Дама с Рилаккумой

または私は如何にして心配するのを止めてリラックマを愛するようになったか

2018年に読んだ本ベストテン

2018年に読んだ本ベストテン。

1・ブレイディみかこ『子どもたちの階級闘争 ブロークン・ブリテンの無料託児所から』(みすず書房
2・Kazuo Ishiguro, “Never Let Me Go”, London: Faber and Faber.【カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』(土屋政雄訳、ハヤカワepi文庫)】
3・J. M. Coetzee, “The Childhood of Jesus”, London: Jonathan Cape, “The Schooldays of Jesus”, London: Harvill Secker.【J.M.クッツェー『イエスの幼子時代』(鴻巣友季子訳、早川書房)、『イエスの学校時代』(未邦訳)】
4・『江戸川乱歩全集』(全三十巻、光文社文庫)
5・『つげ義春全集』(全八巻・別巻、筑摩書房
6・パク・ミンギュ『三美スーパースターズ 最後のファンクラブ』(「韓国文学のオクリモノ」シリーズ、斎藤真理子訳、晶文社
7・菅原晃『高校生からわかるマクロ・ミクロ経済学』(河出書房新社
8・金森修『人形論』(平凡社
9・竹内政明『読売新聞朝刊一面コラム 竹内政明の「編集手帳」傑作選』(中公新書ラクレ
10・ダナ・ハラウェイほか著、巽孝之小谷真理編訳『サイボーグ・フェミニズム 増補版』(水声社

1・ブレイディみかこ(1965-)『子どもたちの階級闘争 ブロークン・ブリテンの無料託児所から』(みすず書房、2017)
 緊縮、託児、移民、人種、貧困、ジェンダーといった複雑に絡みあう問題を、一度読めば忘れることのできない強烈な文体で曝露する。現代社会に生きる人間を考える上で、このイギリスの無料託児所という「地べたからのポリティクス」から発せられた人間たちの叫びの数々を無視することは不可能である。

2・Kazuo Ishiguro(1954-), “Never Let Me Go”, London: Faber and Faber, 2005.【カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』(土屋政雄訳、ハヤカワepi文庫、2008)】
 カズオ・イシグロは長崎生まれの日系イギリス人作家で、2016年度にノーベル文学賞を受賞した。代表作『わたしを離さないで』のあらすじについては周知の通りなので、特に語る必要はないだろう。しかしあらすじを知っていても(知っているからこそ)疑問が疑問を呼ぶ構造となっている。
 ところで、ほとんどの読者が疑問に思うことだが、なぜ彼女ら彼らは運命に抵抗しようとはしないのだろうか。終盤でキャシーとトミーが計画したことも、あくまで自分たちの猶予(deferral)に過ぎず、システム全体を変えようとは考えていない。
『わたしを離さないで』のアダプテーションは、この面で違和感を覚えさせないように改変させられている。マーク・ロマネク監督の映画(2010、英)では、生徒たちは生体認証装置をつけられて監視されている。また、2016年のTBS系列のドラマ(森下佳子脚本)では、反対運動を展開する活動家の存在が重要なウェイトを占めている。しかしながら原作の小説には、反抗を防止するような外的監視もなければ、活動家もいないのだ。
 イシグロ自身は、キャシーたちの受容的な態度は人間に本質的なものではないかと語っている。しかしこのイシグロの説明だけでは不十分であるように思われる。さらに踏み込んだ説明をしているのが、『カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』を読む ケアからホロコーストまで』(水声社、2018)所収の田尻芳樹の論攷「『わたしを離さないで』におけるリベラル・ヒューマニズム批判」である。田尻論攷は、キャシーたちが運命に抗わずそれを受け入れてしまうのは、キャシーたちの寄宿学校であるヘールシャムにおける人文・芸術教育のせいだと分析している。文学や音楽、美術などといった人文教育は一見、生徒たちに人間的な教養を授けてくれる、人道的で素晴らしいものであるかのように装っている。しかしながら、実際のところ、ヒューマニズム教育は、生徒たちに精神的な満足感を与えることによって苛酷な現実から目を逸らさせるように機能しているに過ぎないのだという。すると、この『わたしを離さないで』という小説も含めて、この現実における文学もまた抑圧の装置にすぎないのだろうか?

