1・ヴィム・ヴェンダース『PERFECT DAYS』(2023、日・独)
2・三宅唱『夜明けのすべて』(2024、日)
3・濱口竜介『悪は存在しない』(2024、日)
4・ウェス・アンダーソン『アステロイド・シティ』(2023、米)
5・是枝裕和『怪物』(2023、日)
6・濱口竜介『何食わぬ顔』(2002、日)
8・黒沢清『Chime』(2023、日)
9・吉田大八『羊の木』(2018、日)
10・ダーレン・アロノフスキー『ザ・ホエール』(2022、米)
1・ヴィム・ヴェンダース(1945生)『PERFECT DAYS』(2023、日・独)
主人公の役所広司は渋谷の公共トイレの清掃を仕事にしていて、とにかくいい趣味をしている。仕事の終わりに、本はウィリアム・フォークナー、幸田文、パトリシア・ハイスミスを読んでおり、題名はルー・リードの楽曲に拠るものである。
しかし何よりも何気ない日常の描写が素晴らしい。役所広司は作中では無口だが、早朝から車で出勤して渋谷のトイレを清掃し、帰宅したら古本屋、銭湯、飲み屋に行くルーティンが、えも言われぬ効果を出している。
1985年の『東京画』で、小津安二郎の時代の東京を追憶しながら当時の日本の品のなさを必要以上に責め立てるような印象に辟易したことがあって、ヴェンダースの再びの東京映画も似たようなものだと思っていたこと、しかも右翼フィクサーの笹川良一が作った日本財団の支援で、ネット上で治安などの問題で炎上していた渋谷区のトイレプロジェクトが題材ということもあって、あまり観るのに気乗りがしていなかったが、現代の東京の日常を描いたの最高の映画の一つであるように思う。
この映画も『PERFECT DAYS』のように前評判が高かったがあまり気乗りがせず、というのも原作者の瀬尾まいこ氏が直木賞とは縁のない作家だったから、という一点に過ぎなかった。本屋大賞をとっているので十分評価されているのだが、エンターテインメント小説のジャンルにも隠れた序列があるのか、不思議なことに直木賞候補になったことは一度なく、芥川賞・直木賞のような権威主義に囚われて、大した理由もなく敬遠してしまったので、恥ずかしい限りである。
同じ中小企業で働く上白石萌音と松村北斗が中心で、ともにPMSとパニック障害を抱えている。病気という点では分かり合えるところもあるのだが、しかしながら内実は異なるから完全には分かりあうことはできない。それでも折り合いをつけて人生を歩んでいく姿がよかった。
3・濱口竜介(1978生)『悪は存在しない』(2024、日)
濱口監督の作品は異化効果のある独特の対話劇で進んでいくので、最初は分かりづらいが、辛抱強く観ていれば、登場人物の心境に同感できるようになる。しかし『悪は存在しない』では、そのような分かりやすい解釈を拒絶してくる難解さがある。
信州の田舎町におけるグランピング施設建設により沸き起こった騒動の中で、都会と地方、自然と人間、環境と経済、生と死にまつわる対立が輻輳する。コロナ助成金をもとにグランピング計画を進めようとするコンサルが出てきて、濱口映画らしくないと思ったが、その描写の解像度がやけに高く、濱口監督も映画の助成金絡みでコンサルとトラブルに巻き込まれたことがあるのではないかと邪推したくなるが、それでも共感と解決への道筋が最後に提示されかける。しかし物語は唐突に破局を迎え、観た者はひたすら自問を続けるしかなくなる。
4・ウェス・アンダーソン(1969生)『アステロイド・シティ』(2023、米)
1950年代、近くで核実験が行われているネバダ州の砂漠地帯で、子供向けの宇宙科学のコンテストが開かれていたところに、宇宙人がUFOでやってきて騒動が巻き起こる。
