Дама с Рилаккумой

または私は如何にして心配するのを止めてリラックマを愛するようになったか

2021年に観た邦画ベストテン

2021年に観た邦画ベストテン(旧作含む)。

 

1・斎藤久志『草の響き』(2021)

2・熊切和嘉『海炭市叙景』(2010)

3・三宅唱きみの鳥はうたえる』(2018)

4・山下敦弘『オーバー・フェンス』(2016)

5・今敏妄想代理人』(2004)

6・今敏Perfect Blue』(1997)

7・今敏東京ゴッドファーザーズ』(2003)

8・成瀬巳喜男浮雲』(1955)

9・土井裕泰『花束みたいな恋をした』(2021)

10・吉田大八『紙の月』(2014)

 

1・斎藤久志(1959-)『草の響き』(2021)


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 小説家の佐藤泰志(1949-1990)は文学賞に恵まれず、歿後は一部の文学愛好者にひそかに語り継がれるだけの存在であった。2010年に故郷の函館市の映画館と市民とが中心となって製作された『海炭市叙景』により映画界でも知られるようになる。その後2010年代に『そこのみにて光輝く』、『オーバー・フェンス』、『きみの鳥はうたえる』が相次いで映画化された。佐藤泰志の原稿からとった独特の字体による題字と、函館市を舞台にしていること以外は、各々の監督によってスタイルが違う。しかしそのどれもが傑作である。

 5作目となる『草の響き』は特に佐藤泰志の自伝的要素が色濃い。主演に東出昌大を据えるという或る種の危ない冒険を敢えてして、189センチの巨躯の東出に痩躯の文学青年であった佐藤が生き写しになる。

 モデル出身ゆえに大根役者と揶揄されることも多い東出昌大であるが、その持ち味は得体の知れない虚無さにある。それを(例の件の前から)見抜いていたのは黒沢清であったように思われれる。『予兆 散歩する侵略者』、『スパイの妻』などで、黒沢らしい違和感と恐怖の溢れる演出の中で東出は不気味な存在感を発揮していた。『草の響き』では、函館の短い夏の季節の中、生を冀求しながら、破滅への慾動に慄く生活者としての危うさを醸し出している。

 東京から故郷の函館市に戻ってきた男は、仕事のストレスから自律神経失調症と診断される。運動療法としてランニングを勧められ、函館の街と自然の中を走り続ける。毎日のランニングによって症状は改善されていくが、運動療法である筈のランニングへの執着は病的である。妻(奈緒)は走り続ける夫が狂ってしまったのではないかと心配するようになるが、彼は走ることをやめれば狂ってしまうのだと語る。ランニングは周囲の人々のサポートを呼ぶものであるが、それへの依存は家族をはじめとした周りの人を遠ざけることにもなる。

 男は日々のランニングとともに抗精神薬を服用する。薬と毒との両義性を「ファルマコン」と表現したのはプラトンで、その概念を現代思想に広めたのはデリダであった。『草の響き』においても抗精神薬はファルマコンとして作用することになるのだが、ランニングもまたこの映画のファルマコンである。運動することに対するこのようなアンビヴァレントな捉え方はスポーツ映画としては珍しいが、社会の縁からずり落ちそうになりながらもなお繋がりを断ちきれない疎外者にとってのスポーツとはまさにこのようなものではなかったか。

 このことは、東出が夜の波止場でランニング中に偶然知り合った高校生らの交流の中からも感じることができるだろう。夜中にスケボに高じる二人の男子高校生は、一心不乱に走る東出に引き摺り込まれるように後を追いかけ、姉がバイクに跨って追っていく。彼らの学校は、イヴ・K・セジウィックが概念として提唱したような地方都市的な男らしさの規範に溢れている。ホモソーシャルな社会では男同士の絆を強めるためのちょっとした向こう見ずや女性蔑視は歓迎される。しかし彼らはバスケ部の練習に熱心でないこと、不登校、女性との交流を理由に学校社会から弾き出されている。ホモソーシャル理論においては、男同士の絆そのものを破壊してしまうような逸脱行為・女性の独占は逆に仲間から処罰されるのである。高校生らは、スポーツの孕むホモソーシャリティに苦しみ続け、東出の心にも波紋を投じることとなる。

 『草の響き』の終盤は悲劇のすれすれにまで到達する。しかしながらどうすることもできない陰鬱さの最後に僅かな光を放ったのは、やはり東出昌大の走るという行動であった。


2・熊切和嘉(1974-)『海炭市叙景』(2010)

 