 
3・J. M. Coetzee(1940-), “The Childhood of Jesus”, London: Jonathan Cape, 2013. “The Schooldays of Jesus”, London: Harvill Secker, 2016.【J.M.クッツェー『イエスの幼子時代』(鴻巣友季子訳、早川書房、2016)、『イエスの学校時代』(未邦訳)】
 クッツェーは、『マイケル・K』と『恥辱』でブッカー賞を二度受賞し、2003年度にノーベル文学賞を受賞した。南アフリカアフリカーナーの家庭に生まれたが、父がイギリス贔屓であったために、英語の教育を受けていた。
現在はオーストラリアのアデレートに居住していることからもわかる通り、南アフリカの作家としてクッツェーを捉えるのはもはや狭い。ブエノスアイレスのサンマルティン国立大学の講座で語ったように、現在のクッツェーは、これまでの北半球中心主義的な文学に反旗を翻し、アフリカ、オセアニア南アメリカといった「南半球の文学」を提唱している。英語帝国主義へのささやかな抵抗として、最新短篇集『モラルの話』(くぼたのぞみ訳、人文書院、2018)も、スペイン語翻訳と日本語翻訳は出版されているが、英語の原語版はいまなお出版されていない。
 最新長篇『イエスの幼子時代』と『イエスの学校時代』は英語であるが、舞台はスペイン語圏である。移民船でやってきた5歳の少年ダビードは手紙を亡くし、迷子になってしまう。同じ船でやってきた初老の男シモンは、ダビードの父親として、母親探しの旅に出る。そしてイネスを一目見た彼は、彼女こそダビードの母親になるべき人間だと直感する。
 徹底的に削ぎ落とされた文体を通じて、豊かな物語性を楽しむことができる。しかしシモンや学校の教師たちを困らせるダビードの絶え間ない質問のように、クッツェーは根源的な問いを何度もぶつけてくる。家族とは何か、教育とは何か、世界とは何か、そしてスペイン語であるべきものが英語として書かれているこのテクストとは何か。
 タイトルからも分かる通り、『イエスの幼子時代』は聖書と『ドン・キホーテ』を暗示的に用いており、続く『イエスの学校時代』ではさらに、アンナ・マグダレーナとヨハン・ゼバスチャンとのバッハ夫妻と、ドミートリーとアリョーシャの『カラマーゾフの兄弟』とが絡みあっていく。

4・江戸川乱歩(1894-1965)『江戸川乱歩全集』(全三十巻、光文社文庫、2003-2006)
 乱歩の本文もそうだが、間村俊一による装幀が美しい。さらに註釈も非常にしっかりしている。光文社版文庫では、全小説と、大半の評論を収録している。
 江戸川乱歩エドガー・アラン・ポーにちなむ名前であることは有名だが、本名は至って平凡で、平井太郎という(そういえば怪人二十面相の本名も平凡であった)。平井太郎江戸川乱歩という二つの名前のように、彼の生涯と文学世界は、いろいろな矛盾する要素で成り立っている。
乱歩は早稲田大学で経済学を学んだ後、職を転々とする。造船所や新聞の広告担当、さらにはチャルメラ屋もやっている。極度の人嫌いであった彼は、仕事場の人間関係が嫌でたまらず、造船所の独身寮では、会社の同僚の目を避けるために、押し入れに閉じこもり、そこで一人本を読み空想に耽ることが唯一の楽しみであったという。
 1923年に森下雨村に送った短篇推理小説二銭銅貨」が絶讃され、その後は専業の推理小説家として活動していく。しかしながら、乱歩の本領は推理小説以外のところにあったのかもしれない。もちろん推理小説家としての乱歩の手腕は卓越しているものではあるが、トリックに矛盾があったり、伏線の回収を忘れていたりなど頻繁にミスをしている。むしろ、文体の香気、そしてエロ・グロ趣味によって乱歩は人気を集めたのである。明智小五郎が初めて登場する「D坂の殺人事件」もトリックはそれほどのものではないのだが、動機が面白い。
 屋根裏に隠した屍体の腐敗していく様を赤裸々に描く「蟲」、敬愛する女流作家に近づくため椅子の中に入り込んだ男の慾望を描く手紙「人間椅子」、孤島に楽園を築いた男が花火として打ち上げられ、島に血の雨が降る「パノラマ島綺譚」、そして乱歩作品で唯一全文発行禁止処分を受けた「芋虫」は、戦争によって四肢、五感の感覚器官を失い芋虫となった夫の物語であった……(「芋虫」は左翼からの評判がよかったが、乱歩自身はグロテスク趣味に過ぎないと断っている)。
 こんなエロ・グロ作家が健全な少年ものを書くようになるとは想像しがたいのだが、慧眼の持ち主であったのだろう、とある雑誌編輯者からの依頼で、乱歩は少年探偵団シリーズを開始し、終生のベストセラーとなる。しかし乱歩は少年もの、さらにエロ・グロものではなく、本格推理小説を書きたいという思いを常に抱き続けていた。
 戦争中は依頼が来なくなり、既存作品も版元が自主的に絶版にしてしまった。乱歩は、日中が暇になり、仕方なく隣組大政翼賛会などの組織長を引き受けたのだが、そこで秘められたマネジメント能力が開花することとなる。極度の対人恐怖症であった戦前とはうってかわって、戦後は、推理小説界の世話人として積極的に活躍していく。後進作家の育成にも世話を焼き、筒井康隆を発見したことも有名である。その代わりに、多忙のために戦後の小説には戦前の毒気が薄まってしまっている。それでも乱歩の活動がなければ、今の日本推理小説界は存在しなかったはずである。矛盾する要素で組み合わされた作家、江戸川乱歩は今もなお二十面相を見せつけてくる。