劇中劇の形をとったシュールな話であるが、裏に隠されているのは、一般のアメリカ人の冷戦期の核戦争への漠然とした不安感であるように思う。クリストファー・ノーランの『オッペンハイマー』(2023)のB面とも言える作品である。
5・是枝裕和『怪物』(2023、日)
長野の小学生同士のトラブルをきっかけに様々な騒動がおこる。カンヌ国際映画祭のクィア・パルム賞を受賞した際に、思春期の諸問題からLGBTQの問題を特別視したわけではないと是枝監督が発言して論争が起きたが、そのことも含めて考えさせられる。
6・濱口竜介『何食わぬ顔』(2002、日)
濱口監督が東大の映画研究会に所属していたときに製作した自主映画で、8ミリフィルムの画質も物語構成もかなり荒削りだが、劇中劇、長回し、心を抉るダイアローグなど、濱口作品らしい特徴がすでに顕著であり完成度が高い。特に東京モノレールの中で、辞書の言葉を読み上げるシーンは才能が迸り出ている。
珍しいことに、濱口監督自身も重要な役柄で出演している。東北記録映画三部作のインタビュアーや『ハッピーアワー』でのカメオ出演もあるが、本格的に俳優を演じているのはこの作品だけだろう。そして、この映画の中の濱口監督は、かなり嫌な奴である。早逝した映画研究会の先輩の遺作を完成させようとするが、わがままで周りの人を振り回し続ける。「濱口くんっていじめっ子顔だよね」と言われるシーンがあるが、その後に学生時代のいじめ経験を嬉々として話し出す。実際の濱口監督もいじめっ子だったのでは……と邪推してしまうような演技であった。
つげ義春の漫画『無能の人』を映画化したもので、竹中直人が監督と主演を務めている。かつて芸術的な評価を受けたものの今は書けなくなってしまった漫画家が、河原の石屋、中古カメラ販売などで商売を試みるもどれもうまくいかない。登場人物のどうしようもなさと寂寥感がつげ漫画の雰囲気を醸し出している。
8・黒沢清(1955生)『Chime』(2023、日)
近年『スパイの妻』(2020)のようなドラマでも評価されるようになった黒沢清だが、久しぶりに『CURE』(1997)のような訳のわからない怖さに満ちたホラーであった。
恐ろしい展開を予感させて何も起こらず、何も起こらないと思っているときに限って異常な展開に転がるので、始終恐ろしかった。
ところで、ネットでみつけた記憶のあるコメントなのだが、劇中で殺人事件を追う刑事が出てくるが、あれは本当の刑事ではなく、自分を刑事だと思い込んでいる人間なのだという……。劇中では特に暗示している描写はないはずだが、もしかしたらそうかもしれない、と思わせられてしまうくらいには不安な映画である。
9・吉田大八(1963生)『羊の木』(2018、日)
『桐島、部活辞めるってよ』『紙の月』の吉田大八は、あまり美しいとは言い難い人間心理の描写がうまい。本作では、更生プロジェクトとして富山に移住した殺人犯六人が巻き起こす問題に、市役所職員の錦戸亮が苦悩する。劇中の地元住民と同じように、世間の前科者への冷たさに憤慨させられるとともに、再犯に巻き込まれるのではという不安感も同時に煽られる。『復讐するは我にあり』の佐木隆三のノンフィクションに似た感触がある。
10・ダーレン・アロノフスキー(1969生)『ザ・ホエール』(2022、米)
病的な肥満で、余命幾許もない英語教師の室内劇を描く。自分が捨てた娘からの無心、偽善的な新興宗教の勧誘員の青年などが加わり、善意がどんどん横滑りになっていくのが、滑稽だがかなしい。玄関口にピザを置いていくときに、声をかけてくれるピザ屋の宅配員が実は救い手かと思いきや、ほんのささいな悪意にショックを受けてしまう。教師の敬愛するメルヴィルの『白鯨』のテクストは彼を救ったと言えるのだろうか。