
『ドライブ・マイ・カー』と同年に発表され、オバマ元大統領も2022年に感銘を受けた映画の一つとして挙げている。3つの短篇よりなるオムニバス映画であり、濱口作品のお試しにふさわしいと思う。ただし宣伝がポップなくせに大変毒々しかった。
多くの濱口作品は現代史上のカタストロフィーを想起させずにはおかない一方で、それを直接描くことはほとんどない。『ハッピーアワー』は阪神淡路大震災・東日本大震災のことが語られるがその影響が直接語られることはない。『親密さ』は2010年の北朝鮮の延坪島砲撃をモチーフにしたと思われる事件が重要な鍵となってはいるものの、2011年3月まで刻々と時間がを提示しながら、クライマックスは2011年3月上旬の劇中劇の上演で終わってしまう。その後にある数年後のエピローグでも震災のことには触れられていない。『ドライブ・マイ・カー』のエピローグでは、マスクとアクリル板のパーティションのみでコロナ後の世界になったことを示唆するのみである。『寝ても覚めても』は途中で東日本大震災を直接(東京都心部の揺れと交通の麻痺だけとはいえ)描いており珍しい。
朝子(唐田えりか)は、数年前大阪で突然いなくなった恋人の麦(東出昌大)と瓜二つの亮平と東京で出会う。朝子は亮平に惹かれながらも意識的に避けるようにしていたが、地震の混乱の中で偶然縒りを戻すこととなる。
レベッカ・ソルニットは惨禍の中で人々の善意が高揚して一時的に出現する理想郷のことを災害ユートピアと名づけたが、最悪期を脱し日常に回帰していくにつれ徐々に軋轢が生まれて緩慢な崩潰に至る。朝子は亮平と東北の被災地のボランティアに度々赴くが、かつての恋人との再会の可能性が生まれたことによって、破滅することが必至であろう選択をとってしまう。
初見では気づかなかったが2022年に不慮の事故で亡くなったザ・ドリフターズの仲本工事が被災地の仮設住宅の住民役で出演している。中盤と終盤の、ほんの数分しか出ないが、都市部の出演者たちの甘い見通しを峻拒するような異質さが目立つ。
濱口監督自身も東北でのドキュメンタリー制作がフィルモグラフィーの転機となったと語っているのだが、「東北記録映画三部作」は劇映画よりも視聴の機会が限られているのが残念である。
6・濱口竜介『親密さ』(2012)
濱口作品は乗り物の描写が多く、特に鉄道に対する嗜好が感じられる。映画でよくあるような非日常的な特急・観光電車というよりは、日常的な通勤型車輌の描写を効果的に取り入れている点に特徴がある。麻耶ケーブルから始まる『ハッピーアワー』でも、JR西日本の神戸線での通勤電車のすれ違いが効果的に用いられ、『永遠に君を愛す』では異様なほどに西武池袋線と総武線の乗車時間が長い。不思議なことに『ドライブ・マイ・カー』には全く鉄道は出てこない。題名からして車がメインになるのは当然とはいえ、都内から成田空港に行くのにも鉄道ではなく車で行くし、広島でも路面電車はほとんど出てこない。思うに、高度に私的な空間である愛車の中に、他者である専属ドライバーと亡妻の不倫相手が侵入することによる変容を強調するためにあえて鉄道を排除したのではないだろうか。
『親密さ』では執拗なほどに鉄道が登場する。新作劇の上演準備をする中で生まれてくる学生たちの軋轢と、その舞台の実際の上演を丸ごと盛り込んだ異様な展開の中で、鉄道のモチーフや表現、乗車シーンが使われ、エピローグは京浜東北線と山手線の並走区間で印象的に終わる。
「言葉は想像力を運ぶ電車です」から始まる詩の朗読では、各停、急行、快速の比喩を用いて各人の言葉の緩急とすれ違いを語り、「2012年には東京メトロ副都心線と東急東横線がつながるみたいに/今まではつながれなかったあれもこれもつながるんだろうか/そんなことを想像しています」と締められる。登場人物たちが日頃使っている具体的な路線名が不意に登場してきて効果を出している。
