Дама с Рилаккумой

または私は如何にして心配するのを止めてリラックマを愛するようになったか

2023年に観た映画ベストテン

今年はインボイスと電帳法対応が忙しくて全然観られませんでした…。

 

1・セルジオ・レオーネ『ウエスタン(ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウェスト)』(1968、伊・米)

2・酒井耕・濱口竜介『東北記録映画三部作 第一部 なみのおと』(2011、日)

3・酒井耕・濱口竜介『東北記録映画三部作 第二部 なみのこえ 気仙沼』(2013、日)

4・酒井耕・濱口竜介『東北記録映画三部作 第二部 なみのこえ 新地町』(2013、日)

5・酒井耕・濱口竜介『東北記録映画三部作 第三部 うたうひと』(2013、日)

6・ロベール・ブレッソンジャンヌ・ダルク裁判』(1962、仏)

7・シアン・ヘダー『CODA コーダ あいのうた』(2021、米・仏・加)

8・シャンタル・アケルマン『ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地』(1975、ベルギー・仏)

9・城定秀夫『夜、鳥たちが啼く』(2022、日)

10・森達也『FAKE』(2016、日)

 

1・セルジオ・レオーネ(1929-1989)『ウエスタン(ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウェスト)』(1968、伊・米)

 マカロニ・ウエスタン(ハリウッドを模倣してイタリアで製作された西部劇)の代表的監督であるセルジオ・レオーネアメリカで製作した大作で、いわゆる「ワンス・アポン・ア・タイム三部作」の最初の作品である。

 イタリア時代の「ドル三部作」(大ヒットしたという興行的意味を含めて「ドル箱三部作」ともいう)でもカット割などに個性があったが、本作ではディレクターズ・カット版で160分超に及ぶ長尺を使って、遠慮なく作家性を吐き出している。冒頭の駅での待ち伏せのシーンが印象的で、風車の軋む音、蠅の羽音が断続的に続くなか、男たちの髭面がクローズアップで執拗に映し出される。やっと汽車が到着したが、目的と思われる人物は降りてこず、一瞬の緩みが生じたところ、不意にハーモニカ吹きの男(チャールズ・ブロンソン)が現れる……。全篇が人も環境も荒々しいものの、緩急をつけて繋がれていく構図が美しい。

 レオーネの作品群は、西部劇というジャンル自体がそもそもそうなのだろうが、男同士の絆が中心で、女性は周辺的なものか、蔑視の対象であることが専らであった。例外的に『ウエスタン』は女性が中心人物となっており、フェミニズム的要素も強い。ニューオーリンズで娼婦をしていたジル(クラウディア・カルディナーレ)は、西部の到着直前に夫家族をギャングに殺され広大な牧場を相続することとなる。ギャングたちの陰謀に妨害されながら、謎のハーモニカの男の手助けを受けて牧場の再興に励む彼女と、荒地に伸びていく鉄道によって、男たちの西部開拓の時代は過ぎ去っていくことが象徴される。

 

2・酒井耕(1979-)・濱口竜介(1978-)『東北記録映画三部作 第一部 なみのおと』(2011、日)

3・酒井耕・濱口竜介『東北記録映画三部作 第二部 なみのこえ 気仙沼』(2013、日)

4・酒井耕・濱口竜介『東北記録映画三部作 第二部 なみのこえ 新地町』(2013、日)

5・酒井耕・濱口竜介『東北記録映画三部作 第三部 うたうひと』(2013、日)

http://silentvoice.or.jp/works/naminooto/

 商業映画デビューする前の濱口竜介の作品は相当数あるが、監督本人が映画館に足を運んで欲しいという意思があるようで、DVDやネット配信はほとんど行われておらず、鑑賞する機会が非常に限られている。この東日本大震災のドキュメンタリーも、映画祭や有志の上映会などでなければなかなかみられず、劇映画ではないのでその上映の機会もかなり少ない。しかしながら、濱口竜介のその後の演出技法の源流を確認できるだけでなく、震災の記録映画自体として非常に優れたものであり、もっと知られてほしい作品である。

 せんだいメディアテークの「3がつ11にちをわすれないためにセンター」のアーカイブとして、岩手から福島の沿岸地域を縦断して撮影されたこのドキュメンタリーにおいて、被災地の映像はほとんどなく、住民同士の対話でつなげられている。その対話方式が異質で、家族や仕事仲間などの親密な人間同士を、あえて全くの他人であるかのように仮定して進められていく。はじめに氏名と属性を名乗りあって、当人らにとっては既知のことであるはずのその日の経験がカメラの前での語り直しで異化されることによって、隠されていた思いが浮き出てくる。

 