5・つげ義春(1937-)『つげ義春全集』(全八巻・別巻、筑摩書房、1993-1994)
 
 つげ義春は、〆切に追われて『ガロ』(青林堂)に書き殴った「ねじ式」(1968)によって、全共闘世代の若者たちから熱狂的な支持を受ける。この作品集では、「ねじ式」の他に「李さん一家」「紅い花」「外のふくらみ」「無能の人」なども収録されている。極度の貧困というリアリズムが、シュルレアリスムに転化していく様子は、忘れられない印象を残す。
 つげは葛飾の小学校を卒業後、地元のメッキ工場で働き始める。貸本漫画でデビューするが、極度の貧困に悩まされた。「ねじ式」によって70年代に突如インテリから注目されるようになる。このつげブームによって莫大な印税が入るものの、寡作となっていく。1987年の『別離』発表以降、たまにインタビューに応じる他は、完全に沈黙している。『ガロ』の版元である青林堂は、出版不況のあおりを受けてヘイト路線に転向した。『ガロ』のつげ作品の著作権青林堂有志が分離独立させた青林工藝舎が受け継いでいる。

6・パク・ミンギュ(1968-)『三美スーパースターズ 最後のファンクラブ(韓国文学のオクリモノ)』(斎藤真理子訳、晶文社、2017)
 これまで韓国・朝鮮文学は抗日と民主化運動の観点で語られることが多かったが、晶文社とクオンなどから現代韓国文学の翻訳が立て続けに出てきている。
 三美スーパースターズは、仁川に拠点をおいた韓国プロ野球草創期のチームであり、一年目で勝率0.125という驚異的な成績を残す。二年目には奇跡的な活躍をみせ2位まで上り詰めるも、三年目からはまた最下位争いを繰り広げ、親会社の経営不振によりあえなく消滅する。
 この最弱チームのファンクラブに所属したことがトラウマになった少年たちは、その後の人生で、社会の競争で負け続けるとはどういうことなのかを悟り、そして1997年の韓国通貨危機を乗り越えていく。

7・菅原晃(1965-)『高校生から分かるマクロ・ミクロ経済学』(河出書房新社、2013)
 こういうタイトルの入門書はえてして高校生が読んでもわからないものだが、この本は貴重な例外である。著者は北海道の公立高校の政治経済の教員で、本著の前身である自費出版が話題となり、古書価が急騰した。
 高校の教科書からの引用で、マクロ・ミクロ経済学をわかりやすく解説する。教科書の引用と並列する形で、経済学的に明らかにおかしい新聞報道も引っ張ってきてこき下ろす(例えば「日本の国家予算を安倍家の家計に例えると……」のようなコラム)。世間の議論の多くが、実は教科書の基本すら押さえられていないのだということを反省させてくれる。

8・金森修(1954-2016)『人形論』(平凡社、2018)
 著者の金森修は、筑波大、東京水産大を歴任、東京大の教育学研究科に在任中に大腸癌のため早逝した。『人形論』はおそらく最後の著作である。
 金森はガストン・バシュラールなどのフランス科学認識論(エピステモロジー)研究から出発したが、科学と詩学の世界を行き来したバシュラールの生き方をなぞるかのように、遺伝子組み替え、動物論、ゴーレムなど多彩な議論を展開した。最後に行き着いたテーマが人形であったというのは、いささか風変わりに思えると同時に、まさにふさわしい研究対象であるとも感じられる。
厖大な人形の形態や歴史、先行研究をまとめながら、金森は独自の人形論を作り上げていく。学術的であると同時に、人間味が感じられる。

9・竹内政明(1955-)『読売新聞朝刊一面コラム 竹内政明の「編集手帳」傑作選』(中公新書ラクレ、2018)
 残念ながら2017年に病気のため「編集手帳」の執筆から降りた。この本には、 2017年7月から8月までのコラムと、過去16年の傑作コラム、そして2015年度の記者クラブ賞を受賞した際の記念講演とからなっている。
 記念講演では、勝った人より負けた人、話題の人より日の当たらない人に味方してきたと明かす。
 人気力士の高見盛が引退した翌日の「編集手帳」は、もう一人の同郷の力士の引退を扱っていた。武州山は、大相撲でそこまで大きな成績をあげていないが、八百長が問題になった際にガチンコ力士第一号の認定を受けた。武州山は証拠品の携帯と通帳を提出しようとしたが、あなたがガチンコでやっていることはみんな分かっているよ、と突き返された。
 記念講演の文章を読むと、「日の当たらない人」に書くという信念が、「編集手帳」の名文につながっていったということが分かる。といっても凡人がそう心掛けただけでは、到底真似できる文章でもないが。