7・濱口竜介『永遠に君を愛す』(2009)
結婚式当日に新婦が過去の不倫を打ち明けたことで式は暗転する。過去の記憶と将来への不安で揺れ動く男女とかつての浮気相手、周囲の人々をユーモラスに描く小品。
8・岡本喜八(1924-2005)『肉弾』(1968)
遊女屋で出会った少女を空襲で殺したアメリカに復讐するため、ナレーションで「あいつ」と呼ばれる男(寺田農)が魚雷と共に太平洋を漂流する。洗練されたカメラワークが印象的でユーモアに溢れながらも戦争の暗鬱さを感じさせる。
9・ヴァーツラフ・マルホウル(1960-)『異端の鳥』(Nabarvené ptáče / The Painted Bird、2019、チェコ・スロヴァキア・ウクライナ)
ヴェネツィア国際映画祭の上映時に途中退出者が続出し、暴力的な描写が物議を醸しながらも高く評価された。原作者のイェジー・コシンスキは盗作、捏造疑惑などで批判を受けており、発表の数十年後にニューヨークでビニール袋を被って自殺した。
戦時の東ヨーロッパで、ホロコーストを逃れて疎開したユダヤ人と思しき少年が、行く先々でドイツ軍だけでなく住民たちにも差別を受け続ける。何らの良心も現れる余地はない。
映画内で使われている言葉がスラヴ系の響きであったのでチェコ語だと思って観ていたが、インタースラーヴィックという現在ではほとんど使われていないスラヴ系の国際人工言語が使われている。原作者がユダヤ系ポーランド人で映画の監督はチェコ人であり、まさに東ヨーロッパ的な映画といえるだろう。特に今思えば、制作にはチェコとスロヴァキアに加え、2014年から事実上の戦争状態に入っていたウクライナ資本も入っていたことが意義深い。
10・クリント・イーストウッド(1930-)『クライ・マッチョ』(Cry macho、2021、米)
イーストウッドが91歳で監督と主演を務めた。
離婚したアルコール依存症の妻から息子を取り戻してほしいという依頼を受けメキシコに向かう元ロデオ・ボーイの物語ということで、共同親権のような保守派好みのテーマかと思ってあまり期待していなかったが、まことに珍妙な作品であった。正統派の『運び屋』(2018)の方が世間的には評価が高いようだが、現在の実際の事件の当事者たちを主演に据えた『15時17分、パリ行き』(2018)のような変な作品の方が今のイーストウッドの良さが出ていると思う。
イーストウッドは、メキシコで少年を見つけ出すが、ついでに闘鶏にハマっている少年が飼っている鶏のマッチョも連れていく。テキサスまでの帰り道に、母親とその取り巻きのギャングや警察に追われるが、手抜きかと思ってしまうようなご都合主義的な展開で乗り切る。今時の映画で使ったら恥ずかしくなるようなあからさまなデウス・エクス・マキナであるのに、意外と気にならない。
イーストウッドが説く男らしさ(マチズモ)も実際に聞いてみれば何だかへなへなな価値観であるし、人間よりも馬や鶏などの動物といる方が楽しそうである。テキサスの元ロデオ・ボーイというアメリカの保守派が好きそうな人物造形であるが、スペイン語はしっかり話せるし、どこかで覚えたという手話を使う場面もあって、同年代に若手のリベラルな監督によって作られた『ドライブ・マイ・カー』や『CODA あいのうた』などと奇妙な合致が発生している。2020年代のイーストウッドの新局面を感じさせる作品である。今後また新作を出してくれるかはわからないが。
その他によかった作品
・アスガー・ファルハディ『別離』(2011、イラン)
・アスガー・ファルハディ『セールスマン』(2016、イラン)
・ロベール・ブレッソン『白夜』(1971、仏)