 原作は『すばる』(集英社)連載中に佐藤泰志の死により中断された。佐藤泰志初めての映画作品であり、この成功がのちの映画化の端緒となる。

 造船業とともに衰頽していく海炭市(函館市)を舞台に、微妙につながりあっている市民たちのそれぞれの物語が語られる。

 「物語の始まった崖」は「まだ若い廃墟」の兄妹である。子供の頃、造船ドックの事故で父親を失った兄(竹原ピストル)は同じドックで働いていたが、不況により人員削減が始まる。元旦、兄と妹(谷村美月)は、海炭市の山のロープウェーに登り、初日の出をみる。下山のとき、兄は歩きで下山すると言い残し、妹は下山することのない兄を待ち続ける。
 初日の出を山頂でお祝いする人々の中、妹はふと兄の顔を見る。そのときの竹原ピストルの表情は、これから死へと向かう人間の存在を一瞬で表現している。

 妻の水商売に嫉妬する男、立ち退きに応じない老婆、妻に暴力をふるう男と、その連れ子に暴力をふるう妻と、雪深い海炭市の中で小さな物語が続く。最後に街の夜をそれぞれの哀しみを乗せた市電が走る。

3・三宅唱(1984-)『きみの鳥はうたえる』(2018)

 原作の舞台を佐藤が住んでいた東京都国分寺市から函館市にうつしている。
 無気力に本屋でアルバイトをしている柄本佑は、店長と交際しているらしい店員の石橋静河と仲良くなる。柄本が自分の部屋に石橋を連れ込んだことをきっかけに、同居人である無職の染谷翔太も加えた、奇妙な交流が始まる。
 三角関係とも言いきれない、目的がないままになにかに抗う若者の焦燥を、青を基調とした演出で描く。

4・山下敦弘(1976-)『オーバー・フェンス』(2016)

 緊張感のある佐藤泰志の他の作品とは異なり、ユーモアも含んでいる。心を抉るような切迫感はないが、緩慢に生き抜くとはどういうことかを感じさせる。
 離婚して函館市職業訓練校に通っているオダギリジョーは、同期に連れられた店で、ホステスの聡(蒼井優)に出会う。聡の激情に振り回されながらも、人生の再出発の道をみつけていく。
 蒼井優が怪演するダチョウの愛情表現の物真似が面白い。

5・今敏(1963-2010)『妄想代理人』(2004)

 今敏はアニメ監督として世界的に評価されながらも、映画作品は『PEFECT BLUE』、『千年女優』、『東京ゴッドファーザーズ』、『パプリカ』の4作のみを手掛けて急逝した。『妄想代理人』は今敏の唯一のTVアニメで、長尺なだけに今敏のエッセンスが詰まっている。

 アニメデザイナーの鷺月子に夜道で襲ってきたとされる少年バットの正体を巡ってストーリーは進む。当初は月子の狂言も言われたが、その他にも少年バットに襲われたと語る人々が現れる。少年バットを追う刑事たちは次第に被害者たちの心の闇に気づく。
 平沢進の音楽「夢の島思念公園」とともに始まる陽気ながら狂気を感じさせるオープニング、CM前後のサイケデリックアイキャッチ、老人が語る支離滅裂な七五調の中に次回のヒントが隠されている次回予告の代わりの「夢告」が、アニメをさらにパラノイアにさせる。
 見事なストーリーテリングによるサイコスリラーは次へ次へと進んでいくが、後半からストーリーが崩壊し始め、実験的な断片が続く。この後半に今敏の表現力の凄さが窺える。しかし観ているこちらがおかしくなりそうになってくるので、途中で怖くなったらやめた方がよいかもしれない。

6・今敏『PEFECT BLUE』(1997)

 今敏のデビュー作。

 未麻はアイドルグループから脱退して女優へ転身するが、事務所の方針によって当初の意に反した濡れ場のオファーを引き受けるようになる。そこにアイドル時代の未麻の純情を信じ抜く偏執狂のファンの男と、未麻の境遇を嘲笑うドッペルゲンガーが現れる。

 現実とフィクションが次々と入れ替わる驚異的な演出の中にある、ストーカー問題やMe Too運動を予見したような社会的諷刺にも注目できる。

7・今敏東京ゴッドファーザーズ』(2003)

 複雑怪奇な今敏の作品群の中で、ただ一つ最後までストーリーを追うことができる。他の作品のような強烈なインパクトはないものの、初心者にも今敏の巧みな演出をゆっくり味わえるウェルメイドな作品である。

 ジョン・フォードの『三人の名付親』をもとにした作品で、大雪の東京で捨て子を拾った三人のホームレスが母親を探しにいく。平成不況下の社会問題を背景にしながらも、泣かせる人情ものとなっている。

8・成瀬巳喜男(1905-1969)『浮雲』(1955)