10・ダナ・ハラウェイ(Donna Haraway, 1944-)ほか著、巽孝之小谷真理編訳『サイボーグ・フェミニズム 増補版』(水声社、2001、初版はリブロポート、1991)
 アメリカのダナ・ハラウェイは、生物学的フェミニズムやサイボーグ研究から出発し、現在はコンパニオン・アニマル、ニュー・マテリアリズムの代表的論者となっている。1985年発表の論文“A Cyborg Manifesto”は、フェミニズムとサイボーグを連結させるという奇抜な発想ながら、緻密な議論を展開する。
 ハラウェイの邦訳は他にも出ているが正直なところ読みづらい。訳者が駄目というよりは、どうもハラウェイの英語が難解すぎるようなのだが、この本に収録されている小谷真理訳の『サイボーグ宣言』は非常に明晰である。さらに巽孝之サイバーパンクな序文や他の研究者の論文、関連するフェミニズム系SF作品の評論などが収録されており、ハラウェイの議論を摑む上で非常に親切なつくりとなっている。『サイボーグ・マニフェスト』を読めば、現代社会に生きる読者は自らをサイボーグとして認識するに至るであろう。

2017年に読んだ本ベストテン

2017年に読んだ本ベストテン。

1・『山崎豊子全集』(全二十三巻、新潮社)
2・『向田邦子シナリオ集』(全六巻、岩波現代文庫
3・『向田邦子全集 新版』(全十二巻・別巻二、文藝春秋
4・大澤真幸山崎豊子と<男>たち』(新潮選書)
5・太田光向田邦子の陽射し』(文藝春秋
6・エティエンヌ・ボノ・ド・コンディヤック『動物論 デカルトとビュフォン氏の見解に関する批判的考察を踏まえた、動物の基本的諸能力を解明する試み』(古茂田茂訳、法政大学出版局
7・J・M・クッツェー『動物のいのち』(森祐希子・尾関周二訳、大月書店)
8・淀川長治蓮實重彦山田宏一『映画千夜一夜』(全二冊、中公文庫)
9・竹内政明・池上彰『書く力』(朝日新書
10・羽田圭介『コンテクスト・オブ・ザ・デッド』(講談社

1・山崎豊子(1924-2013)『山崎豊子全集』(全二十三巻、新潮社)
4・大澤真幸(1958生)『山崎豊子と<男>たち』(新潮選書)
 全集には『暖簾』『花のれん』『女の勲章』『白い巨塔』『華麗なる一族』『不毛地帯』『二つの祖国』『大地の子』『沈まぬ太陽』『運命の人』『約束の海』など、盗作疑惑のある『花宴』以外の全作品を収録しているが、新潮文庫版と文春文庫版でほぼ全て読める。
 山崎豊子の本質を知るには実際の小説を読むことが最良なのはもちろんだが、何しろ長い。代わりに簡潔にまとめてくれているのが、新潮文庫版『女の勲章』に寄せられた批評家の江藤淳の解説である。
1961年、当時朝日新聞文芸時評を担当していた江藤淳は、新聞連載と大衆小説は扱わないという当時の新聞時評の二つの暗黙の了解を破ってまで、毎日新聞に連載されていた『女の勲章』の賞賛に丸々一頁をあてていた。
 江藤は、山崎が『女の勲章』の単行本のあとがきで、フランスとポルトガルの描写が現実に即しているかどうかを執拗に気にして、ポルトガルの建物の描写の誤りを単行本で書き直したと述べていることに注目し、現実世界に対する信頼や執着が山崎豊子の強さであり弱さであると指摘している。文庫版の解説が書かれた1964年、山崎は『白い巨塔』の連載を始めたばかりであり、出身地の大阪商人や女性の生き方をテーマにした作家としてみられていた。社会派作家として大成する山崎の特徴を見抜いていた江藤淳の慧眼に改めて驚く。
 文学の世界から程遠く感じられる大学病院、都市銀行、総合商社、防衛庁などの巨大組織の生態を克明に記す。山崎が記してきたものは、もはや小説というよりも戦後社会そのものではないか。
 大澤真幸山崎豊子と<男>たち』は、純文学の世界で無視され続けてきた山崎作品のおそらく初めての本格的な評論となっている。大胆ながらほとんど破綻のない内容だけでなく、山崎作品をまた読み返したくなる点で成功している。
 
