Дама с Рилаккумой

または私は如何にして心配するのを止めてリラックマを愛するようになったか

2022年に読んだ本ベストテン

1・徳田秋声『あらくれ・新世帯』(岩波文庫)

2・干刈あがた干刈あがたの世界』(全6巻、河出書房新社)

3・善教将大『大阪の選択 なぜ都構想は再び否決されたのか』(有斐閣)

4・井谷聡子『体育会系女子のポリティクス 身体・ジェンダーセクシュアリティ』(関西大学出版部)

5・ジェイ・B・バーニー『新版 企業戦略論』(全3巻、ダイヤモンド社)

6・遠山暁・村田潔・古賀広志『現代経営情報論』(有斐閣アルマ)

7・織田作之助夫婦善哉 決定版』(新潮文庫)

8・川端康成眠れる美女』(新潮文庫)

9・小泉悠『「帝国」ロシアの地政学 「勢力圏」で読むユーラシア戦略』(東京堂出版)

10・北村薫『雪・月・花 謎解き私小説』『水 本の小説』(新潮社)

 

 

1・徳田秋声(1872-1943)『あらくれ・新世帯』(岩波文庫)

 徳田秋声は前々からその名前を知りながら、十数年ほど読む契機がこなかった。

 最初に知ったのは、2020年に急逝した坪内祐三が、エッセイ集『人生天語』(文春文庫)において、神保町にある八木書店の『徳田秋聲全集』の完結を祝した回であった。地味で渋い作家、ということを何度も強調しながらも、夏目漱石谷崎潤一郎と並ぶ近代日本文学の三大文豪に挙げていた。坪内氏ほどの好事家がここまで評価する秋声という人物が気になった。

 それと同じ頃、読書家で知られた俳優の児玉清の自叙伝的な読書録『寝ても覚めても本の虫』(新潮文庫)を読んだ。読書家になったきっかけが秋声の『縮図』(岩波文庫)で引き込まれたからだと語られていた。『寝ても覚めても本の虫』はミステリーやエンターテインメント作品の紹介がほとんどを占めており(百田尚樹の『永遠のゼロ』が講談社文庫に収録されてからにわかに注目を集めたのも児玉清が文庫版解説で号泣しながら読んだと絶賛したこともあるだろう)、冒頭の純文学、それも自然主義作家の『縮図』だけが変に浮いているように思った。それが気になって『縮図』を手にしたが数頁読んでみて良さがわからず、同じ金沢出身の三文豪と呼ばれる泉鏡花室生犀星の名前は度々聞きおりにふれ読んできたものの、秋声だけはそれきり完全に縁が切れてしまった。

 2020年代に入ってから、間歇的に秋声のことを聞くことになった。

 はじめに遭遇したのは、岩波書店のPR誌『図書』2021年12月号の日本近代文学の研究者・大木志門氏のエッセイ「東京五輪の年に読む徳田秋声『縮図』」であった。そこでまず引用されていたのは、自然主義文学とは縁がありそうにもないビジネス誌ニューズウィーク日本版』の記事であった(「閻連科:中国のタブーを描き続けるノーベル文学賞候補が選ぶ意外な五冊」(2020年8月11日・18日合併号))。

https://www.newsweekjapan.jp/stories/culture/2020/08/5-109.php

 挑撥的な作品により度々発禁となりながらノーベル文学賞の有力候補と言われている現代中国の作家である閻連科氏が選んだ一冊が「今日ではもはや日本の読者でさえ改めて読むこともない小説かもしれない」徳田秋声の『縮図』であった。マジックリアリズムの作風である閻連科が秋声を好むことに驚いた。

 さらに、岩波文庫での『あらくれ・新世帯』の刊行と『縮図』の増刷の背景には、DMMのゲーム「文豪とアルケミスト」で知った若年層からのリクエストが多かったことがあり、そのゲームにおいて美青年に転生した徳田秋声の人気は「如何せん目立たず存在感が薄いことは否めない」というキャラクター紹介にも関わらず、若者受けしそうな太宰治中原中也をもおさえているという!

 次に新潮社のPR誌『波』での北村薫氏の連載エッセイで不意に秋声が出てきた。様々な本の話題がつながっていくこちらのエッセイで、金沢出身の鏡花と犀星に続けて、秋声の逸話が語られ、そのまま北陸新幹線で金沢の徳田秋聲記念館での生誕150周年記念講演へと赴く。

 最後に『日本近代短篇小説選』(岩波文庫)の明治篇2に収録された短篇「二老婆」(1908)で再び秋声を読むこととなった。題名からしてあまり読む気はなく、アンソロジーとして義務的に読んだわけであるが、東京で貧困に喘ぐ二人の女性の生活の残酷さとそれをあくまで写実的に描写する冷淡ともいうべき筆致に衝撃を受けた。

 「あらくれ」は1915年に『讀賣新聞』で約100回にわたって連載されたが、毎回毎回主人公のお島が周囲の干渉に対して癇癪を起こし、その自己主張が当時の読者にも毎日強烈な印象を与えたことであろう。お島は養家からの結婚相手を拒絶して養家を出、日本中を彷徨しながら不甲斐ない男たちとの交流の傍ら自らの商売の道を切り開いていく。(秋声との関係は良好だったものの)反自然主義の位置にいた漱石が「あらくれ」を現実そのままを書いているだけで「その裏にフィロソフィーがない」と批判したことが有名だが、「あらくれ」は今日的な意味において紛れもなくフェミニズム文学であり、アクチュアルな意味合いで読み直されなければいけない作品である。

 

2・干刈あがた(1943-1992)『干刈あがたの世界』(全6巻、河出書房新社)

 干刈あがたは『ウホッホ探検隊』と『ゆっくり東京女子マラソン』というふざけたような題名の小説の作者としてのみ知っていたが、『戦後短篇小説再発見』の第4巻「漂流する家族」に収録されていた「プラネタリウム」に感動した。仕事が忙しくて家に帰ってこない夫を待つ妻とその息子たちが、楽しみを繕いながらなお隠せぬ寂しさを様子を描き、卑近な家庭風景の中に徐々に宇宙のイメージが入ってきて、ティッシュペーパーの箱で作ったプラネタリウムの底で妻子が愉悦に浸りながら漂流して終わる。

 干刈あがたは現在あまり読まれていない作家だが、離婚やシングルマザー、共働き、子育てといったテーマを扱った小説群はむしろ今こそ注目されなければいけないはずである。『ウホッホ探検隊』は離婚した母子家庭の手探りの交流を辿るが、息子の語る「僕たちは探険隊みたいだね。離婚ていう、日本ではまだ未知の領域を探険するために、それぞれの役をしているの」というように筆致は至ってユーモラスである。題名の「ウホッホ」もまた、離婚した父が家に来たときに躊躇いがちにする咳払いのことであり、微妙な感情の揺れ動きの中でも、離婚を必ずしも悲観的にとらえずむしろ新しい家族の形の創生として積極的・ユーモラスに模索していく。『ゆっくり東京女子マラソン』はPTAという文学ではほとんど扱われなかった舞台(強いて言えば筒井康隆の「くたばれPTA」くらい)にして女性が様々な問題をゆっくり乗り越えていく様子を描く。

 作者の早逝後刊行された『干刈あがたの世界』は、奥付を見る限りだと元々12巻を予定していたようだが、第一期の6巻のみで中断したらしい。干刈あがたの作品は朝日文庫河出文庫で『ウホッホ探検隊』が何度か再刊されているが現在あまり出回っておらず、それ以外の作品はほとんど見つけられない。この責任の一端は版元にあるといってよく、干刈がデビューしたのは福武書店が発行していた文芸誌『海燕』の新人賞であって、小説のほとんどが『海燕』に掲載後、福武書店から刊行、文庫化されていた。しかし出版事業に興味のない2代目社長になってから福武書店ベネッセコーポレーションに社名を変更し、文芸事業から完全撤退したため干刈作品のほとんどが絶版になってしまった。罪な話ではある。

 

3・善教将大(1982-)『大阪の選択 なぜ都構想は再び否決されたのか』(有斐閣)

 

 2018年の『維新支持の分析 ポピュリズムか、有権者の合理性か』(有斐閣)で知られる政治学者が、2020年の大阪都構想の再度の敗北の謎を読み解く。

 2020年11月に行われた大阪都構想の可否を巡る2回目の住民投票、コロナ対応で吉村洋文・大阪府知事が人気を集め、また関西で強固な地盤のある公明党が国政で協力関係にある自民党と袂をわかち応援に回ったことにより、可決されるとの予想が多かったが、前回と同じように僅差で否決された。

 感情的な議論が紛糾しがちな維新政治であるが、この本は実証データをもとに実態を紐解いていく。維新の会そのものの分析だけでなく、有権者の政治行動やデータ分析の実践方法の教科書としても優れている。

 エキセントリックな言動で目立つ創設者の橋下徹や吉村知事の存在は主要な支持要因ではなく、維新の地元政策の効果を実感して緩く支持している支持者の方が多い(国政では維新ではなく自民党への投票が多い)。維新支持の理由の主たるものはこれまでの大阪府大阪市の二重行政の弊害打破への期待であったが、維新の登場によって相当の程度で改善された。逆に言うと、現状で維新のおかげでもう回っているから、わざわざ大阪都に移行するメリットを感じられなくなったという。維新政治の本丸であるはずの大阪都構想は、維新支持者によって逆説的に否決されたといえる。

 再び都構想が否決されたとはいえ、維新はその後も広く支持を集めている。都構想の支持者は相当数いたのだから、たとえ反対派であっても二重行政に関する問題は真摯に取り組まなければならないと釘を刺す。コロナ以降は独裁・権威主義体制の方が優れているという議論がにわかに広まったが、この本は地味な代議制民主主義の長所をも暗に示している。

 

4・井谷聡子(1982-)『体育会系女子のポリティクス 身体・ジェンダーセクシュアリティ』(関西大学出版部)

  これまで男性が中心であったサッカーやレスリングを主な題材として、日本の女子スポーツがをフェミニズム理論、クィア理論やポストコロニアル理論(この辺りは欧米での既存研究にはあまりみられない独自性がある)などを用いて分析する。「女らしくあれ」という要求と「女になるな」という要求とが同時に突きつけられる矛盾したフィールドのうちに孕む問題と可能性を探っていく。用いられる理論は決してわかりやすいものではないが、馴染みのある女子スポーツの見方を確かに変容させる研究書であった。

 

5・ジェイ・B. バーニー(1954-)『新版 企業戦略論』(全3巻、ダイヤモンド社)

 RBV(Resource Based View)の代表的研究者であるバーニーによって作成された企業戦略論のテクストで、MBAでも広く教科書として用いられている。RBVとは反対のポーターのポジショニング理論にも触れられており参考になる。

 

6・遠山暁・村田潔・古賀広志『現代経営情報論』(有斐閣アルマ)

 近年盛んに言われるようになったDX(デジタル・トランスフォーメーション)の教科書と銘打たれているが旧版の『経営情報論』は2003年に刊行されている。それだけに流行に囚われない確固とした社会学的・思想的な議論が展開されており類書と一線を劃す。

 開発手法やUI、データベースなどの基本的な話題にも触れながら、本書で一貫して主張されているのは、一回DXを取り入れれば解決するというような「技術決定論」はあり得ず、情報技術は人間と社会との軋轢を経ながら、徐々にそれらを変え、また変えられていくという思想である。

 

7・織田作之助(1913-1947)『夫婦善哉 決定版』(新潮文庫)

 甲斐性なしの男とそれに呆れながらも付き添って生計を立てていく女を描いていき、二人が法善寺境内の「めをとぜんざい」を食べて終わる。大阪弁の会話を基調とした文体は饒舌だが、それでいて不思議と引き締まっている。

