Дама с Рилаккумой

または私は如何にして心配するのを止めてリラックマを愛するようになったか

2020年に読んだ本ベスト10

2020年に読んだ本ベストテン。

 

1・松本俊彦「依存症、かえられるもの/かえられないもの」(2018年から2020年まで『みすず』に連載、みすず書房より単行本刊行予定)

※(追記)2021年4月に『誰がために医師はいる クスリとヒトの現代論』に改題の上単行本刊行。

2・松本清張松本清張短編全集』(全11巻、光文社文庫

3・荒木優太編『在野研究ビギナーズ 勝手に始める研究生活』(明石書店)

4・ブレイディみかこ『ワイルドサイドをほっつき歩け ハマータウンのおっさんたち』(筑摩書房

5・エドガー・アラン・ポー『ポー短編集』(全3冊、巽孝之訳、新潮文庫

6・コナン・ドイル『ドイル傑作選』(全3冊、延原謙訳、新潮文庫

7・バートン・マルキールウォール街のランダムウォーカー 株式投資の不滅の真理』(井手正介訳、日本経済新聞出版社)

8・村田晃嗣『銀幕の大統領ロナルド・レーガン 現代大統領制と映画』(有斐閣)

9・善教将大『維新支持の分析 ポピュリズムか、有権者の合理性か』(有斐閣

10・入山章栄『世界標準の経営理論』(ダイヤモンド社

 

 

 

1・松本俊彦(1967-)「依存症、かえられるもの/かえられないもの」(2018年から2020年まで『みすず』に連載、みすず書房より単行本刊行予定)

※(追記)2021年4月に『誰がために医師はいる クスリとヒトの現代論』に改題の上単行本刊行。

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  まだ単行本になっていないが、大変に素晴らしいので載せる。

 依存症、自傷・自殺予防に関わる松本俊彦先生の業績と活動を知るにつけ、ただただ頭が下がる思いである。

この連載の単行本ばかりは、好事家としての気持ではなく、社会のために広く読まれてほしい。

 

2・松本清張(1909-1992)『松本清張短編全集』(全11巻、光文社文庫

西郷札―松本清張短編全集〈01〉 (光文社文庫)

西郷札―松本清張短編全集〈01〉 (光文社文庫)

  • 作者:松本 清張
  • 発売日: 2008/09/09
  • メディア: 文庫
 

 

 人間と社会の闇を鋭く抉った戦後日本の小説家として、清張の右に出るものはいないだろう。戦争、汚職、不倫、嫉妬、性慾、差別、貧困、差別などの人間の業を、厖大な作品群で描き続けた。

 清張は小倉市(現在の北九州市小倉北区)に育ち、貧しい生活を送った。十代後半で進学を諦め、職を転々とする。その後、朝日新聞社が小倉に西部支社を設置すると聞いて、広告デザイナーとして売り込み正社員となった。しかし大卒社員との露骨な学歴差別を痛感させられる日々が続く。復員後、生活費の足しにするため『週刊朝日』の懸賞小説に応募した「西郷札」が直木賞候補となる。ほどなく「或る「小倉日記」伝」が直木賞候補となり、選考途中で芥川賞の方に回されそれを受賞する。芥川賞受賞は1953年、44歳のときで、清張と同じ1909年生まれの太宰治は1948年に自殺している。自分のことを私小説家のように作品に投影することを嫌った清張であったが、この下積み時代の長さが清張文学の土台を作ったと言えるだろう。

 あまりにも厖大でジャンルが多岐にわたる清張の作品だが、短篇に清張のエッセンスが詰まっていると言われる。

光文社版の短篇全集は清張自選によるものである。以下に年代順で十選を掲げる。

 

一・「或る「小倉日記」伝」

 

 身体に障碍を抱える孤独な青年が、小倉左遷時代の森鷗外の日記の空白期間を埋めようと奮闘する。現実生活への厳しさと研究への情熱とが胸をうつ。

 芥川賞選考委員の坂口安吾が、選評において「小倉日記の追跡だからこのように静寂で感傷的だけれども、この文章は実は殺人犯人をも追跡しうる自在な力があり、その時はまたこれと趣きが変りながらも同じように達意巧者に行き届いた仕上げのできる作者であると思った。」と、のちの清張の推理小説家としての活躍を予見していたことで有名である。