2・向田邦子(1929-1981)『向田邦子シナリオ集』(全六巻、岩波現代文庫
3・『向田邦子全集 新版』(全十二巻・別巻二、文藝春秋
5・太田光(1965生)『向田邦子の陽射し』(文藝春秋
 山崎豊子のあとに向田邦子を読むとほっとする。出てくる人間は誰もがさびしく、ずるくて、弱々しい。山崎作品だとこうはいかない。出来の悪い人間は大企業と銀行にいじめられるのが常だ。たとえいいところに入れたにしても、上司の濡れ衣を着せられ、よくて辞職、悪くて変死する。
 『七人の孫』『寺内貫太郎一家』などのテレビの脚本家としての仕事は、将来形に残らないから恥ずかしくないという理由で気楽にやっていたという。小説も編輯者に薦められて手遊びに書いていたらすぐに直木賞をとってしまった。作者本人が案外適当に書いてきたことが、わかりやすく、短い言葉で人間を抉り出す文学を生み出すに至った。
 文春版全集の月報では、爆笑問題太田光が「男が読む向田邦子」を寄稿している。太田光は、又吉直樹が現れるまでは、読書家芸人の代表格であった。ただし又吉と違い純文学はあまり好みではないと公言している。『向田邦子の陽射し』は大田の月報と、太田が選ぶ小説・エッセイの傑作選をまとめたものである。コメントが的確であるとともに、向田ファンとしての熱い気持が伝わってくる。

6・エティエンヌ・ボノ・ド・コンディヤック(1714-1780)『動物論 デカルトとビュフォン氏の見解に関する批判的考察を踏まえた、動物の基本的諸能力を解明する試み』(古茂田茂訳、法政大学出版局
 コンディヤックは合理論が支配的な当時のフランスで、イギリス経験論の系譜にあった哲学者である。今のところ邦訳は『人間認識起源論』(岩波文庫)と『論理学 考える技術の初歩』(講談社学術文庫)しかない。
 副題にもあるが、コンディヤックが批判するのは、デカルトとビュフォンである。この二人は人間だけに精神の存在を認め、それ以外の動物に精神は存在せず、物理的法則で動いているに過ぎないとみなす「動物機械論」を主張していた。のちの西洋思想史に大きな禍根を残すこととなる「動物機械論」を、コンディヤックは具に検討していく。その論述の過程が、具体的で面白く、お手本にしたい。
 コンディヤックの論述にも今日からみると疑問に思える箇所が多いが、批判的に検討している訳註が詳細に付されているのがさらによい。残念ながら懇切なあとがき・解説は訳者の急逝により書かれることはなかった。

7・J・M・クッツェー(1940生)『動物のいのち』(森祐希子・尾関周二訳、大月書店)
 クッツェー南アフリカ出身の小説家・評論家。『マイケル・K』と『恥辱』でブッカー賞を二度受賞し、2003年にノーベル文学賞
 クッツェーは、文章自体は比較的平易だが、なぜか捉えどころがない。『動物のいのち』も謎めいた構成である。プリンストン大学クッツェーが講演を頼まれたときに話したのが、小説家エリザベス・コステロが自由な内容でいいからと頼まれた講演における動物の権利問題を巡るスピーチと、それに付随したピーター・シンガーなどの実際の人物の講評を含む、この『動物のいのち』という文章であった。さらにエリザベス・コステロは、クッツェーノーベル文学賞を受賞した年に書かれた『エリザベス・コステロ』(鴻巣友季子訳、早川書房)でまた物議を呼ぶスピーチを行う。小説なのか評論なのかよくわからない。
 人間に認められる権利をなぜ動物には適用しないのか、動物を食べることは本当に許されるのか、とコステロは過激な意見を述べる。その激越さで読了後も認識が歪むような感覚を読者に与え続ける。

8・淀川長治(1909-1998)・蓮實重彦(1936生)・山田宏一(1938生)『映画千夜一夜』(全二冊、中公文庫)
 何より淀川さんが蓮實重彦をやっつけているのが小気味いい。淀川さんは日曜洋画劇場の優しい解説で親しまれていたが、相当な毒舌である。気に入らない映画や俳優に対しては容赦ない。
 蓮實重彦山田宏一の二人ですら淀川さんに決して太刀打ちできないのは、淀川さんが今日では散佚してしまった映画を観ているからだ。VHSやDVD、まして動画配信など考えられなかった昔、映画フィルムは一回上映されればそれっきりであった。さらに火事を恐れて古いフィルムは保管よりも処分が好まれていた。そんな草創期の映画も淀川さんの驚異的な記憶力で蘇る。
 その淀川さんも盟友黒澤明の後を追うようにこの世を去ってしまった。鼎談は映画の快楽を改めて思い知らせてくれると同時に、永遠に失われた映画史への哀惜の念も起こさせる。