 2007年に続篇の原稿が発見されており、新潮文庫の決定版はこの「続夫婦善哉」を併録している。時々ある文豪の習作や書簡の発見などとは比較にならないようなとんでもない発見であるが寡聞にして知らなかった。大阪・法善寺における「めをとぜんざい」を食べての終わり方は完璧であり、「夫婦善哉」によって大阪を象徴する作家となった織田作之助であったが、意外なことに「続夫婦善哉」は大分県の別府に舞台を移して新しい局面へと向かっている。

 

8・川端康成(1899-1972)『眠れる美女』(新潮文庫)

 川端康成は日本的な情緒を書いた作家とされるが、その感性は一般的な日本人とはかけ離れており非常に個人的なものであるように思われる。川端のそもそもの文学的出発点が、横光利一と同じ新感覚派であったことを考えると当然とはいえるが、『眠れる美女』は川端の異様な感覚を知るのに適した短篇集である。

 性的に不能になった老人が睡眠薬で眠らされている美女と添い寝をする「眠れる美女」、娘の片腕と一緒に過ごす「片腕」などを収めている。文庫版の解説は三島由紀夫で、「熟れすぎた果実の腐臭に似た芳香を放つデカダンス文学の逸品」と川端文学の異常さを的確に指摘している。

 

9・小泉悠(1982-)『「帝国」ロシアの地政学 「勢力圏」で読むユーラシア戦略』(東京堂出版)

 ウクライナ侵攻後に一般的にも著名となったロシア軍事専門家が、ロシア内での思想的なバックグラウンドをもとに現代ロシアの軍事戦略を分析する。距離的にはわずかしか離れていない根室国後島とで時差が2時間あるために発生するビザなし交流のトラブルなど、逸話のいちいちが面白く、西側には馴染みのないロシア側の安全保障的価値観を一通りする上で有益である。

 広大な領土と国境線を抱え、経済的に無理をして維持しているロシアの軍事力は見かけほど強くはないが、期待するほど弱くもないという観点に立つ。近年活潑化してきたロシア軍のウクライナコーカサス地方中央アジア、シリア、中国、北方領土、北極圏での動きを追い、独特な安全保障上の価値観を浮き彫りにする。エピグラフに2008年のNATOの会議においてプーチンがブッシュに言ったとされている「ジョージ、ウクライナは国家でさえないんだ!」という言葉が引用されていてゾッとする。

 

10・北村薫(1949-)『雪・月・花 謎解き私小説』『水 本の小説』(新潮社)

 年初から気が滅入ることが続いた2022年は、『波』に連載されているこちらのエッセイが癒しであった。

 ミステリー作家が純文学、ミステリー、詩歌、演芸、映画、テレビなどのエピソードを次々とあげていくエッセイ風の小説であるが、ほとんどが知らない話で、思わぬところへ謎が飛んでいき展開が読めない。博覧強記の優しいおじさんとしての語り口が毎回楽しみである。

 

その他のよかった本

『日本近代短篇小説選』(全6巻、岩波文庫

『現代小説クロニクル』(全8巻、講談社文芸文庫

『戦後短篇小説再発見(全18巻、講談社文芸文庫

岡本かの子『老妓抄』(新潮文庫)

松本清張『蒼ざめた礼服』『渡された場面』『隠花平原』(新潮文庫)

松本清張球形の荒野』(文春文庫)

沼野充義沼野恭子『ヌマヌマ はまったら抜けだせない現代ロシア小説傑作選』(河出書房新社)

『日本近代随筆選』(全3冊、岩波文庫)

アーサー・コナン・ドイル『失われた世界』(創元SF文庫)

千街晶之編『伝染(うつ)る恐怖 感染ミステリー傑作選』(宝島社文庫)

頭木弘樹編『トラウマ文学館』(ちくま文庫)

風間賢二『怪異猟奇ミステリー全史』(新潮選書)

北村一真『英語の読み方 ニュース、SNSから小説まで』(中公新書)

シャーロック・ホームズで学ぶ英文法』(アスク)

河合香織『母は死ねない』(2023年に筑摩書房より刊行予定)

菊田雅弘裕『さっと読める! 実務必須の重要税務判例』(清文社)

『21世紀中小企業論 第3版』(有斐閣アルマ)

小泉悠『ロシア点描 まちかどから見るプーチン帝国の素顔』(PHP研究所)

小泉悠『現代ロシアの軍事戦略』(ちくま新書)

ヴィスワヴァ・シンボルスカ『瞬間』(未知谷)

 

 

 

 

 

 

 

2022年に観た映画ベストテン

1・濱口竜介『ハッピーアワー』(2015)

2・濱口竜介『ドライブ・マイ・カー』(2021)

3・濱口竜介『Passion』(2008)

4・濱口竜介『偶然と想像』(2021)

5・濱口竜介寝ても覚めても』(2018)

6・濱口竜介『親密さ』(2012)

7・濱口竜介『永遠に君を愛す』(2009)

8・岡本喜八『肉弾』(1968)

9・ヴァーツラフ・マルホウル『異端の鳥』(Nabarvené ptáče / The Painted Bird、2019、チェコ・スロヴァキア・ウクライナ)

10・クリント・イーストウッド『クライ・マッチョ』(Cry macho、2021、米)

 

1・濱口竜介(1978-)『ハッピーアワー』(2015)

 濱口竜介の作品で不満なことと言えば、DVDや動画配信で気軽に観られる作品が少ないことと、長尺・長回しで観るのに気合いがいることくらいである。2015年発表の『ハッピーアワー』は現段階の濱口竜介フィルモグラフィーにおける最高傑作であるとしばしば言われながらも、その外形的欠点によってのみあまり知られていないきらいがある。

 神戸を舞台として、演技経験がほとんどない4人によって演じられる30代後半の女性の日常の破綻と修復を五時間強かけて剔出する。一見、幸福な女同士の絆を描いていくのかと思わせておいて各人の抱える問題が複雑に絡まり合って暗転していくのだが、「ハッピーアワー」という題名を単なる皮肉とは思わせない程の力強さを感じさせた。

 

2・濱口竜介『ドライブ・マイ・カー』(2021)

 

 妻の急逝から数年後、主人公の家福(西島秀俊)は広島での国際演劇祭の演出を担当することとなり、事務局からの要請でいやいやながら愛車に専属ドライバー(三浦透子)をつける。そこに妻の不倫相手と疑っていた若手俳優岡田将生)がオーディションに現れる。

 村上春樹の短篇集『女のいない男たち』(文春文庫)を原作としているが、むしろチェーホフの演劇『ワーニャ伯父さん』に重きがあり、ほぼ全篇が『ワーニャ伯父さん』の演技指導の過程で占められている。韓国手話を含む多言語を混ぜ合わせた挑戦的な演出は逆に日本語によるコミュニケーションの断絶の存在の方を深く意識させる。

 

 

3・濱口竜介『Passion』(2008)

 

 

 東京藝術大学大学院修士課程の卒業制作で若干粗い箇所もあるが、学生映画でここまでの作品を作ってしまうのかという驚愕した。

 冒頭の不穏さを醸し出した同級生の結婚報告を起点として男女同士が呼び戻してはいけない過去の慾望を引き摺り出して破綻を生むこととなる。終盤にある埠頭のシーンのすさまじい長回しと、すれすれのところでの破局の回避を暗示した演出に感銘を受けたが、偶然撮れたものだと知ってさらに驚いた。

 

4・濱口竜介『偶然と想像』(2021)

 

 

 『ドライブ・マイ・カー』と同年に発表され、オバマ元大統領も2022年に感銘を受けた映画の一つとして挙げている。3つの短篇よりなるオムニバス映画であり、濱口作品のお試しにふさわしいと思う。ただし宣伝がポップなくせに大変毒々しかった。

 

5・濱口竜介寝ても覚めても』(2018)

 

 

 多くの濱口作品は現代史上のカタストロフィーを想起させずにはおかない一方で、それを直接描くことはほとんどない。『ハッピーアワー』は阪神淡路大震災東日本大震災のことが語られるがその影響が直接語られることはない。『親密さ』は2010年の北朝鮮延坪島砲撃をモチーフにしたと思われる事件が重要な鍵となってはいるものの、2011年3月まで刻々と時間がを提示しながら、クライマックスは2011年3月上旬の劇中劇の上演で終わってしまう。その後にある数年後のエピローグでも震災のことには触れられていない。『ドライブ・マイ・カー』のエピローグでは、マスクとアクリル板のパーティションのみでコロナ後の世界になったことを示唆するのみである。『寝ても覚めても』は途中で東日本大震災を直接(東京都心部の揺れと交通の麻痺だけとはいえ)描いており珍しい。

 朝子(唐田えりか)は、数年前大阪で突然いなくなった恋人の麦(東出昌大)と瓜二つの亮平と東京で出会う。朝子は亮平に惹かれながらも意識的に避けるようにしていたが、地震の混乱の中で偶然縒りを戻すこととなる。

 レベッカ・ソルニットは惨禍の中で人々の善意が高揚して一時的に出現する理想郷のことを災害ユートピアと名づけたが、最悪期を脱し日常に回帰していくにつれ徐々に軋轢が生まれて緩慢な崩潰に至る。朝子は亮平と東北の被災地のボランティアに度々赴くが、かつての恋人との再会の可能性が生まれたことによって、破滅することが必至であろう選択をとってしまう。

 初見では気づかなかったが2022年に不慮の事故で亡くなったザ・ドリフターズ仲本工事が被災地の仮設住宅の住民役で出演している。中盤と終盤の、ほんの数分しか出ないが、都市部の出演者たちの甘い見通しを峻拒するような異質さが目立つ。

 濱口監督自身も東北でのドキュメンタリー制作がフィルモグラフィーの転機となったと語っているのだが、「東北記録映画三部作」は劇映画よりも視聴の機会が限られているのが残念である。

 

6・濱口竜介『親密さ』(2012)

 

親密さ

親密さ

  • 平野鈴
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 濱口作品は乗り物の描写が多く、特に鉄道に対する嗜好が感じられる。映画でよくあるような非日常的な特急・観光電車というよりは、日常的な通勤型車輌の描写を効果的に取り入れている点に特徴がある。麻耶ケーブルから始まる『ハッピーアワー』でも、JR西日本神戸線での通勤電車のすれ違いが効果的に用いられ、『永遠に君を愛す』では異様なほどに西武池袋線総武線の乗車時間が長い。不思議なことに『ドライブ・マイ・カー』には全く鉄道は出てこない。題名からして車がメインになるのは当然とはいえ、都内から成田空港に行くのにも鉄道ではなく車で行くし、広島でも路面電車はほとんど出てこない。思うに、高度に私的な空間である愛車の中に、他者である専属ドライバーと亡妻の不倫相手が侵入することによる変容を強調するためにあえて鉄道を排除したのではないだろうか。

 『親密さ』では執拗なほどに鉄道が登場する。新作劇の上演準備をする中で生まれてくる学生たちの軋轢と、その舞台の実際の上演を丸ごと盛り込んだ異様な展開の中で、鉄道のモチーフや表現、乗車シーンが使われ、エピローグは京浜東北線と山手線の並走区間で印象的に終わる。

「言葉は想像力を運ぶ電車です」から始まる詩の朗読では、各停、急行、快速の比喩を用いて各人の言葉の緩急とすれ違いを語り、「2012年には東京メトロ副都心線東急東横線がつながるみたいに/今まではつながれなかったあれもこれもつながるんだろうか/そんなことを想像しています」と締められる。登場人物たちが日頃使っている具体的な路線名が不意に登場してきて効果を出している。

 

7・濱口竜介『永遠に君を愛す』(2009)

 結婚式当日に新婦が過去の不倫を打ち明けたことで式は暗転する。過去の記憶と将来への不安で揺れ動く男女とかつての浮気相手、周囲の人々をユーモラスに描く小品。

 