 

二・「火の記憶」

 

 婚約者の男の父親が失踪扱いであったことに、相手方の家族は若干の疑念を抱いたが、大きな問題はないとして無事に結婚に至る。何年かして、夫は妻に自分が知っている限りの事情を明らかにし、失踪の真相を探っていくが。

 清張の推理小説は結末がある程度予想できるものが多い(といっても予想はできても気になって読み進めてしまうし、そもそも倒叙形式にしているものもある)。しかしながら、「火の記憶」のオチだけは全く想定外で、これまでの人間の関係がひっくり返ってしまったので動揺してしまった。

 

三・「赤いくじ」

 

 日本統治下の朝鮮で二人の軍人が、出征中の軍人の塚西夫人に近づこうと争っていた。敗戦後、アメリカ軍が進駐してくると聞いた軍の上層部は、心証をよくするため、日本人の女性を慰安のために差し出そうとする。その対象者は、米軍の事務対応の手助けをする者を選ぶという名目のくじ引きで決められたが、その中には塚西夫人もいた。

 予想と違い進駐軍との対応はあっけなく終了したが、引き揚げの際にはくじ引きの本当の意味が日本人の間で知れ渡っていた。

 「黒地の絵」と並び、清張の短篇の中でも最悪の読後感を残す。

 

四・「張込み」

 

 東京での強盗殺人犯が、九州にいるかつての恋人を尋ねてくるのではないかと睨んで、刑事が張り込む。つまらない家庭生活に閉じ込められた女に昔の恋愛の面影はなかったが、終盤で一瞬の生命の発露をみせる。

 野村芳太郎監督、橋本忍脚本の映画では、原作結末以降の話が加えられているが、こればかりは原作のようにあっさりと冷酷に終わらせる方が上手であると思う。

 

五・「声」

 

 清張のクライム・ミステリーには、日常のちょっとしたことで犯罪に巻き込まれる恐怖がある。

 新聞社で電話の交換手を務めていた朝子は、間違えてかけた電話で、強盗殺人犯の声をきく。何百人もの声を聞き分けられる朝子であったが、犯人の手がかりは摑めず、朝子も会社を辞めて結婚生活に入る。しかしそこにかつての声の記憶が忍び寄る。

 

六・「怖妻の棺」

 

 江戸時代の旗本、弥右衛門は妾宅で急死する。友人の兵馬は彼の恐妻のところに報告にいくが、愛人の存在を隠していたことを激しくなじられる。なんとか遺体の引取りを承諾させ、兵馬が妾宅に戻ると弥右衛門は息を吹き返していた。しかし弥右衛門は妻に浮気がばれたことに怯え、また切腹するしかないと言い出して……。

 清張には珍しくユーモラスな作品である。

 

七・「鬼畜」

 

 不倫相手が男の家に子供三人をおいて蒸発した。正妻は子供たちを処分するように妻に冷たく言い放つ。

 虐待の過程を淡々と記述していくのが恐ろしい。

 

八・「紙の牙」

 

 R市では市政新聞が跋扈しており、報道の名のもとで職員を脅し、協賛金の名目で金をせしめていた。R市の課長圭太郎は、愛人と温泉街にいるところを市政新聞の記者に目撃されたために便宜を要求されていく。

 弱みを握られた人間の哀れさが滲み出る。

 

九・「愛と空白の共謀」

 

 関西に出張していた夫が宿泊していた旅館で急死する。未亡人は亡夫の妻子持ちの同僚と親しくなり、出張に同行するが。

 ひとえに不倫相手と言っても、相手の家族に配慮できる人間と、自分の保身しか考えない器の小さい人間がいるのである。

 

十・「駅路」

 