9・竹内政明(1955生)・池上彰(1950生)『書く力 私たちはこうして文章を磨いた』(朝日新書
 読売新聞とNHKの関係者が朝日新聞の子会社で対談するという妙な本だ。
 当代随一の名文は、読売新聞の朝刊一面コラム『編集手帳』であろう。その著者である竹内政明・論説委員が文章の秘訣について語る。
 斎藤美奈子が『文章読本さん江』(ちくま文庫)で、名文指南の本を完膚なきまでに批判してから、文章読本のジャンルは潰えてしまったかのように思えるが、『書く力』は奇を衒うのではなく、簡潔明瞭な文章を志向している点で充分参考になる。とはいえ読了して思うのは、文章のコツはある程度学べても、『編集手帳』は到底真似できるものではないということだ。

10・羽田圭介(1985生)『コンテクスト・オブ・ザ・デッド』(講談社
 羽田圭介は、芥川賞を同時受賞したのが又吉直樹であったがために作家としてのキャリアが狂ってしまったのではないか。又吉ではない方も面白い、とマスコミの露出が激しくなることはなく、純文学の枠の中で飄々と生きていったはずだ。
 受賞第一作の『コンテクスト・オブ・ザ・デッド』は日本の純文学業界の戯画である。ゾンビの出現で世界がパニックになるというあらすじだが、登場人物の多くは純文学業界に生きる人間である。純文学の凋落に苦しむ編輯者の須崎、須崎の担当であり若くして新人賞をとりながらもパッとしない小説家K、そしてKと同時期に新人賞を取りながらもマスコミにちやほやされている寡作作家の桃咲カヲル。登場人物の大方はモデルが思いつく。
 初出誌は純文学誌『群像』であるが、『群像』らしからぬエンターテインメント性を備えている。このこともまた純文学への揶揄となっている。

2016年に観た映画ベストテン

2016年に観た映画ベスト10。

邦画
1・小津安二郎秋日和』(1960)
2・小津安二郎彼岸花』(1958)
3・小津安二郎『一人息子』(1936)
4・小津安二郎秋刀魚の味』(1962)
5・小津安二郎麦秋』(1951)
6・小津安二郎『晩春』(1949)
7・小津安二郎『東京の合唱』(1931)
8・小津安二郎『お茶漬の味』(1952)
9・周防正行Shall We ダンス?』(1994)
10・山中貞雄丹下左膳餘話 百萬兩の壷』(1935)

洋画
1・ルキノ・ヴィスコンティ『ベニスに死す』(伊=仏、1971)
2・ジャン=リュック・ゴダール『映画史』(仏、1988〜98)
3・アルフレッド・ヒッチコック北北西に進路を取れ』(米、1959)
4・アルフレッド・ヒッチコック『めまい』(米、1958)
5・アルフレッド・ヒッチコック『サイコ』(米、1960)
6・アルフレッド・ヒッチコック『裏窓』(米、1954)
7・アルフレッド・ヒッチコック『三十九夜』(英、1935)
8・クエンティン・タランティーノイングロリアス・バスターズ』(米=独、2009)
9・ジム・ジャームッシュストレンジャー・ザン・パラダイス』(米、1984
10・フランソワ・トリュフォー華氏451』(英、1966)

1・小津安二郎秋日和』(1960)
 小津のカラー作品はわずかに6作品しかないが、どれもみな独特の渋さと華やかさを誇っている。大学の同級生の三回忌に集まった佐分利信中村伸郎・北竜二の三人は、未亡人(原節子)の再婚話と娘(司葉子)の縁談を進めようと画策するが、男だけで考えていた計画は誤解を生んで段々話がこじれていく。最終的には収まるところに収まる「間違いの喜劇」であり、小津の作品の中でもホモソーシャルな雰囲気の強い作品である。女将に対して、同級生の未亡人は「本郷三丁目の薬屋の娘」で評判だった、と語って自分たちが東大卒であることをさりげなくアピールしているところが特に、男性社会のいやらしさに溢れている。

2・小津安二郎彼岸花』(1958)
 家に置かれている赤いやかんが印象的な小津初のカラー作品。長女(有馬稲子)の縁談を考え始めていた平山(佐分利信)は、長女が恋愛結婚するつもりであることを唐突に知る。母(田中絹代)や次女(桑野みゆき)も長女の恋愛に薄々勘付いていたようだったが、全く気づかなかった父は不機嫌になって娘の恋愛結婚を認めない。その一方で、平山は会社の同僚(笠智衆)からの、娘(久我美子)の恋愛結婚を受け入れられないという相談に対しては、娘さんの気持ちを考えてやらないといけないよ、と諭している。このような論理的な破綻に開き直りながら駄々をこねていた父親であったが、最終的には長女の恋愛結婚を認めることになる。見合い結婚から恋愛結婚への移行期の軋轢を描く。
 