8・岡本喜八(1924-2005)『肉弾』(1968)

 

 

遊女屋で出会った少女を空襲で殺したアメリカに復讐するため、ナレーションで「あいつ」と呼ばれる男(寺田農)が魚雷と共に太平洋を漂流する。洗練されたカメラワークが印象的でユーモアに溢れながらも戦争の暗鬱さを感じさせる。

 

9・ヴァーツラフ・マルホウル(1960-)『異端の鳥』(Nabarvené ptáče / The Painted Bird、2019、チェコ・スロヴァキア・ウクライナ)

 

 ヴェネツィア国際映画祭の上映時に途中退出者が続出し、暴力的な描写が物議を醸しながらも高く評価された。原作者のイェジー・コシンスキは盗作、捏造疑惑などで批判を受けており、発表の数十年後にニューヨークでビニール袋を被って自殺した。

 戦時の東ヨーロッパで、ホロコーストを逃れて疎開したユダヤ人と思しき少年が、行く先々でドイツ軍だけでなく住民たちにも差別を受け続ける。何らの良心も現れる余地はない。

 映画内で使われている言葉がスラヴ系の響きであったのでチェコ語だと思って観ていたが、インタースラーヴィックという現在ではほとんど使われていないスラヴ系の国際人工言語が使われている。原作者がユダヤポーランド人で映画の監督はチェコ人であり、まさに東ヨーロッパ的な映画といえるだろう。特に今思えば、制作にはチェコとスロヴァキアに加え、2014年から事実上の戦争状態に入っていたウクライナ資本も入っていたことが意義深い。

 

10・クリント・イーストウッド(1930-)『クライ・マッチョ』(Cry macho、2021、米)

 

 イーストウッドが91歳で監督と主演を務めた。

 離婚したアルコール依存症の妻から息子を取り戻してほしいという依頼を受けメキシコに向かう元ロデオ・ボーイの物語ということで、共同親権のような保守派好みのテーマかと思ってあまり期待していなかったが、まことに珍妙な作品であった。正統派の『運び屋』(2018)の方が世間的には評価が高いようだが、現在の実際の事件の当事者たちを主演に据えた『15時17分、パリ行き』(2018)のような変な作品の方が今のイーストウッドの良さが出ていると思う。

 イーストウッドは、メキシコで少年を見つけ出すが、ついでに闘鶏にハマっている少年が飼っている鶏のマッチョも連れていく。テキサスまでの帰り道に、母親とその取り巻きのギャングや警察に追われるが、手抜きかと思ってしまうようなご都合主義的な展開で乗り切る。今時の映画で使ったら恥ずかしくなるようなあからさまなデウス・エクス・マキナであるのに、意外と気にならない。

 イーストウッドが説く男らしさ(マチズモ)も実際に聞いてみれば何だかへなへなな価値観であるし、人間よりも馬や鶏などの動物といる方が楽しそうである。テキサスの元ロデオ・ボーイというアメリカの保守派が好きそうな人物造形であるが、スペイン語はしっかり話せるし、どこかで覚えたという手話を使う場面もあって、同年代に若手のリベラルな監督によって作られた『ドライブ・マイ・カー』や『CODA あいのうた』などと奇妙な合致が発生している。2020年代イーストウッドの新局面を感じさせる作品である。今後また新作を出してくれるかはわからないが。

 

その他によかった作品

・アスガー・ファルハディ『別離』(2011、イラン)

・アスガー・ファルハディ『セールスマン』(2016、イラン)

ロベール・ブレッソン『白夜』(1971、仏)

 

 

 

 

近代日本文学アンソロジー①・新潮文庫版『日本文学100年の名作』

 純文学作品が充実している新潮文庫岩波文庫講談社文芸文庫にはそれぞれ下記の近代日本文学の短篇アンソロジーがある。

新潮文庫『日本文学100年の名作』(池内紀川本三郎松田哲夫編、全10巻)

岩波文庫『日本近代短篇小説選』(紅野敏郎紅野謙介千葉俊二宗像和重、山田俊二編、全6巻)

講談社文芸文庫『戦後短篇小説再発見』(井口時夫・川村湊・清水良典・富岡幸一郎編、全18巻)・『現代小説クロニクル』(川村湊佐伯一麦永江朗林真理子湯川豊編、全8巻

 なお同じようなシリーズでちくま文庫にも『ちくま文学の森』があるが、こちらは海外作品も含んでいるので一旦措く。

 新潮文庫岩波文庫のアンソロジーは2010年代に編まれた。『戦後短篇小説再発見』は2000年代初頭に刊行されたため、2000年以前の作品しか含まれていないが、2000年代以降の作品については『現代小説クロニクル』の方で補完されている。収録年代については、新潮文庫が1914年(荒畑寒村)から2013年(伊坂幸太郎絲山秋子)まで、岩波文庫が1889年(坪内逍遥)から1969年(三島由紀夫)まで、文芸文庫が1945年(平林たい子など)から2013年(瀬戸内寂聴!)までとなっている。

 日本における文庫本という形式が、分売を許さない円本の予約出版に対抗し、分割して簡易に読めるようにするという商業的戦略から発生したものであることを考えると、アンソロジーの企画は文庫の本義に叶うものと言える。また単著と違う利点として、目当ての作家以外でも強制的に遭遇させられることである。なんとなく食わず嫌いをしてきた徳田秋声尾崎一雄、中里恒子、幸田文野呂邦暢佐藤泰志山田詠美干刈あがたなどはアンソロジーに入っていなかったら決して単著を手を取ることはなかったであろう。

 三つの文庫で、稀に同じ作品が選ばれていることもあるが、各々の文庫によって趣が異なる。新潮文庫は最もバラエティに富んでいる一方で、首を傾げざるをえない作品も選ばれており外れも多い。岩波文庫は編者が国文学の研究者であるだけ、研究観点からは非常に興味深い硬派なコレクションであるが敷居が高いのは否めない。最も成功しているように思えるのは文芸文庫で、あまり知られていない代表作以外を選びながらも読み応えがあり、アンソロジーの題目の通り「再発見」を楽しめた。

 

以下で新潮文庫『日本文学100年の名作』でよかった作品を記載する。○はよかった短篇、◎は特に感銘を受けた短篇である。ただし必ずしも選ばなかった作品が駄作であるとみなしているわけではなく、肌に合わなかったり、価値を正当に評価できる段階にはないと感じた作品もあるので、念のため。

 

『第1巻・1914-1923 夢見る部屋』

佐藤春夫「指紋」(1918)

 佐藤春夫は現在単著ではあまりみかけないが、近代文学のアンソロジーにはよく収録されている。谷崎潤一郎との「細君譲渡事件」や石原慎太郎の「太陽の季節」の芥川賞受賞に激昂したというゴシップの方で記憶されているきらいがあるが、耽美的ながらも現代人にとっても読みやすい作家であるように思える。「指紋」は長崎の阿片窟、映画館、指紋による科学捜査が鍵となる探偵小説で、頽廃とモダニズムで読ませる。

谷崎潤一郎小さな王国」(1918)

 北関東に赴任した小学校教師の教室が転校生によって支配されていく顛末を初期の谷崎らしい悪魔主義マゾヒズムによって描く。

宇野浩二「夢見る部屋」(1922)

 誰にも知られない秘密の部屋を夢見る男の妄想が幻想的に綴られる。 

 

『第2巻・1924-1933 幸福の持参者』

梶井基次郎Kの昇天」(1926)

 ギリシャ神話のイカロス失墜に絡み、月と影に囚われて溺死した友人Kの姿を幻想的に描く。

加能作次郎「幸福の持参者」(1928)

 「幸福の持参者」とは家で飼うことにしたコオロギのこと。コオロギがもたらす幸福とあっけない終わりを淡々と描く。

夢野久作「瓶詰地獄」(1928)

 離島に漂着した兄妹に芽生える近親相姦の慾動を描く。三つの瓶詰め通信の流れ着いた順番が逆になっているという、時系列でも起きている倒錯で恐怖を増している。

龍胆寺雄「機関車に巣喰う」(1930)

 モダニズム作家の竜胆寺雄は最近になって晩年のサボテンマニアとしてのエッセイが注目されるようになったこと以外では忘れられている。荒川の河川敷に棄てられた機関車に住む駆け落ちしたカップルを描く。モダニズムの文体の面白さが味わえる良作である。

林芙美子「風琴と魚の町」(1931)

 行商人の家族が尾道に辿り着く。父の商売の気苦労とそれをみつめる娘の哀切さが心をうつ。

 

『第3巻・1934-1943 三月の第三日曜』

萩原朔太郎猫町」(1935)

 たまたま降り立った田舎町の人々が全員猫に変わる。詩人による散文詩的作品。

菊池寛「仇討ち禁止令」(1936)

 幕末維新期の社会の激変の中で因習に翻弄される高松藩士を描く。

尾崎一雄「玄関風呂」(1937)

 大半の日本の私小説は陰湿な貧乏自慢が癪に障るが、尾崎一雄私小説の流れにありながらも日本の純文学では珍しいユーモアが溢れている。「玄関風呂」は風呂桶を買ったものの、狭い家なので玄関口で風呂に入ることになった顚末を綴る。井伏鱒二などの登場人物の言動がいちいち笑いを誘う。

幸田露伴「幻談」(1938)

 釣りにまつわる怪異をおどろおどろしくではなく、釣りの蘊蓄と共にゆったりと語っていく。釣りがしたくなった。

岡本かの子「鮨」(1939)

 岡本かの子は漫画家の岡本一平の妻で、芸術家の岡本太郎の母。寿司屋の娘は老紳士の客に心を惹かれる。娘と老紳士の心のこもった交流と、その後突然寿司屋に老紳士が来なくなって娘の記憶から消えていく無常さの落差が印象に残る。

中島敦「夫婦」(1942)

 中島敦の小説は「山月記」などの漢籍に基づくものだけではない。中島は第一次大戦後日本の統治領となったパラオに教科書編纂の仕事のため赴任し、帰国後に南洋物の短篇を執筆したが、健康を損ない早逝した。「夫婦」は南洋物の一篇で、教科書的な中島敦のイメージとは全く異なる傑作である。パラオ島の風習に基づき、一人の男をめぐって決闘する女たちの顛末を、エロティックにあっけらかんと書いていて面白い。

 

『第4巻・1944-1953 木の都』

織田作之助「木の都」(1944)

 個人的な嗜好として関西系の作家は合わないことが多いのだが、「木の都」は大阪という都市が美しく描かれており大変よかった。故郷の大阪に戻ってきた主人公は戦況の悪化によって喪われていく大阪の風景と人を見送る。

太宰治トカトントン」(1947)

 太宰の文章のリズムは魔術的である。「トカトントン」は敗戦後に謎の音に苛まれる男の悩みをリズミカルな書簡体で読ませる。

島尾敏雄「島の果て」(1948)

 南島に駐留した青年は、魚雷艇による特攻命令を待つまでのあいだ、島の娘との逢瀬を重ねる。島尾敏雄は特攻の出撃命令で生と死の狭間を経験し、その後、島の娘ミホと結ばれるも狂気に満ちた夫婦生活を送った体験を綴り、戦後文学において特異な位置を占めている。「島の果て」は両者の発端となった加計呂麻島の体験を童話的な雰囲気で描いている。

小山清「落穂拾い」(1952)

 マイナー・ポエットと呼ぶべき小山清の代表作。本で繋がる孤独な人々の心象を描く。

 

『第5巻・1954-1963 百万円煎餅』

邱永漢「毛澤西」(1957)

 題名は毛沢東のパロディである。イギリス統治下の香港で、無許可の新聞売りをやる男は、警察に捕まったときには「毛澤西」と名乗る。何度も捕まる毛澤西に、気を許した警察が便宜を図ってやるが。