 銀行を勤め上げた男が突如失踪する。子供を育て上げたのちに家庭から逃れ、もう一つの人生を歩もうとする男の悲しい末路を辿る。

 向田邦子が「駅路」を原作に「最後の自画像」というNHKドラマの脚本を書いている(新潮社より刊行)。清張の原作にはなかった女性側からの視点が反映されており、相変わらず鋭い台詞に唸る。

 

3・荒木優太(1987-)編『在野研究ビギナーズ 勝手に始める研究生活』(明石書店)

 

 

 

 高等小学校卒業の清張は、学閥に対して激しい対抗心を示した。古代史や昭和史などで独自の説を開陳して波紋を広げた。かなり陰謀論的で面白さはともかく学術的に妥当なものかは微妙だが、中央の固陋な大学エリートという存在に対する異議申し立てとしての意義はあっただろう。

 一方で現在の日本の大学は、清張が批判した閉鎖性以上に、経済的な苛酷さがますます深刻となっている。よほどの能力、幸運がない限り、研究者(特に文系)がポストを獲得することは困難である。

 このような現状の中で、大学での研究のオルタナティブを提示する本書が編まれたのも時代の要請であろうか。明治大学大学院で有島武郎修論を出して現在在野研究者となっている編者が、在野研究の意義と方法、メリットとデメリット、生活との両立、在野研究者へのインタビューなどをまとめている。在野研究の道もまた手探りで厳しいが、今後の学術研究発展への希望を抱かせてくれる。

 

 

4・ブレイディみかこ『ワイルドサイドをほっつき歩け ハマータウンのおっさんたち』(筑摩書房

 

 

 

 『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社)がベストセラーとなった著者が、そのB面ともいうべきイギリスの労働者階級の白人中年男性を描いた新作である。題名は、労働者階級の子供が学校・教育への反抗的姿勢を示すことによって労働者階級が再生産されていく過程を綴ったポール・ウィリスの教育社会学の名著『ハマータウンの野郎ども』(ちくま学芸文庫)より。

 ブレグジットやトランプ当選で、リベラル派の若者から悪口ばかり言われる中高年の白人男性層であるが、彼らなりにオールドエコノミーの低迷を受けて苦しんでいるのである(ただし白人男性の苦境を強調することが、それ以上の苦難を味わってきた黒人や女性の問題を相対的に隠蔽してしまう可能性には留意しなければならない)。

 とりわけ印象的なのが、第7章「ノー・サレンダー」の強面でスキンヘッドのスティーブである。彼は忙しい仕事の合間をぬって図書館に通い詰めている、いわば在野研究者である。しかし保守党の緊縮財政下、図書館は閉鎖され、保育園と併設の、少しばかりの絵本と、受け取りカウンターがあるだけの図書室になってしまった。それでもスティーブは意地で黙々と本を読み続けるが、次第に子供たちの世話も手伝わされるようになって……。

 

5・エドガー・アラン・ポー(Edgar Allan Poe、1809-1849)『ポー短編集』(全3冊、巽孝之訳、新潮文庫

 

 

 

 推理小説とS Fのはしりであり、その恐怖と美にみちた異常な世界に追って、世界中に信者を生み出し続けている19世紀アメリカを代表する小説家・評論家・詩人のエドガー・アラン・ポーの作品を、サイバーパンクや新歴史主義などに精通している巽孝之が、「ゴシック編」「ミステリ編」「S F&ファンタジー編」に分けて紹介する。

 新型コロナによって再注目された「赤き死の仮面」や、女性崇拝とそれを守るための奴隷制を支持した差別主義者としての側面もほの見える世界初とされる推理小説「モルグ街の殺人事件」といった定番に加え、サイボーグとして読み解く「使い切った男」、実在した謎のオートマトンから人工知能・AIの問題につながる「メルツェルのチェスプレイヤー」、ディストピアを先取りし映画『ブレードランナー』へと繋がる(これは流石に繋げ過ぎな気がする)未完の遺作「灯台」など、ポーの魅力を現代的テーマに繋げ甦らせる。

 

6・コナン・ドイル(Conan Doyle、1859-1930)『ドイル傑作選』(全3冊、延原謙訳、新潮文庫

 

 

 