6・ロベール・ブレッソン(1901-1999)『ジャンヌ・ダルク裁判』(1962、仏)

 ジャンヌ・ダルクの映画といえば、ドライヤーの『裁かるゝジャンヌ』(1928)の方が有名だが、ロベール・ブレッソンは否定的だったようで、顔のクローズ・アップを多用した表現主義的で大仰な演出に辟易していたと『シネマトグラフ覚書』(筑摩書房)に記している。『ジャンヌ・ダルク裁判』は実際の裁判記録からの再現を試みた点はドライヤーと一緒だが、演出についてはブレッソンらしく抑制的で静謐になっている。ドライヤー版では戯画的に描かれている裁判官や司教たちは理知的であり、裁判も淡々と進む。その淡白さから、当時の英仏関係のもとに置かれた人々の行き場のない苦悩が滲み出てくる。

 

7・シアン・ヘダー『コーダ あいのうた』(2021、米・仏・加)

 CODA(Children of Deaf Adults)である女子高生が歌手を目指す。親子間の感情の衝突、経済的問題など学園・家庭ドラマ的な要素と、聴覚障碍者やヤングケアラーを取り巻く問題とがうまく組み合わさっており、物語として面白いだけでなく勉強になった。

 

8・シャンタル・アケルマン(1950-2015)『ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地』(1975、ベルギー・仏)

 英国映画協会が10年に一度選出している、批評家が選ぶ史上最高の映画トップ100の2022年版で、オーソン・ウェルズの『市民ケーン』やヒッチコックの『めまい』などの常連をおさえて第一位となった。前回の2012年版では35位でそれ以前にはランキング外であった。近年のフェミニズムの波による映画界の急変と(少なくとも一般の日本人にとっては)未知の映画作家の傑作が残されていたことに驚いた。

 ランキングのトップであるが非常に癖がある映画で、正直なところ好みは分かれるだろう。200分超もの上映時間を使って、ブリュッセルに住む未亡人の3日間を映すだけである。その3日間はおおむね反覆にすぎないが、少しずつ苛立ちが混じり込んで破局に至る。

 

9・城定秀夫(1975-)『夜、鳥たちが啼く』(2022、日)

 近年再評価が進む佐藤泰志(1949-1990)の小説の六度目の映画化となる本作は、舞台が函館ではなく東京近郊となっている。佐藤泰志というと函館のイメージが強いが、作家活動の半分ほどは、東京の国分寺市を拠点としており、国分寺周辺を舞台にした小説も多い。佐藤は国分寺の在住が長く、国分寺や国立、立川を舞台とした小説も多い。『きみの鳥はうたえる』や『草の響き』も映画版では函館が舞台に移されているが、原作の舞台は東京西部である。多摩地域で生活した作家としての一面は改めて注意するべきであろう(さらにいうと、佐藤と同じ頃、同じ国分寺で同世代の村上春樹がジャズバーを経営していた)。

 『夜、鳥たちが啼く』は、スランプに陥り同棲中の恋人にも去られた小説家が、その友人と離婚した妻とその子供に家を貸し自分は離れのプレハブに一人暮らすことによって生まれる顚末を描く。2014年に映画化された『そこのみにて光り輝く』の描写は直截的であったがどことなく品の良さを感じた一方、こちらの映画の方が抑制的な描写に留まっていたが生々しさ、色っぽさがあった。ピンク映画出身の監督だからこそ、佐藤泰志の小説特有の汗臭さをうまく表現できたように思える。

 

10・森達也(1956-)『FAKE』(2016、日)

 森達也は、地下鉄サリン事件直後にオウム真理教信者に密着したドキュメンタリー『A』(1998)で知られるが、今回は2014年にゴーストライター問題で一時期週刊誌やワイドショーを賑わした佐村河内守の自宅で取材している。題材は三面記事的なゴシップに過ぎないが(もちろん難聴者への誤解が広まってしまったという問題もある)、現代の報道の問題点を抉っている。

 自宅での取材交渉時に佐村河内氏を貶めたりはしないと約束していたはずのテレビ番組で、結局誹謗するような内容でインタビューが使われるなど、当時面白おかしく報道された騒動の裏側が分かる。その傍ら、バラエティ番組でチヤホヤされる新垣隆氏を自宅のテレビから苦々しく眺めたり、毎回の食事で異様な量の豆乳を飲み干したりなど、佐村河内氏の癖も感じられて面白い。

 しかし森達也は佐村河内氏に完全に寄り添っているわけでなくどことなく突き放している。視聴していて、佐村河内氏の言動の大半はそれなりに納得できるものの、全部とは言わない間でも少し誤魔化しているような違和感を残し続ける。