 邱永漢は台湾出身の直木賞作家だが、経営コンサルタント業や株式投資の方が世間的には有名で「金儲けの神様」と呼ばれていた。「毛澤西」はそんな俗っぽさがいい味を出している。

山本周五郎「その木戸を通って」(1959)

 家老家の娘との縁談が決まっていた正四郎の家に記憶喪失の娘・ふさがやってくる。正四郎はふさに惹かれ、もとの縁談を断るが。

 記憶喪失の感動ものは食傷気味であるが、「その木戸を通って」は別格の短篇である。山本周五郎はストーリー構成が圧倒的に上手い。現世だけを描きながら霊界の存在を幻視させる。まさに神業のような物語の運びである。

 

『第6巻・1964-1973 ベトナム姐ちゃん』

川端康成「片腕」(1964)

 「片腕」は印象的に始まる。「「片腕を一晩お貸ししてもいいわ。」 と娘は言った。 そして右腕を肩からはずすと、それを左手に持って私の膝においた。」シュルレアリスム的な物語だが確かな感触をもって迫ってくる。

 ショート・ショートのSF作家である星新一は、意外なことに川端康成を絶賛していたらしく、「片腕」と、同じくシュルレアリスティックな『掌の小説』の「心中」に触れて、これらは自分には到底書くことのできない作品であり、未来において川端は『雪国』や『伊豆の踊り子』といった日本的な抒情美の作者としてではなく(これらの作品も仔細にみれば、川端の特異な感覚表現は普通の日本人的とされる情緒からは相当乖離しているように思えるが)、『片腕』などの超現実的な作品群の作者として知られているであろうと予見していたという。

野坂昭如ベトナム姐(ねえ)ちゃん」(1967)

 ヴェトナム戦争中、横須賀で米軍を相手にする娼婦と戦地に向かう米兵との交流と破滅を描く。軽妙で卑猥な戯作者的筆致の中に戦争の悲惨さが浮かび上がる。

小松左京「くだんのはは」(1968)

 芦屋のとある屋敷の人はなぜか原爆投下と敗戦のことを知っていた。そこの子供は、屋敷の中にいるという見たことのない病気の少女が何かを知っていると気づき、その姿をみようと躍起になる。第1巻の内田百閒「件」と同じ怪異を題材にしている。

野呂邦暢「鳥たちの河口」(1973)

 諫早に住む失業中のカメラマンが、干潟でバードウォッチをする。人生と家庭に対する不安、静かに狂い始める自然と世界、その中から湧出する未来へのわずかな希望を、視覚的に卓越した文体で描く。

 

『第7巻・1974-1973 公然の秘密』

藤沢周平「小さな橋で」(1976)

 博打で身を隠した父と駆け落ちした姉、その二人への恨み言をこぼす母との関係に悩む少年が事件に巻き込まれる。大人になるための諦観を静謐に描く。

向田邦子「鮒」(1981)

 家の勝手口のバケツに突然鮒が入れられる。夫はかつての浮気相手の嫌がらせだと気づいているが、鮒を飼おうとする家族を止められない。鮒によって蘇る過去の秘密と、その後始末がユーモラスに描かれる。

 

『第8巻・1984-1993 薄情くじら』

佐藤泰志「美しい夏」(1984)

 近年再評価されている佐藤泰志の一篇。東京で同棲する金のないカップルが、東京の近郊へ家を探しに行く。ただそれだけの小品であるが、貧しさの中での東京の若者の暮らし、不動産屋に足元をみられる恥辱、閉塞感溢れる日常の中でそれでもかすかな光をみつめていく様子が清冽に描かれている。

宮本輝力道山の弟」(1989)

 尼崎でプロレスラーの力道山の弟を名乗り「力道粉末」という怪しい薬を売り歩いていた男を回想する。そのインチキ商売から庶民の哀歓が伝わる。

尾辻克彦赤瀬川原平)「出口」(1989)

 帰宅時に便意に襲われた男の葛藤を描く珍作。

中島らも白いメリーさん」(1991)

 ルポライターは娘から聞いた「白いメリーさん」の噂を調査してガセネタであるとの証拠を掴むが。サブカルと都市伝説で読者を笑わせながら、ゾッとする展開にもっていくのがうまい。

阿川弘之「鮨」(1992)

 講演会で貰った寿司の弁当を食べきれず、棄てるのも勿体無いと思った主人公は上野駅前の浮浪者にあげてよいものか思案する。志賀直哉から継いだ端正な文章で綴られる佳品。

 

『第9巻・1994-2003 アイロンのある風景』

吉村昭「梅の蕾」(1995)

 妻の療養生活のために三陸海岸沿いの僻地に赴任した医師と村の人々との交流を描く。記録文学の名手である吉村昭らしい、感動を呼ぶようなシーンであってもエモーションを抑制した文体が素晴らしい。

重松清「セッちゃん」(1999)

 娘がクラスでいじめられているセッちゃんという女の子のことについて話す。近代文学の末流として捉えられる平成の作品が多い本アンソロジーにおいて、現代文学としての新しさが顕著な数少ない作品である。

 

『第10巻・2004-2013 バタフライ和文タイプ事務所』

高樹のぶ子「トモスイ」(2009)

 一度吸うともう死んでもいいと思うくらい美味しいという「トモスイ」を吸いに夜釣りにいく。触覚的な描写が独特である。

 

 

 

 

 

2021年に読んだ本ベストテン

2021年に読んだ本ベストテン

 

1・佐藤泰志佐藤泰志作品集』(クレイン)

2・野呂邦暢野呂邦暢小説集成』(全九巻、文遊社)

3・野呂邦暢『随筆コレクション1 兵士の報酬』『随筆コレクション2 小さな町にて』(みすず書房

4・石塚久郎編『病短編小説集』『医療短編小説集』『疫病短編小説集』(平凡社ライブラリー)

5・小島庸平『サラ金の歴史 消費者金融と日本社会』(中公新書

6・川添愛『言語学バーリ・トゥード Round1 AIは「絶対に押すなよ」を理解できるか』(東京大学出版会)

7・保坂正康『戦場体験者』(ちくま文庫)

8・大澤真幸社会学史』(講談社現代新書)

9・大野耐一トヨタ生産方式 脱規模の経営をめざして』(ダイヤモンド社)

10・三谷宏治『経営戦略全史』(ディスカバー・トゥエンティワン)

 

1・佐藤泰志(1949-1990)『佐藤泰志作品集』(クレイン)

 文学史には生前評価されなかった作家というものがよく出てくるが、佐藤泰志ほど生前の不遇と近年の復活とが残酷なほど対照的な小説家はいないだろう。

 佐藤泰志は1949年に函館市で生まれる。幼い頃より作家を志し、函館西高校在学中に「市街戦の中のジャズメン」(のちに「市街戦のジャズメン」に改題)を発表し早くから注目を集める。同人誌と商業誌とを行き来しながら執筆活動を続け、同時期にデビューした村上春樹中上健次と並び称されるようになった。

 しかしながら生涯文学賞に恵まれることはなかった。「移動動物園」で新潮新人賞候補、「黄金の服」で野間文芸新人賞候補、「きみの鳥はうたえる」「空の青み」「水晶の腕」「黄金の服」「オーバー・フェンス」で五度の芥川賞候補となるが、いずれも受賞を逃した。「そこのみにて光り輝く」が三島由紀夫賞に落選した翌1990年に国分寺の自宅近くの畑で自殺した。三島賞の選考委員の中で唯一「そこのみにて光り輝く」を推していたのは、作風が似ていた中上健次ではなく、保守派の文芸評論家の江藤淳(1932-1999)であった。佐藤の死に衝撃を受けた江藤は他の選考委員に気兼ねしたことを悔やみ、これからは自分の文学的理念には絶対に妥協しないと異様な熱量のある文章を綴っている。

 佐藤の死後、著作は一冊も文庫本になることなく全て絶版となり、急速に忘れ去られていった。再評価のきっかけとなったのは、歿後17年目の2007年に文弘樹氏がひとりで経営している出版社であるクレインより刊行された『佐藤泰志作品集』であった。2010年にこの作品集に感銘を受けた函館市の映画館と市民との協力によって映画『海炭市叙景』が製作され国内外で高く評価される。同年に函館市出身の小学館の編集者によって『海炭市叙景』が小学館文庫に収録され、その後ほとんどの代表作が小学館文庫と河出文庫にはいり新しい読者を獲得した。函館市佐藤泰志の映画化プロジェクトは『そこのみにて光り輝く』『きみの鳥はうたえる』『オーバー・フェンス』『草の響き』と続き、いずれも高い評価を得ることとなる。

 佐藤の活動時期はバブル景気と重なっており、逃げ場のない日常の中でもがき苦しむ若者の閉塞感を描く作風は広く理解されず、バブル崩壊後の格差社会の進展とともに読者の共感を集めることとなった。しかしそれでも、佐藤の作品を読んでいると、なぜこれほどの作家が生前評価されずに終わったのかと悔やまれてならない。

 出口のない貧しい生活の暗さの底知れなさを描きながら、そこになお光り輝く一筋の生を求め続ける。佐藤泰志の作品には、現代にもなお生き続けている文学の力そのものがある。

 

2・野呂邦暢(のろ・くにのぶ、1937-1980)『野呂邦暢小説集成』(全九巻、文遊社)

3・野呂邦暢『随筆コレクション1 兵士の報酬』『随筆コレクション2 小さな町にて』(みすず書房

 佐藤泰志野呂邦暢を好んでいたという。確かに二人には共通点が多い。函館と諫早の地方都市の生活を題材にし、清冽な文体を特徴とする。二人とも早逝し、最近まで作品が入手困難であった。

 野呂邦暢長崎市に生まれ、疎開先の諫早市から原爆の閃光を目撃する。その後三つの湾の水と空気が混じりこむ諫早の風土の中で育つ。

 川村二郎から「言葉の風景画家」と呼ばれた野呂の小説・随筆は、端正な文体から強烈なイメージを喚起させる。1973年の芥川賞候補作「鳥たちの河口」では、労働争議がきっかけで職を失った男が、諫早湾の干潟でのバードウォッチングに熱中する。未来への不安、渡り鳥から感じる世界の変異、傷ついた「カスピアン・ターン」の治療を通じて現れる家族と世界の再生への光が、卓越した自然描写によって描かれている。

 一方で奇異な印象を受けるのは、野呂には自衛隊経験があることである。大学浪人中に父の事業の失敗によって進学を断念し、職を転々としていた野呂は不景気のために19歳で陸上自衛隊に入隊する。長崎県内の相浦教育隊での訓練を経て、対ソ防衛の最前線であった北海道北部方面隊に配属される。

 堀江敏幸も書いている通り、野呂は自衛隊に入りそうなマッチョな文学者では決してなかったが、原爆、九州が後方支援地となった朝鮮戦争自衛隊経験、戦記蒐集と野呂のなかで戦争は大きなテーマであり続けていた。自衛隊経験を綴った「草のつるぎ」は、自衛隊への忌避感情が強かった1974年当時としては異色の作品で、左派の一部からの批判を受けつつも芥川賞を受賞した。旧日本軍の記憶、米軍と国民との微妙な距離感を背景に、夏の暑さの中の苛酷な教練によって精神を捉え直す一青年を緻密に描いている。また1957年の諫早大水害のエピソードも盛り込まれており、災害小説としても読み直せる。

 中央文壇から一定の距離を保ち諫早を拠点にし続けた野呂は、ミステリー仕立ての『愛についてのデッサン』、歴史物の『諫早菖蒲日記』、ティーンズ小説などと執筆の幅を広げていったが、1980年に心筋梗塞で急死する。