 シャーロック・ホームズの生みの親であるが、本人はホームズものをお気に召していなかったようである。しがない開業医であったドイルは、小遣い稼ぎに小説を書き始め、ホームズもので思わぬブームを巻き起こした。しかし本当になりたかったのは歴史小説家であり、妙に人気になってしまったホームズに嫌気がさして、「最後の事件」において、モリアーティ教授とのどさくさの中でホームズを殺す訳だが、読者の抗議が殺到しにやむなく生き返らせた。

 ホームズだけでドイルを語るのは本人に申し訳ない気がする。このアンソロジーは、ホームズが出てこないドイルの名短篇を「ミステリー編」「海洋奇談編」「恐怖編」の三篇に分けて紹介する。見事なプロットと読者へのサービス精神が発揮されている。

 中でも「五十年後」は感動する。カナダにいったきり帰ってこない男の言葉を信じて婚約者はイギリスで待ち続ける。男の方はカナダで暴漢に襲われ記憶喪失になっていたが、五十年後……。オカルトの味付けが効いている。

 ところでこの新潮文庫版傑作選だが、本当は全8冊あるらしい。「ボクシング編」や「海賊編」もあるとの噂は読んだことがあるのだが、ネットにもほとんど情報がないし、図書館でも実物を見かけたことがない。

 新潮文庫でのドイル作品の整理番号は「ド-3-○」だが、現状1(『シャーロック・ホームズの冒険』)から13(『ドイル傑作選(Ⅲ)』)まで全て埋まっており、この間には絶版は存在しないはずである。そのため絶版本が存在するとは思っていなかったのだが、そうすると、「ド-3-14」以降に『ドイル傑作選(Ⅳ)』以降が存在したのだろうか。

 新潮文庫版と似たコンセプトの創元推理文庫版の『ドイル傑作選』(全5冊)でも他の短篇が結構読めるのだが、やはり喪われた新潮文庫版が気になる。誰かこの謎を解いてくれる名探偵はいないものか?

 

7・バートン・マルキール(Burton Malkiel、1932-)『ウォール街のランダムウォーカー 株式投資の不滅の真理 原著第12版』(井手正介訳、日本経済新聞出版社)

 

 

 

 株式相場はランダムなので予測しようがないという、ショックで受け入れがたい、しかし当たり前な主張を手を替え品を替え懇切に繰り返す。

2020年の年始も3月の急落はおそらく誰も予想できなかったし、その後の感染再拡大や、株式市場にマイナスと警戒されていたバイデンの勝利にもかかわらず、ひたすら急騰し続けたことはさらに予想できなかったことである。

 とはいえ、いくらこの本でインデックスを長期で放置するのが最善と言われても、今度の自分だけは違うと慾を出して大損をしてしまうのが大半の人間の性ではある。この本でインデックス投資の万能性を知ったはずの私も、高金利のロシア国債に目がくらんでしまい、為替変動で巨額の含み損を抱えてしまった。

 

8・村田晃嗣(1964-)『銀幕の大統領ロナルド・レーガン 現代大統領制と映画』(有斐閣)

 

 

 

1980年代のアメリカ大統領ロナルド・レーガンは功罪ともに大きな影響を残した。小さな政府と軍備増強、保守文化を志向したタカ派として批判されながらも、イギリスのサッチャー、日本の中曽根、西ドイツのコール、ヨハネ・パウロ2世、そしてソ連ゴルバチョフといったプレーヤーとともに1980年代の国際政治を大きく動かした。学生時代にレーガンの人気を受けて政治家活動をはじめ、レーガンの美声を思わせるバリトンの演説で支持者を熱狂させ、支持率が低迷していた時期にはレーガンの伝記を読んでヒントを得ようとしていたオバマもまたリベラル派のレーガンの息子であったと言える。

レーガンはハリウッド俳優出身の大統領であったが、売れないB級俳優だったとして俳優時代のことは等関視されてきた。この本は映画俳優時代のレーガンと政治家時代のレーガンとがいかに相互に関わりあってきたかを解き明かす。