3・小津安二郎『一人息子』(1936)
 小津映画はカラー移行も遅かったが、無声映画からトーキーへの移行も非常に遅く、劇映画としては『一人息子』が初めてのトーキーとなる。
 信州の製糸工場で働く母(飯田蝶子)は、頑張って息子(佐野周二)を上の学校へ行かせていた。東京に住んでいる息子のところへ遊びにきた母は、東京での息子の貧しい生活を知って失望を禁じ得ない。
 『一人息子』のテーマを深化させたのが戦後の『東京物語』(1953)である。
 
4・小津安二郎秋刀魚の味』(1962)
 1963年に小津は咽頭癌の治療に入り、60歳の誕生日でもある12月12日に亡くなった。期せずして遺作となった『秋刀魚の味』には老醜の影が忍び寄っている。妻を亡くしていた平山(笠智衆)は、娘(岩下志麻)の結婚話を進める。その結婚話を急ぐきっかけとなったのが、ラーメン屋になった老漢文教師(東野英治郎)の手伝いのため婚期を逃した娘(杉村春子)の悲嘆を知ったことであった。
 重要な場面で懐古的に挿入される「軍艦マーチ」が、時代から取り残されつつあることに気づいている戦時世代の寂しさを象徴している。

5・小津安二郎麦秋』(1951)
 いわゆる「紀子三部作」の第二部。婚期を逃しそうな紀子(原節子)の縁談をめぐって一家が奔走する。紀子の結婚は同時に大家族の解体も意味している。

6・小津安二郎『晩春』(1949)
 「紀子三部作」の第一部。婚期を逃しそうな紀子(原節子)の縁談を巡って、妻に先立たれた平山(笠智衆)が奔走する。小津作品初の原節子出演作で、戦後小津が執拗に描いた娘の結婚騒動の原点となった作品である。

7・小津安二郎『東京の合唱(コーラス)』(1931)
 とある社員の不当解雇に異議を唱えた岡島(岡田時彦)は自分も会社を馘になってしまう。不況下で職は見つからず、やっと見つけた職は、学生時代に授業をサボっていた元体育教師(齋藤達雄)の始めたカレー屋の手伝いであった。ブルジョワ化した戦後の小津とは少し違う、不況に喘ぐ人々の哀歓を描くサイレント時代の秀作。

8・小津安二郎『お茶漬の味』(1952)
 元々は日中戦争時の「彼氏南京へ行く」というシナリオであったが、検閲にひっかかって流れた。その話を戦後、ウルグアイへ飛ばされることになった会社員の夫が、不仲だった妻とわかり合えるようになった、という話に変えた。そのため作品の強さが損なわれてしまったとされるが、それでもなお、お互いを理解し合えない夫婦生活の残酷さが空恐ろしい。

9・周防正行Shall We ダンス?』(1994)
 ふとしたきっかけで社交ダンスにのめり込んでいく会社員(役所広司)を描く。日本社会における社交ダンスへの偏見、競技ダンス側からの軽視などをコミカルに活かした。

10山中貞雄丹下左膳餘話 百萬兩の壷』(1935)
 小津安二郎に期待されていた天才監督山中貞雄は28歳という若さで日中戦争出兵中に病死した。現存する作品も、これ以外に『河内山宗俊』『人情紙風船』しかない。
 ガラクタだと思って売ってしまった壷が大変な価値のあることがわかって、武士たちが大騒ぎして探しだす。その壷はちょっとした偶然から、剣豪丹下左膳大河内傳次郎)の居候している矢場に置かれていたのである。緻密なプロットと、スピーディーでユーモラスなシーン展開でその顚末が語られる。

洋画
1・ルキノ・ヴィスコンティ『ベニスに死す』(伊=仏、1971)
 原作はトーマス・マン。保養地ヴェネツィアにきていたドイツの音楽家(ダーク・ボガード)は、ポーランド人の美少年(ビョルン・アンドレセン)に魅せられてしまう。グスタフ・マーラーの五番をバックに、完璧な構成を保っている。ビョルン・アンドレセンもいいが、老境にさしかかった芸術家の倦怠感、どうにもしようのない焦燥の演技が特に素晴らしい。

2・ジャン=リュック・ゴダール『映画史』(仏、1988〜98)
 ヌーヴェルヴァーグの旗手による大作。めまぐるしく入れ替わるコラージュ、情報過多という暴力性に圧倒される。