 玄人筋からの評価は高いものの、一般的な認知度が低い状態が続いていたが、最近になり『野呂邦暢ミステリ集成』(中公文庫)、『愛についてのデッサン』(ちくま文庫)などが簡単に入手できるようになった。

 

 

4・石塚久郎(1964-)編『病短編小説集』『医療短編小説集』『疫病短編小説集』(平凡社ライブラリー)

 2016年に『病短編小説集』、2020年に『医療短編小説集』、2021年に『疫病短編小説集』が出版され、トリロジーの形を取ることとなった。専修大学のゼミをもとにしており、2020年以降はリモート講義での学生とのディスカッションから生まれていった。まさに同時代的なアンソロジーである。

 コロナと共に再注目されたヴァージニア・ウルフはエッセイ「病気になること」において、文学は英雄や戦争、恋愛のことばかりに注目し、病気についてはほとんど書いてこなかったと語っていた。「医療人文学」は、人文学を医療・病気という観点から捉え直すだけでなく、医学の現場においても、倫理教育の一環として取り入れられつつある。

 扱われている短篇が非常に面白い。例えばアーサー・コナン=ドイルの「ホイランドの医者たち」は女性医師をテーマとする。一人の男性医師しかいなかった田舎町で、女性医師が開業する。女に医者は務まらないと馬鹿にしていた男性医師だが、意に反して女性医師は腕前と人当たりの良さから村で評判を呼んでいく。患者が離れて情緒不安定になり女性医師に嫉妬する(このような短所は元々男性医師が女性を馬鹿にするときに挙げていた)男性医師だが、馬車の事故で自分が女性医師の治療を受ける羽目になる。しかしそこで女性医師の人間的魅力に気づく……。

 ここまで読んで、エンターテインメント小説の常として、ドタバタを経てこの二人は結ばれるのだろうという予想をしてしまったのだが、小説巧者のコナン=ドイルはこちらの(あさはかな!)読みを裏切った。女性医師は医学の道を極めなければいけないと、男性医師のプロポーズをあっさりと断るのである。

  また小説本篇そのものだけでなく編者による解説が非常に興味深い。小説本篇で不思議に思った描写も、解説で鮮やかに解き明かしてくれる。

 例えば、ラドヤード・キプリングの「一介の少尉」はインドで重病になる。その男仲間たちと恋人との関係を、編者は「男同士の絆」から読み解く。男同士の絆とは、イヴ・K・セジウィックの『男同士の絆 イギリス文学とホモソーシャルな欲望』(名古屋大学出版会)によって知られるようになった概念であるが、もとの論文は非常に難解である。しかしながらこの「一介の少尉」の解説によって、男同士の絆はなぜ同性愛嫌悪と女性蔑視によって成り立っているのかを明瞭に理解できるようになるだろう。

 もともと『病短編小説集』と『医療短編小説集』だけを企画していたようだが、コロナの影響で『疫病短編小説集』も編まれることとなった。編者の好みで伝染病関係の文学は扱いが薄くなっていたが、文学の責務として社会に応答すべきであると考えたのだという。

 確かに疫病を文学で表現するのは難しい。そもそも形がみえないのだから。みえない疫病を表象化しようとしたのがエドガー・アラン・ポーの「赤き死の仮面」であったが、舞踏会に現れた「赤き死の仮面」を剥ぎ取ったところ、そこには…何もなかった! それでも天然痘コレラ、スペイン・インフルエンザなどを果敢に取り上げた小説が読ませる。

  編者は今回のコロナも文学において「たとえ時間がかかっても、それは書かれるであろうし、書かれなければいけない」と訴える。それまでの間、このトリロジー現代文学の一つの指標となるであろう。

 

5・小島庸平(1982-)『サラ金の歴史 消費者金融と日本社会』(中公新書

 埼玉県深谷市は日本の資本主義史上において著名な人物を二人育てた。一人はもちろん渋沢栄一である。そしてもう一人は悪名を轟かせた武富士の創業者・武井保雄である。

 日本の消費者金融サラ金)は、2000年代にチワワブームをもたらした「どうする? アイフル!」や華美な「武富士ダンサーズ」のCMなどで知名度を上げたが、多重債務や苛酷な取り立てによって社会的なバッシングを受けることとなる。

 ところで2006年のノーベル平和賞バングラデシュグラミン銀行が受賞した。グラミン銀行は、貸し手がつかない貧困層向けに高利ながらも貸付を行う「マイクロクレジット」によって貧困を解決したという。このビジネスモデルは日本のサラ金とほぼ同じである。それではなぜ、グラミン銀行ノーベル平和賞で讃えられたのに、日本のサラ金は絶対悪と断罪されなければいけないのか?

 『サラ金の歴史』はこれまで学術的にあまり取り上げられてこなかったサラ金を真正面にテーマにした非常に興味深い新書である。

 例えば、サラ金の発達は実は日本企業の人事制度と結びついていたという意外な指摘がある。日本の評価査定において、成果主義能力主義ではなく情意考課が重視されていた。飲み会において元気に振る舞う社員が会社に勢いを与えてくれるという暗黙の了解から、サラ金から借りてでも飲み会や付き合いに精力的に取り組む男性社員こそ評価されていたのである。

 逆に「サラ金」という名称とは裏腹に、女性との結びつきも強かった。銀行からの融資対象ではなかった女性は、家計のやりくりのためにサラ金を頼り、サラ金も貸倒のリスクの低い優良貸付先として開拓していた。家庭崩壊という問題にもつながった一方、女性の貴重な資金源としての金融包摂の役割も担っていたのである。

 そのほかにもジェンダーフィンテック感情労働など、現在の経済研究で注目される概念からサラ金を解剖していき、まさに目から鱗が出るような驚きを与える。サラ金というダークサイドから戦後日本経済の実態が抉り取られる。

 

6・川添愛(1973-)『言語学バーリ・トゥード Round1 AIは「絶対に押すなよ」を理解できるか』(東京大学出版会)

 副題の「AIは「絶対に押すなよ」を理解できるか」だけで、笑える本であると分かるだろう。ユーミンの名曲は「恋人はサンタクロース」ではなく「恋人がサンタクロース」である理由(この本で初めて気づいた)、大槻ケンヂが恐山に行ったときにジミ・ヘンドリックスから津軽弁で励まされた話など、さまざまな話題から言語学にまつわる話題をユーモラスに取り上げる。

 「バーリ・トゥード」とはサンスクリットか何かの言葉かと思っていたが、「何でもあり」の総合格闘技のことらしい。プロレス好きの筆者が、東京大学出版界のPR誌『UP』で題名の説明もなしに連載を始めたところ、東大の物理学の教授から怒られたことに対する弁解文がこれまたおかしい。

 

7・保坂正康(1939-)『戦場体験者 沈黙の記録』(ちくま文庫)

 

 正直なところ読んでいて気が進まないが、戦場を体験した人々の異常な経験を克明に残した重みのある記録である。

 戦場の中の飢餓、暴力、殺人、自殺、性処理などでトラウマを抱える復員兵がいた一方、戦後の公式戦史・戦友会ではトラウマを忘却するかのように記憶が再編されていった。

 中国人に日本人の戦争責任を詰められた著者が、自分は当事者ではないから謝罪はしないが今後このようなことがおきないようすることが今の自分の責務である、と語るのが重い。

 

8・大澤真幸(1958-)『社会学史』(講談社現代新書)

 社会学の流れをコンパクトにまとめた本で、概念の流れがわかりやすい。

 ただしこの本に対して、社会学者の佐藤俊樹が「神と天使と人間と」と題した書評(『UP』2019年6月号・7月号)でマックス・ヴェーバーの単純な事実誤認の指摘から始まる痛烈な批判を寄せているので留意が必要である。

 

9・大野耐一(1912-1990)『トヨタ生産方式 脱規模の経営をめざして』(ダイヤモンド社)

 カイゼン、ジャスト・イン・タイム、カンバンなどに代表されるトヨタ生産方式を作り上げた張本人がその全貌を語る。

 世間一般に言われるトヨタ生産方式とは異なる見解が二つあった。

 一つはトヨタ生産方式は低成長時代のために存在するものであるという主張である。高度経済成長期だからこそ成り立ったトヨタ生産方式は、現在の経済停滞期には役立たないという意見もあるが、実際にトヨタは高度成長期にも重要なプレーヤーであったが、オイルショック後に一気に他社を突き放した。

 もう一つは、トヨタ生産方式はなかなか真似できないものであるという主張である。米国などの企業がトヨタを視察するなどして、トヨタ生産方式は世界中に知れ渡った。トヨタ生産方式が普及してしまうと、トヨタコア・コンピタンスは失われてしまうのではないかと疑問に思っていたが、なおトヨタは高い競争力を維持している。トヨタ生産方式は、徹底した教育、サプライヤーとの緻密な連携があって初めて機能するものであり、うわべだけを取り入れて中途半端に活動していたほとんどの他社では効果を発揮することはなかったのである。

 

10・三谷宏治『経営戦略全史』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)

 ボストン・コンサルティング・グループアクセンチュアなどで戦略コンサルタントとして働いてきた著者が、学術研究と一般のビジネス書の事例紹介との間をポジショニングして、人物と歴史を軸に経営戦略を語る。

 科学的な管理を目指す大テイラー主義マイケル・ポーターなど)と人間の感情的側面・能力を重視する大メイヨー主義(ジェイ・バーニー、野中郁次郎など)の対立を軸にして魅力的にまとめている。

2021年に観た洋画ベスト5

2021年に観た洋画ベスト5(旧作含む)。

今年はお仕事が忙しくてあまり観られませんでした…。

 

1・ロベール・ブレッソン『抵抗』(Un condamné à mort s'est échappé ou le vent souffle où il veut、1956、仏)

2・ロベール・ブレッソン『スリ』(Pickpocket、1958、仏)

3・キム・ボラ『はちどり』(벌새、2018、韓)

4・マーティン・マクドナー(Martin McDonagh、1970-)『スリー・ビルボード』(Three Billboards Outside Ebbing, Missouri 、2019、米)

5・デヴィッド・リンチ(David Lynch、1946-)『エレファント・マン』(The Elephant Man、1980、英米)

 

1・ロベール・ブレッソン(Roberd Bresson、1901-1999)『抵抗 死刑囚の記録より』(Un condamné à mort s'est échappé ou le vent souffle où il veut、1956、仏)

 

 フランスの映画監督ロベール・ブレッソンは映画を「シネマ」ではなく「シネマトグラフ」と呼び、出演者は職業俳優ではなく「モデル」を使用した。

 『抵抗』はブレッソンの「この物語は真実だ。私は飾らずそれ自体を提示する」という宣言で始まる。禁慾的なまでに削ぎ落とした蕪雑さのないブレッソンのシネマトグラフは観る者に極度の緊張を迫る。

 『抵抗』はフランスの対独レジスタンス戦士が脱走に至るまでの実話をシネマトグラフにしたものである。映画のほとんどを占めるのは閉鎖的な独房、主人公の独白、限られた囚人達とのコミュニケーション、ドイツ人看守のたてるかすかな音に怯えながら徐々に進んでいく脱獄の準備であり、徹底したミニマリズムが貫かれている。それでいながら強烈なサスペンスを生んでいる。

2・ロベール・ブレッソン『スリ』(Pickpocket、1958、仏)

 ブレッソンは、モデルの感情表現を抑圧する代わりに、手の動きと視線とで人間を表現した。スリはまさにそのような表現にふさわしい題材であった。華麗なスリの手口を中心に据えて、犯罪に熱中していく貧しい若者と彼の孤独な心境をスリリングに描く。

 

3・キム・ボラ(김보라、1981-)『はちどり』(벌새、2018、韓)

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 ポン・ジュノの『パラサイト』(2019)が世界的に注目されていた中、キム・ボラの長篇デビュー作となる『はちどり』も国内外で高い評価を得た。