レーガンは俳優時代に演劇と発声のメソッドを叩き込み、それが政治家時代の演説、立ち回りのうまさにつながった。また『リーダーズ・ダイジェスト』を愛読し、ジョークを飛ばす楽天主義的な要素も大衆の心を惹いた。そしてレーガンの大統領としての強烈な個性は、アメリカ映画における政治の描かれ方にも大きな余波をもたらした。

 中でも就任直後に発生したレーガン暗殺未遂事件は、映画と政治が互いに呼びかわしている。レーガン自身が映画俳優出身であり、その日はアカデミー賞の授賞式に出席する予定であった。犯人は『タクシー・ドライバー』を観ており自分がジョディ・フォスターと付き合っているという妄想に囚われ彼女を惹くために大統領暗殺を企てた。そして『タクシー・ドライバー』での大統領候補暗殺計画は1972年のジョージ・ウォレス暗殺事件を題材にしていた。さらにレーガンを庇ったシークレットサービスのジェリー・パーがシークレットサービスを目指したきっかけはレーガン主演の映画『シークレットサービスの掟』であった。この事件で生き延びたレーガンは一気に支持を固めていく。

 

9・善教将大(1982-)『維新支持の分析 ポピュリズムか、有権者の合理性か』(有斐閣

 

 

維新支持の分析 -- ポピュリズムか,有権者の合理性か

維新支持の分析 -- ポピュリズムか,有権者の合理性か

  • 作者:善教 将大
  • 発売日: 2018/12/20
  • メディア: 単行本
 

 

 日本維新の会はインテリ層から蛇蝎の如く嫌われている。しかしながらこの本では、維新の会のポピュリズムを一括りに批判する方が逆に短絡的になってしまっていないかと皮肉っている。

 維新の会を単純にポピュリズム現象と位置付けるといくつかの矛盾が生じる(そもそも維新をポピュリズムだと批判している論者がポピュリズムが何かを理解しているかどうかは疑問だが)。例えば大阪府では自公と共産党が相乗りしても敵わないほどの圧倒的な人気を誇るが、関東、兵庫、京都、滋賀などの大阪府以外ではそれほど支持があるわけではない。

特に大きな反証となっているのが2015年の大阪都構想住民投票が僅差ながら否決されたことである。その選挙をきっかけに維新が飽きられた訳ではなく、その後の選挙では維新の勝利が続いている。著者はこの住民投票の結果をもとに、維新支持者は、意外と合理的に大阪の住民の意見を代弁してくれる集団としての維新を評価し、それゆえにメリットに懸念があった大阪都構想では賛成を留保したのだと仮説を立てる。それを感覚的な議論ではなくデータ分析に基づいて数理的に解き明かしていく。

 2020年の2回目の住民投票においても、直前の吉村人気にもかかわらず前回と同じような結果に終わったことは本書の主張の妥当性を示しているだろう。有権者は大衆が思うほど万能ではないが、エリートがけなすほど馬鹿でもないということだろう。

 

10・入山章栄(1972-)『世界標準の経営理論』(ダイヤモンド社

 

 

世界標準の経営理論

世界標準の経営理論

 

 

 ビジネス系のコメンテーターやインフルエンサーが「社会学や人文系の学問は自分の思いつきを勝手に書いているだけ」というような類のことを言っていると、(経営学やビジネス書も大概やぞ……)とぼやきたくなるが、本書は経営学を根柢の理論から記述する優れた大著である。

経営学を経済学、社会学、心理学の3ディシプリンを基礎においた応用の学として位置付け、代表的・標準的な30の理論を紹介する。個人的に気に入ったのはゲーム理論と、企業がなぜ存在するのかという根本的疑問にこたえる取引費用理論、金融のオプション取引を応用し将来の不確実性に対処できるようにするためのリアル・オプション理論である。

 理論は現実の後追いをしているのではなく昔の理論が十分その後現実に起こったことを説明できること、SWOT分析のようなフレームワークは理論そのものではなく、それを金科玉条の如くいじくるのは合理的ではないことなど、帰納的ではなく演繹的に経営学を理解するヒントに溢れている。