 成瀬巳喜男は戦後社会における情けない男たちを描いてきたが、『浮雲』は中でも戦時中の仏印(ヴェトナム)での情熱的な生活との対比によってその情けなさが際立っている。

 亜熱帯の仏印で愛を育んだ森雅之と、高峰秀子は戦後の東京で再会する。しかし森は妻とは離婚しておらず、かといって苦境に陥っていた高峰への同情も捨て切れず曖昧な態度を取り続ける。荒涼とした敗戦後の日本の社会によって二人はあらぬ方へと流されていく。

 原作は林芙美子

9・土井裕泰(1964-)『花束みたいな恋をした』(2021)

 

 京王線明大前駅で終電を逃した麦(菅田将暉)と絹(有村架純)の二人の大学生は、趣味嗜好が似通っていたことに意気投合して同棲を始める。フリーターとして気ままに暮らしてきたが、生活のために就職活動を始めたことにより、徐々に亀裂が走っていく。

 坂元裕二による脚本のディテールのいちいちが刺さる。二人が関わっていく固有名詞が身に覚えのあるものばかりである。押井守、今村夏子、柴崎友香穂村弘堀江敏幸、羊文学、『AKIRA』、『牯嶺街少年殺人事件』、アキ・カウリスマキ……「今村夏子は『こちらあみ子』が最高すぎるので他の短編を読んでも物足らないんだけど、もう小説は書かないって言ってた今村夏子に次を書かせたのがすごくて、ここに今村夏子の短編がある事実が最高なんだよね」といったような台詞が、いかにもサブカル好きな大学生が言いそうで秀逸である(今村夏子は太宰治賞の『こちらあみ子』で一時期話題になったが、文芸ムック『たべるのがおそい』で新作を発表するまでほとんど沈黙していた。その後芥川賞を受賞する)。

 それとは逆に、社会の荒波で変容していく二人の描写に妙なリアリティがあって恐ろしい。表現系の仕事の低単価の叩き買い、簿記2級に合格したらあっさり採用された事務職、残業後に本を読む気力がなく寝転がって無駄にスマホパズドラで潰される時間、そして本屋で手にするようになるのは平積みされた幻冬舎自己啓発本…。「その上司はきっと今村夏子さんの『ピクニック』を読んでも何も感じないんだよ」という慰めも空しく響く。

 ところで、資本主義的な社会に対するアンチテーゼとしてのカルチャーを讃えているかのように思えるこの作品であるが、文化的とされるグループに対する批判をも内包しているのではないだろうか。

 絹は折角決まった事務職を辞めて、カルチャーに携われるイベント会社の社長に誘われて転職する。物流企業の営業職で働いている麦は遊びの延長で仕事は務まらないと揶揄し、二人の間に決定的な亀裂が入るきっかけとなる出来事であるが、どうも絹のイベント会社での仕事の方が過酷であるように思われる。激務とはいえ、麦の勤める物流企業は一定程度のコンプライアンスが効いているように見受けられる。しかし絹のイベント会社の方は、社長が属人的に仕事を回し、夜は麦たちを引き連れて華美なバーで怪しい仲間とつるむ。泥酔していた麦が気づいたときには、バーの男たちに囲まれながら社長の体に寄り添って眠っていたという危うい描写もある。
 その他に、麦が、絹を通じて知り合った二人のサブカルカップルのその後を知る場面がある。クリエイターの男から付けられたDVの痕を女からみせられた男友達は、でもあいつも創作活動で辛かったんだと思う、と男を庇う。

 普通の会社よりも、実際には文化的なサークルの方がよほど閉鎖的でホモソーシャルであり、文化という高尚な使命によってそのような問題は仕方ないものとされてきた。これは2021年の緊急事態宣言下に『花束みたいな恋をした』が上映され、実際にこのような作品を好むで多数のサブカルファンがそこで観たであろう、渋谷・吉祥寺のミニシアターのUPLINKオーナーのパワハラ告発が、コロナ渦中のミニシアター文化擁護の名のもとにうやむやにされている件を思わせられる。

10・吉田大八(1963-)『紙の月』(2014)

 朝井リョウの『桐島、部活やめるってよ』、火星人であることに目覚めた一家を描く三島由紀夫の異色SF『美しい星』など、原作小説を独特な映画にしてきた吉田大八による、角田光代原作の映画化。
 銀行員の宮沢りえは、顧客の息子である大学生に出会ったことをきっかけに、彼のために顧客の預かり資産に手を出すようになる。実際の事件をもとに、普通の人間がちょっとしたことで破滅へと突き進むことになる金の怖さが描かれている。
軽薄な感じのOL大島優子、保身のため銀行の本店への報告をうやむやにしようとする支店長、宮沢の不正を徐々に突き止めていく先輩行員の小林聡美など、銀行の人間描写が秀逸である。