 1990年代のソウルの集合住宅に住む14歳の少女ウニの目から、民主化から間もない韓国社会に潜む不安、何か心安らぐことのできない家族と学校、ボーイフレンドとの諍いと後輩女子とのシスターフッドの揺れ動き、自分の話に耳を傾けてくれる漢文塾の女性教師とのつながりが描かれる。

 不幸とはいえないまでもどこか居心地の悪い現代社会における光を指し示す。 

 

4・マーティン・マクドナー(Martin McDonagh、1970-)『スリー・ビルボード』(Three Billboards Outside Ebbing, Missouri 、2019、米)

 ミズーリ州の田舎町の道路に真っ赤な三つの広告が現れ、街の人々を動揺させる。それは娘の暴行死の捜査が進まないことに憤った母親(フランシス・マクドーマント)が設置したものであった。

 警察への擁護と広告への嫌がらせが広まっても、母親は姿勢を崩さない。それでも消極的な援助と積極的な協力が集まっていき、母親は真相に迫っていく。

 警察は必ずしも悪玉ではない。署長は街の人々に愛される善良な人間で母親の心痛も十分に理解している。実際には母親の強烈な執着の方が非難されるべきものではあろう。それでも母親の不屈の力に思わず心動かされる。特に母親に嫌悪感を露わにして露骨な妨害を行為をしてきた暴力警官のサム・ロックウェルが母親に肩入れし出すようになるところは、人間関係が変化する瞬間を美しく剔出している。

 

5・デヴィッド・リンチ(David Lynch、1946-)『エレファント・マン』(The Elephant Man、1980、英米)

 19世紀のイギリスに実際にいた畸形の男性の半生を題材にする。

 「エレファント・マン」として見世物小屋に立たされていた男性メリックに興味を抱いた医師(アンソニー・ホプキンス)は、病院に引き取り研究対象とする。治療を進めていく中、メリックには意外な知性と品位を備えていることに気づく。

 困難な差別を乗り越えていく感動的な作品であるが、わずかながらにしこりが残るのも事実である。映画の原初的な形態が見世物であったように、『エレファント・マン』を観る者にも或る種の見世物みたさの気持があったために、この映画を観ようと思ったのではないだろうか。実際に映画のポスターでは、メリックの顔は布で覆われ、映画本篇でなければその容貌は確認できない。そして監督のデヴィッド・リンチもまた、グロテスクな表現を得意とするカルト監督なのである。我々の裡に潜むこのような差別的傾向があることも忘れず分析するべきであろう。

 

2021年に観た邦画ベストテン

2021年に観た邦画ベストテン(旧作含む)。

 

1・斎藤久志『草の響き』(2021)

2・熊切和嘉『海炭市叙景』(2010)

3・三宅唱きみの鳥はうたえる』(2018)

4・山下敦弘『オーバー・フェンス』(2016)

5・今敏妄想代理人』(2004)

6・今敏Perfect Blue』(1997)

7・今敏東京ゴッドファーザーズ』(2003)

8・成瀬巳喜男浮雲』(1955)

9・土井裕泰『花束みたいな恋をした』(2021)

10・吉田大八『紙の月』(2014)

 

1・斎藤久志(1959-)『草の響き』(2021)


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 小説家の佐藤泰志(1949-1990)は文学賞に恵まれず、歿後は一部の文学愛好者にひそかに語り継がれるだけの存在であった。2010年に故郷の函館市の映画館と市民とが中心となって製作された『海炭市叙景』により映画界でも知られるようになる。その後2010年代に『そこのみにて光輝く』、『オーバー・フェンス』、『きみの鳥はうたえる』が相次いで映画化された。佐藤泰志の原稿からとった独特の字体による題字と、函館市を舞台にしていること以外は、各々の監督によってスタイルが違う。しかしそのどれもが傑作である。

 5作目となる『草の響き』は特に佐藤泰志の自伝的要素が色濃い。主演に東出昌大を据えるという或る種の危ない冒険を敢えてして、189センチの巨躯の東出に痩躯の文学青年であった佐藤が生き写しになる。

 モデル出身ゆえに大根役者と揶揄されることも多い東出昌大であるが、その持ち味は得体の知れない虚無さにある。それを(例の件の前から)見抜いていたのは黒沢清であったように思われれる。『予兆 散歩する侵略者』、『スパイの妻』などで、黒沢らしい違和感と恐怖の溢れる演出の中で東出は不気味な存在感を発揮していた。『草の響き』では、函館の短い夏の季節の中、生を冀求しながら、破滅への慾動に慄く生活者としての危うさを醸し出している。

 東京から故郷の函館市に戻ってきた男は、仕事のストレスから自律神経失調症と診断される。運動療法としてランニングを勧められ、函館の街と自然の中を走り続ける。毎日のランニングによって症状は改善されていくが、運動療法である筈のランニングへの執着は病的である。妻(奈緒)は走り続ける夫が狂ってしまったのではないかと心配するようになるが、彼は走ることをやめれば狂ってしまうのだと語る。ランニングは周囲の人々のサポートを呼ぶものであるが、それへの依存は家族をはじめとした周りの人を遠ざけることにもなる。

 男は日々のランニングとともに抗精神薬を服用する。薬と毒との両義性を「ファルマコン」と表現したのはプラトンで、その概念を現代思想に広めたのはデリダであった。『草の響き』においても抗精神薬はファルマコンとして作用することになるのだが、ランニングもまたこの映画のファルマコンである。運動することに対するこのようなアンビヴァレントな捉え方はスポーツ映画としては珍しいが、社会の縁からずり落ちそうになりながらもなお繋がりを断ちきれない疎外者にとってのスポーツとはまさにこのようなものではなかったか。

 このことは、東出が夜の波止場でランニング中に偶然知り合った高校生らの交流の中からも感じることができるだろう。夜中にスケボに高じる二人の男子高校生は、一心不乱に走る東出に引き摺り込まれるように後を追いかけ、姉がバイクに跨って追っていく。彼らの学校は、イヴ・K・セジウィックが概念として提唱したような地方都市的な男らしさの規範に溢れている。ホモソーシャルな社会では男同士の絆を強めるためのちょっとした向こう見ずや女性蔑視は歓迎される。しかし彼らはバスケ部の練習に熱心でないこと、不登校、女性との交流を理由に学校社会から弾き出されている。ホモソーシャル理論においては、男同士の絆そのものを破壊してしまうような逸脱行為・女性の独占は逆に仲間から処罰されるのである。高校生らは、スポーツの孕むホモソーシャリティに苦しみ続け、東出の心にも波紋を投じることとなる。

 『草の響き』の終盤は悲劇のすれすれにまで到達する。しかしながらどうすることもできない陰鬱さの最後に僅かな光を放ったのは、やはり東出昌大の走るという行動であった。


2・熊切和嘉(1974-)『海炭市叙景』(2010)

 

 原作は『すばる』(集英社)連載中に佐藤泰志の死により中断された。佐藤泰志初めての映画作品であり、この成功がのちの映画化の端緒となる。

 造船業とともに衰頽していく海炭市(函館市)を舞台に、微妙につながりあっている市民たちのそれぞれの物語が語られる。

 「物語の始まった崖」は「まだ若い廃墟」の兄妹である。子供の頃、造船ドックの事故で父親を失った兄(竹原ピストル)は同じドックで働いていたが、不況により人員削減が始まる。元旦、兄と妹(谷村美月)は、海炭市の山のロープウェーに登り、初日の出をみる。下山のとき、兄は歩きで下山すると言い残し、妹は下山することのない兄を待ち続ける。
 初日の出を山頂でお祝いする人々の中、妹はふと兄の顔を見る。そのときの竹原ピストルの表情は、これから死へと向かう人間の存在を一瞬で表現している。

 妻の水商売に嫉妬する男、立ち退きに応じない老婆、妻に暴力をふるう男と、その連れ子に暴力をふるう妻と、雪深い海炭市の中で小さな物語が続く。最後に街の夜をそれぞれの哀しみを乗せた市電が走る。

3・三宅唱(1984-)『きみの鳥はうたえる』(2018)

 原作の舞台を佐藤が住んでいた東京都国分寺市から函館市にうつしている。
 無気力に本屋でアルバイトをしている柄本佑は、店長と交際しているらしい店員の石橋静河と仲良くなる。柄本が自分の部屋に石橋を連れ込んだことをきっかけに、同居人である無職の染谷翔太も加えた、奇妙な交流が始まる。
 三角関係とも言いきれない、目的がないままになにかに抗う若者の焦燥を、青を基調とした演出で描く。

4・山下敦弘(1976-)『オーバー・フェンス』(2016)

 緊張感のある佐藤泰志の他の作品とは異なり、ユーモアも含んでいる。心を抉るような切迫感はないが、緩慢に生き抜くとはどういうことかを感じさせる。
 離婚して函館市職業訓練校に通っているオダギリジョーは、同期に連れられた店で、ホステスの聡(蒼井優)に出会う。聡の激情に振り回されながらも、人生の再出発の道をみつけていく。
 蒼井優が怪演するダチョウの愛情表現の物真似が面白い。

5・今敏(1963-2010)『妄想代理人』(2004)

 今敏はアニメ監督として世界的に評価されながらも、映画作品は『PEFECT BLUE』、『千年女優』、『東京ゴッドファーザーズ』、『パプリカ』の4作のみを手掛けて急逝した。『妄想代理人』は今敏の唯一のTVアニメで、長尺なだけに今敏のエッセンスが詰まっている。

 アニメデザイナーの鷺月子に夜道で襲ってきたとされる少年バットの正体を巡ってストーリーは進む。当初は月子の狂言も言われたが、その他にも少年バットに襲われたと語る人々が現れる。少年バットを追う刑事たちは次第に被害者たちの心の闇に気づく。
 平沢進の音楽「夢の島思念公園」とともに始まる陽気ながら狂気を感じさせるオープニング、CM前後のサイケデリックアイキャッチ、老人が語る支離滅裂な七五調の中に次回のヒントが隠されている次回予告の代わりの「夢告」が、アニメをさらにパラノイアにさせる。
 見事なストーリーテリングによるサイコスリラーは次へ次へと進んでいくが、後半からストーリーが崩壊し始め、実験的な断片が続く。この後半に今敏の表現力の凄さが窺える。しかし観ているこちらがおかしくなりそうになってくるので、途中で怖くなったらやめた方がよいかもしれない。

6・今敏『PEFECT BLUE』(1997)

 今敏のデビュー作。

 未麻はアイドルグループから脱退して女優へ転身するが、事務所の方針によって当初の意に反した濡れ場のオファーを引き受けるようになる。そこにアイドル時代の未麻の純情を信じ抜く偏執狂のファンの男と、未麻の境遇を嘲笑うドッペルゲンガーが現れる。

 現実とフィクションが次々と入れ替わる驚異的な演出の中にある、ストーカー問題やMe Too運動を予見したような社会的諷刺にも注目できる。

7・今敏東京ゴッドファーザーズ』(2003)

 複雑怪奇な今敏の作品群の中で、ただ一つ最後までストーリーを追うことができる。他の作品のような強烈なインパクトはないものの、初心者にも今敏の巧みな演出をゆっくり味わえるウェルメイドな作品である。

 ジョン・フォードの『三人の名付親』をもとにした作品で、大雪の東京で捨て子を拾った三人のホームレスが母親を探しにいく。平成不況下の社会問題を背景にしながらも、泣かせる人情ものとなっている。

8・成瀬巳喜男(1905-1969)『浮雲』(1955)

 成瀬巳喜男は戦後社会における情けない男たちを描いてきたが、『浮雲』は中でも戦時中の仏印(ヴェトナム)での情熱的な生活との対比によってその情けなさが際立っている。

 亜熱帯の仏印で愛を育んだ森雅之と、高峰秀子は戦後の東京で再会する。しかし森は妻とは離婚しておらず、かといって苦境に陥っていた高峰への同情も捨て切れず曖昧な態度を取り続ける。荒涼とした敗戦後の日本の社会によって二人はあらぬ方へと流されていく。

 原作は林芙美子

9・土井裕泰(1964-)『花束みたいな恋をした』(2021)

 

 京王線明大前駅で終電を逃した麦(菅田将暉)と絹(有村架純)の二人の大学生は、趣味嗜好が似通っていたことに意気投合して同棲を始める。フリーターとして気ままに暮らしてきたが、生活のために就職活動を始めたことにより、徐々に亀裂が走っていく。

 坂元裕二による脚本のディテールのいちいちが刺さる。二人が関わっていく固有名詞が身に覚えのあるものばかりである。押井守、今村夏子、柴崎友香穂村弘堀江敏幸、羊文学、『AKIRA』、『牯嶺街少年殺人事件』、アキ・カウリスマキ……「今村夏子は『こちらあみ子』が最高すぎるので他の短編を読んでも物足らないんだけど、もう小説は書かないって言ってた今村夏子に次を書かせたのがすごくて、ここに今村夏子の短編がある事実が最高なんだよね」といったような台詞が、いかにもサブカル好きな大学生が言いそうで秀逸である(今村夏子は太宰治賞の『こちらあみ子』で一時期話題になったが、文芸ムック『たべるのがおそい』で新作を発表するまでほとんど沈黙していた。その後芥川賞を受賞する)。

 それとは逆に、社会の荒波で変容していく二人の描写に妙なリアリティがあって恐ろしい。表現系の仕事の低単価の叩き買い、簿記2級に合格したらあっさり採用された事務職、残業後に本を読む気力がなく寝転がって無駄にスマホパズドラで潰される時間、そして本屋で手にするようになるのは平積みされた幻冬舎自己啓発本…。「その上司はきっと今村夏子さんの『ピクニック』を読んでも何も感じないんだよ」という慰めも空しく響く。

 ところで、資本主義的な社会に対するアンチテーゼとしてのカルチャーを讃えているかのように思えるこの作品であるが、文化的とされるグループに対する批判をも内包しているのではないだろうか。

 絹は折角決まった事務職を辞めて、カルチャーに携われるイベント会社の社長に誘われて転職する。物流企業の営業職で働いている麦は遊びの延長で仕事は務まらないと揶揄し、二人の間に決定的な亀裂が入るきっかけとなる出来事であるが、どうも絹のイベント会社での仕事の方が過酷であるように思われる。激務とはいえ、麦の勤める物流企業は一定程度のコンプライアンスが効いているように見受けられる。しかし絹のイベント会社の方は、社長が属人的に仕事を回し、夜は麦たちを引き連れて華美なバーで怪しい仲間とつるむ。泥酔していた麦が気づいたときには、バーの男たちに囲まれながら社長の体に寄り添って眠っていたという危うい描写もある。
 その他に、麦が、絹を通じて知り合った二人のサブカルカップルのその後を知る場面がある。クリエイターの男から付けられたDVの痕を女からみせられた男友達は、でもあいつも創作活動で辛かったんだと思う、と男を庇う。

 普通の会社よりも、実際には文化的なサークルの方がよほど閉鎖的でホモソーシャルであり、文化という高尚な使命によってそのような問題は仕方ないものとされてきた。これは2021年の緊急事態宣言下に『花束みたいな恋をした』が上映され、実際にこのような作品を好むで多数のサブカルファンがそこで観たであろう、渋谷・吉祥寺のミニシアターのUPLINKオーナーのパワハラ告発が、コロナ渦中のミニシアター文化擁護の名のもとにうやむやにされている件を思わせられる。

10・吉田大八(1963-)『紙の月』(2014)

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2020年に読んだ本ベスト10

2020年に読んだ本ベストテン。

 

1・松本俊彦「依存症、かえられるもの/かえられないもの」(2018年から2020年まで『みすず』に連載、みすず書房より単行本刊行予定)

※(追記)2021年4月に『誰がために医師はいる クスリとヒトの現代論』に改題の上単行本刊行。

2・松本清張松本清張短編全集』(全11巻、光文社文庫

3・荒木優太編『在野研究ビギナーズ 勝手に始める研究生活』(明石書店)

4・ブレイディみかこ『ワイルドサイドをほっつき歩け ハマータウンのおっさんたち』(筑摩書房

5・エドガー・アラン・ポー『ポー短編集』(全3冊、巽孝之訳、新潮文庫

6・コナン・ドイル『ドイル傑作選』(全3冊、延原謙訳、新潮文庫

7・バートン・マルキールウォール街のランダムウォーカー 株式投資の不滅の真理』(井手正介訳、日本経済新聞出版社)

8・村田晃嗣『銀幕の大統領ロナルド・レーガン 現代大統領制と映画』(有斐閣)

9・善教将大『維新支持の分析 ポピュリズムか、有権者の合理性か』(有斐閣

10・入山章栄『世界標準の経営理論』(ダイヤモンド社

 

 

 

1・松本俊彦(1967-)「依存症、かえられるもの/かえられないもの」(2018年から2020年まで『みすず』に連載、みすず書房より単行本刊行予定)

※(追記)2021年4月に『誰がために医師はいる クスリとヒトの現代論』に改題の上単行本刊行。

theladywiththedog.hatenablog.com

  まだ単行本になっていないが、大変に素晴らしいので載せる。

 依存症、自傷・自殺予防に関わる松本俊彦先生の業績と活動を知るにつけ、ただただ頭が下がる思いである。

この連載の単行本ばかりは、好事家としての気持ではなく、社会のために広く読まれてほしい。

 

2・松本清張(1909-1992)『松本清張短編全集』(全11巻、光文社文庫

西郷札―松本清張短編全集〈01〉 (光文社文庫)

西郷札―松本清張短編全集〈01〉 (光文社文庫)

  • 作者:松本 清張
  • 発売日: 2008/09/09
  • メディア: 文庫
 

 

 人間と社会の闇を鋭く抉った戦後日本の小説家として、清張の右に出るものはいないだろう。戦争、汚職、不倫、嫉妬、性慾、差別、貧困、差別などの人間の業を、厖大な作品群で描き続けた。

 清張は小倉市(現在の北九州市小倉北区)に育ち、貧しい生活を送った。十代後半で進学を諦め、職を転々とする。その後、朝日新聞社が小倉に西部支社を設置すると聞いて、広告デザイナーとして売り込み正社員となった。しかし大卒社員との露骨な学歴差別を痛感させられる日々が続く。復員後、生活費の足しにするため『週刊朝日』の懸賞小説に応募した「西郷札」が直木賞候補となる。ほどなく「或る「小倉日記」伝」が直木賞候補となり、選考途中で芥川賞の方に回されそれを受賞する。芥川賞受賞は1953年、44歳のときで、清張と同じ1909年生まれの太宰治は1948年に自殺している。自分のことを私小説家のように作品に投影することを嫌った清張であったが、この下積み時代の長さが清張文学の土台を作ったと言えるだろう。

 あまりにも厖大でジャンルが多岐にわたる清張の作品だが、短篇に清張のエッセンスが詰まっていると言われる。

光文社版の短篇全集は清張自選によるものである。以下に年代順で十選を掲げる。

 

一・「或る「小倉日記」伝」

 

 身体に障碍を抱える孤独な青年が、小倉左遷時代の森鷗外の日記の空白期間を埋めようと奮闘する。現実生活への厳しさと研究への情熱とが胸をうつ。

 芥川賞選考委員の坂口安吾が、選評において「小倉日記の追跡だからこのように静寂で感傷的だけれども、この文章は実は殺人犯人をも追跡しうる自在な力があり、その時はまたこれと趣きが変りながらも同じように達意巧者に行き届いた仕上げのできる作者であると思った。」と、のちの清張の推理小説家としての活躍を予見していたことで有名である。

 

二・「火の記憶」

 

 婚約者の男の父親が失踪扱いであったことに、相手方の家族は若干の疑念を抱いたが、大きな問題はないとして無事に結婚に至る。何年かして、夫は妻に自分が知っている限りの事情を明らかにし、失踪の真相を探っていくが。

 清張の推理小説は結末がある程度予想できるものが多い(といっても予想はできても気になって読み進めてしまうし、そもそも倒叙形式にしているものもある)。しかしながら、「火の記憶」のオチだけは全く想定外で、これまでの人間の関係がひっくり返ってしまったので動揺してしまった。

 

三・「赤いくじ」

 

 日本統治下の朝鮮で二人の軍人が、出征中の軍人の塚西夫人に近づこうと争っていた。敗戦後、アメリカ軍が進駐してくると聞いた軍の上層部は、心証をよくするため、日本人の女性を慰安のために差し出そうとする。その対象者は、米軍の事務対応の手助けをする者を選ぶという名目のくじ引きで決められたが、その中には塚西夫人もいた。

 予想と違い進駐軍との対応はあっけなく終了したが、引き揚げの際にはくじ引きの本当の意味が日本人の間で知れ渡っていた。

 「黒地の絵」と並び、清張の短篇の中でも最悪の読後感を残す。

 

四・「張込み」

 

 東京での強盗殺人犯が、九州にいるかつての恋人を尋ねてくるのではないかと睨んで、刑事が張り込む。つまらない家庭生活に閉じ込められた女に昔の恋愛の面影はなかったが、終盤で一瞬の生命の発露をみせる。

 野村芳太郎監督、橋本忍脚本の映画では、原作結末以降の話が加えられているが、こればかりは原作のようにあっさりと冷酷に終わらせる方が上手であると思う。

 

五・「声」

 

 清張のクライム・ミステリーには、日常のちょっとしたことで犯罪に巻き込まれる恐怖がある。

 新聞社で電話の交換手を務めていた朝子は、間違えてかけた電話で、強盗殺人犯の声をきく。何百人もの声を聞き分けられる朝子であったが、犯人の手がかりは摑めず、朝子も会社を辞めて結婚生活に入る。しかしそこにかつての声の記憶が忍び寄る。

 

六・「怖妻の棺」

 

 江戸時代の旗本、弥右衛門は妾宅で急死する。友人の兵馬は彼の恐妻のところに報告にいくが、愛人の存在を隠していたことを激しくなじられる。なんとか遺体の引取りを承諾させ、兵馬が妾宅に戻ると弥右衛門は息を吹き返していた。しかし弥右衛門は妻に浮気がばれたことに怯え、また切腹するしかないと言い出して……。

 清張には珍しくユーモラスな作品である。

 

七・「鬼畜」

 

 不倫相手が男の家に子供三人をおいて蒸発した。正妻は子供たちを処分するように妻に冷たく言い放つ。

 虐待の過程を淡々と記述していくのが恐ろしい。

 

八・「紙の牙」

 

 R市では市政新聞が跋扈しており、報道の名のもとで職員を脅し、協賛金の名目で金をせしめていた。R市の課長圭太郎は、愛人と温泉街にいるところを市政新聞の記者に目撃されたために便宜を要求されていく。

 弱みを握られた人間の哀れさが滲み出る。

 

九・「愛と空白の共謀」

 

 関西に出張していた夫が宿泊していた旅館で急死する。未亡人は亡夫の妻子持ちの同僚と親しくなり、出張に同行するが。

 ひとえに不倫相手と言っても、相手の家族に配慮できる人間と、自分の保身しか考えない器の小さい人間がいるのである。

 

十・「駅路」

 

 銀行を勤め上げた男が突如失踪する。子供を育て上げたのちに家庭から逃れ、もう一つの人生を歩もうとする男の悲しい末路を辿る。

 向田邦子が「駅路」を原作に「最後の自画像」というNHKドラマの脚本を書いている(新潮社より刊行)。清張の原作にはなかった女性側からの視点が反映されており、相変わらず鋭い台詞に唸る。

 

3・荒木優太(1987-)編『在野研究ビギナーズ 勝手に始める研究生活』(明石書店)

 

 

 

 高等小学校卒業の清張は、学閥に対して激しい対抗心を示した。古代史や昭和史などで独自の説を開陳して波紋を広げた。かなり陰謀論的で面白さはともかく学術的に妥当なものかは微妙だが、中央の固陋な大学エリートという存在に対する異議申し立てとしての意義はあっただろう。

 一方で現在の日本の大学は、清張が批判した閉鎖性以上に、経済的な苛酷さがますます深刻となっている。よほどの能力、幸運がない限り、研究者(特に文系)がポストを獲得することは困難である。

 このような現状の中で、大学での研究のオルタナティブを提示する本書が編まれたのも時代の要請であろうか。明治大学大学院で有島武郎修論を出して現在在野研究者となっている編者が、在野研究の意義と方法、メリットとデメリット、生活との両立、在野研究者へのインタビューなどをまとめている。在野研究の道もまた手探りで厳しいが、今後の学術研究発展への希望を抱かせてくれる。

 

 

4・ブレイディみかこ『ワイルドサイドをほっつき歩け ハマータウンのおっさんたち』(筑摩書房

 

 

 

 『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社)がベストセラーとなった著者が、そのB面ともいうべきイギリスの労働者階級の白人中年男性を描いた新作である。題名は、労働者階級の子供が学校・教育への反抗的姿勢を示すことによって労働者階級が再生産されていく過程を綴ったポール・ウィリスの教育社会学の名著『ハマータウンの野郎ども』(ちくま学芸文庫)より。

 ブレグジットやトランプ当選で、リベラル派の若者から悪口ばかり言われる中高年の白人男性層であるが、彼らなりにオールドエコノミーの低迷を受けて苦しんでいるのである(ただし白人男性の苦境を強調することが、それ以上の苦難を味わってきた黒人や女性の問題を相対的に隠蔽してしまう可能性には留意しなければならない)。

 とりわけ印象的なのが、第7章「ノー・サレンダー」の強面でスキンヘッドのスティーブである。彼は忙しい仕事の合間をぬって図書館に通い詰めている、いわば在野研究者である。しかし保守党の緊縮財政下、図書館は閉鎖され、保育園と併設の、少しばかりの絵本と、受け取りカウンターがあるだけの図書室になってしまった。それでもスティーブは意地で黙々と本を読み続けるが、次第に子供たちの世話も手伝わされるようになって……。

 

5・エドガー・アラン・ポー(Edgar Allan Poe、1809-1849)『ポー短編集』(全3冊、巽孝之訳、新潮文庫

 

 

 

 推理小説とS Fのはしりであり、その恐怖と美にみちた異常な世界に追って、世界中に信者を生み出し続けている19世紀アメリカを代表する小説家・評論家・詩人のエドガー・アラン・ポーの作品を、サイバーパンクや新歴史主義などに精通している巽孝之が、「ゴシック編」「ミステリ編」「S F&ファンタジー編」に分けて紹介する。

 新型コロナによって再注目された「赤き死の仮面」や、女性崇拝とそれを守るための奴隷制を支持した差別主義者としての側面もほの見える世界初とされる推理小説「モルグ街の殺人事件」といった定番に加え、サイボーグとして読み解く「使い切った男」、実在した謎のオートマトンから人工知能・AIの問題につながる「メルツェルのチェスプレイヤー」、ディストピアを先取りし映画『ブレードランナー』へと繋がる(これは流石に繋げ過ぎな気がする)未完の遺作「灯台」など、ポーの魅力を現代的テーマに繋げ甦らせる。

 

6・コナン・ドイル(Conan Doyle、1859-1930)『ドイル傑作選』(全3冊、延原謙訳、新潮文庫

 

 

 

 シャーロック・ホームズの生みの親であるが、本人はホームズものをお気に召していなかったようである。しがない開業医であったドイルは、小遣い稼ぎに小説を書き始め、ホームズもので思わぬブームを巻き起こした。しかし本当になりたかったのは歴史小説家であり、妙に人気になってしまったホームズに嫌気がさして、「最後の事件」において、モリアーティ教授とのどさくさの中でホームズを殺す訳だが、読者の抗議が殺到しにやむなく生き返らせた。

 ホームズだけでドイルを語るのは本人に申し訳ない気がする。このアンソロジーは、ホームズが出てこないドイルの名短篇を「ミステリー編」「海洋奇談編」「恐怖編」の三篇に分けて紹介する。見事なプロットと読者へのサービス精神が発揮されている。

 中でも「五十年後」は感動する。カナダにいったきり帰ってこない男の言葉を信じて婚約者はイギリスで待ち続ける。男の方はカナダで暴漢に襲われ記憶喪失になっていたが、五十年後……。オカルトの味付けが効いている。

 ところでこの新潮文庫版傑作選だが、本当は全8冊あるらしい。「ボクシング編」や「海賊編」もあるとの噂は読んだことがあるのだが、ネットにもほとんど情報がないし、図書館でも実物を見かけたことがない。

 新潮文庫でのドイル作品の整理番号は「ド-3-○」だが、現状1(『シャーロック・ホームズの冒険』)から13(『ドイル傑作選(Ⅲ)』)まで全て埋まっており、この間には絶版は存在しないはずである。そのため絶版本が存在するとは思っていなかったのだが、そうすると、「ド-3-14」以降に『ドイル傑作選(Ⅳ)』以降が存在したのだろうか。

 新潮文庫版と似たコンセプトの創元推理文庫版の『ドイル傑作選』(全5冊)でも他の短篇が結構読めるのだが、やはり喪われた新潮文庫版が気になる。誰かこの謎を解いてくれる名探偵はいないものか?

 

7・バートン・マルキール(Burton Malkiel、1932-)『ウォール街のランダムウォーカー 株式投資の不滅の真理 原著第12版』(井手正介訳、日本経済新聞出版社)

 

 

 

 株式相場はランダムなので予測しようがないという、ショックで受け入れがたい、しかし当たり前な主張を手を替え品を替え懇切に繰り返す。

2020年の年始も3月の急落はおそらく誰も予想できなかったし、その後の感染再拡大や、株式市場にマイナスと警戒されていたバイデンの勝利にもかかわらず、ひたすら急騰し続けたことはさらに予想できなかったことである。

 とはいえ、いくらこの本でインデックスを長期で放置するのが最善と言われても、今度の自分だけは違うと慾を出して大損をしてしまうのが大半の人間の性ではある。この本でインデックス投資の万能性を知ったはずの私も、高金利のロシア国債に目がくらんでしまい、為替変動で巨額の含み損を抱えてしまった。

 

8・村田晃嗣(1964-)『銀幕の大統領ロナルド・レーガン 現代大統領制と映画』(有斐閣)

 

 

 

1980年代のアメリカ大統領ロナルド・レーガンは功罪ともに大きな影響を残した。小さな政府と軍備増強、保守文化を志向したタカ派として批判されながらも、イギリスのサッチャー、日本の中曽根、西ドイツのコール、ヨハネ・パウロ2世、そしてソ連ゴルバチョフといったプレーヤーとともに1980年代の国際政治を大きく動かした。学生時代にレーガンの人気を受けて政治家活動をはじめ、レーガンの美声を思わせるバリトンの演説で支持者を熱狂させ、支持率が低迷していた時期にはレーガンの伝記を読んでヒントを得ようとしていたオバマもまたリベラル派のレーガンの息子であったと言える。

レーガンはハリウッド俳優出身の大統領であったが、売れないB級俳優だったとして俳優時代のことは等関視されてきた。この本は映画俳優時代のレーガンと政治家時代のレーガンとがいかに相互に関わりあってきたかを解き明かす。

レーガンは俳優時代に演劇と発声のメソッドを叩き込み、それが政治家時代の演説、立ち回りのうまさにつながった。また『リーダーズ・ダイジェスト』を愛読し、ジョークを飛ばす楽天主義的な要素も大衆の心を惹いた。そしてレーガンの大統領としての強烈な個性は、アメリカ映画における政治の描かれ方にも大きな余波をもたらした。

 中でも就任直後に発生したレーガン暗殺未遂事件は、映画と政治が互いに呼びかわしている。レーガン自身が映画俳優出身であり、その日はアカデミー賞の授賞式に出席する予定であった。犯人は『タクシー・ドライバー』を観ており自分がジョディ・フォスターと付き合っているという妄想に囚われ彼女を惹くために大統領暗殺を企てた。そして『タクシー・ドライバー』での大統領候補暗殺計画は1972年のジョージ・ウォレス暗殺事件を題材にしていた。さらにレーガンを庇ったシークレットサービスのジェリー・パーがシークレットサービスを目指したきっかけはレーガン主演の映画『シークレットサービスの掟』であった。この事件で生き延びたレーガンは一気に支持を固めていく。

 

9・善教将大(1982-)『維新支持の分析 ポピュリズムか、有権者の合理性か』(有斐閣

 

 

維新支持の分析 -- ポピュリズムか,有権者の合理性か

維新支持の分析 -- ポピュリズムか,有権者の合理性か

  • 作者:善教 将大
  • 発売日: 2018/12/20
  • メディア: 単行本
 

 

 日本維新の会はインテリ層から蛇蝎の如く嫌われている。しかしながらこの本では、維新の会のポピュリズムを一括りに批判する方が逆に短絡的になってしまっていないかと皮肉っている。

 維新の会を単純にポピュリズム現象と位置付けるといくつかの矛盾が生じる(そもそも維新をポピュリズムだと批判している論者がポピュリズムが何かを理解しているかどうかは疑問だが)。例えば大阪府では自公と共産党が相乗りしても敵わないほどの圧倒的な人気を誇るが、関東、兵庫、京都、滋賀などの大阪府以外ではそれほど支持があるわけではない。

特に大きな反証となっているのが2015年の大阪都構想住民投票が僅差ながら否決されたことである。その選挙をきっかけに維新が飽きられた訳ではなく、その後の選挙では維新の勝利が続いている。著者はこの住民投票の結果をもとに、維新支持者は、意外と合理的に大阪の住民の意見を代弁してくれる集団としての維新を評価し、それゆえにメリットに懸念があった大阪都構想では賛成を留保したのだと仮説を立てる。それを感覚的な議論ではなくデータ分析に基づいて数理的に解き明かしていく。

 2020年の2回目の住民投票においても、直前の吉村人気にもかかわらず前回と同じような結果に終わったことは本書の主張の妥当性を示しているだろう。有権者は大衆が思うほど万能ではないが、エリートがけなすほど馬鹿でもないということだろう。

 

10・入山章栄(1972-)『世界標準の経営理論』(ダイヤモンド社

 

 

世界標準の経営理論

世界標準の経営理論

 

 

 ビジネス系のコメンテーターやインフルエンサーが「社会学や人文系の学問は自分の思いつきを勝手に書いているだけ」というような類のことを言っていると、(経営学やビジネス書も大概やぞ……)とぼやきたくなるが、本書は経営学を根柢の理論から記述する優れた大著である。

経営学を経済学、社会学、心理学の3ディシプリンを基礎においた応用の学として位置付け、代表的・標準的な30の理論を紹介する。個人的に気に入ったのはゲーム理論と、企業がなぜ存在するのかという根本的疑問にこたえる取引費用理論、金融のオプション取引を応用し将来の不確実性に対処できるようにするためのリアル・オプション理論である。

 理論は現実の後追いをしているのではなく昔の理論が十分その後現実に起こったことを説明できること、SWOT分析のようなフレームワークは理論そのものではなく、それを金科玉条の如くいじくるのは合理的ではないことなど、帰納的ではなく演繹的に経営学を理解するヒントに溢れている。