3・アルフレッド・ヒッチコック北北西に進路を取れ』(米、1959)
 ゴダールの『映画史』の中で、ヒッチコックはナポレオンやヒトラーですら果たし得なかった世界の統御を成し遂げた人物として賞讃されている。ヒッチコックが単純なハリウッドの娯楽映画監督というだけではなく芸術性を兼ね備えていることを主張したのがゴダールトリュフォーヌーヴェルヴァーグの面々であるが、『北北西に進路を取れ』に関しては小難しいことなど全く考える必要はない。娯楽性を追窮しすぎたあまりに、全てがヤマ場になってしまった映画である。
 ニューヨークの広告マン(ケイリー・グラント)は突如謎の団体に誘拐される。キャプランというCIA諜報員と間違われているらしく、機密情報を吐くよう脅迫されるが人違いなので吐きようがない。命からがら逃げ出した彼は鍵を握る人物に会いに国連本部へ赴くも、その当人が何者かに刺殺されてしまう。運悪く彼が犯人と間違われ警察に追われる身となり、同時に一人きりでスパイ組織の陰謀を追うことになる。「追われながら追う」というヒッチコックの十八番の集大成である。
 タイトル“North by Northwest”は、『ハムレット』の台詞に由来すると言われている。実際に映画ではノースウェスト航空便で北に向かうという洒落が出てくる。

4・アルフレッド・ヒッチコック『めまい』(米、1958)
 題名は、高所恐怖症の元刑事(ジェームズ・スチュアート)に由来するが、映画の構造自体が観るものにめまいを催させる。陰謀が巧妙に仕掛けられており、真相を知ってもなお虚構への恐怖に戦いてしまう。どれだけ複雑かというと、滅多に記憶違いのない淀川長治さんが『めまい』のとある肝心な部分を勘違いしていて、ヒッチコック本人から「逆です」と訂正され赤っ恥をかいたという話があるくらいである。

5・アルフレッド・ヒッチコック『サイコ』(米、1960)
 バーナード・ハーマンの音楽があまりにも有名。題名からもわかる通り、異常心理ものだが、結末を知っていても、計算されたモンタージュが恐怖心を煽る。

6・アルフレッド・ヒッチコック『裏窓』(米、1954)
 足を怪我していたカメラマン(ジェームズ・スチュアート)は暇つぶしに裏窓から覗き見を楽しんでいたが、あることに気づいてしまう。部屋の中だけにカメラを固定したことで逆にサスペンスが醸し出されている。

7・アルフレッド・ヒッチコック『三十九夜』(英、1935)
 ハネイは、偶然匿った瀕死の諜報員からある警告を教えられる。しかし彼はその諜報員の殺人犯と間違われ、警察に追われるかたわら、一人きりでスパイ組織を追うこととなる。追われながら追い、その過程で恋愛も進むというヒッチコック定番のスタイルの端緒である。

8・クエンティン・タランティーノイングロリアス・バスターズ』(米=独、2009)
 第二次大戦の欧洲戦線におけるアメリカ軍のユダヤ系特殊部隊の暗躍を追う歴史修正主義的態度に貫かれた映画であるが、その代わり映画への厖大な自己言及的態度が面白い。ナチス親衛隊員役のクリストフ・ヴァルツが強烈。

9・ジム・ジャームッシュストレンジャー・ザン・パラダイス』(米、1984
 映画の登場人物が誰もまともにコミュニケーションを取れていない。その様子が哀しくもありユーモラスでもある。

10・フランソワ・トリュフォー華氏451』(英、1966)
 フランス資本による制作を断念し、主演のオスカー・ウェルナーとの対立もあってか、評価はあまり芳しくないが、トリュフォーの書物への愛に溢れている。
 原作はレイ・ブラッドベリで、書物が禁止された近未来の世界での徹底的な焚書を描く。主人公のモンターグ(オスカー・ウェルナー)も焚書官の一人だが、とあるきっかけで書物の世界にのめりこんでしまう。
 本が燃えていく映像が耽美的であり、焚書でありながらもその背徳感を感じてしまう。あまりトリュフォーらしくない映像であるが、撮影監督のニコラス・ローグによるものらしい。

2016年に読んだ本ベストテン

2016年に読んだ本ベスト10。

1・田中眞澄『小津安二郎周游』(全二冊、岩波現代文庫
2・エリアス・カネッティ眩暈』(池内紀訳、法政大学出版局
3・ロベルト・ボラーニョ『2666』(野谷文昭・内田兆史・久野量一訳、白水社
ギュスターヴ・フローベールブヴァールとペキュシェ』(鈴木健郎訳、岩波文庫
5・ダニイル・ハルムスハルムスの世界』(増本浩子・ヴァレリー・グレチュコ訳、ヴィレッジブックス)
6・セルゲイ・ドヴラートフ『わが家の人びと ドヴラートフ家年代記』(沼野充義訳、群像社
7・金森修動物に魂はあるのか 生命を見つめる哲学』(中公新書
8・竹内政明『読売新聞朝刊一面コラム 編集手帳』(現在三十巻まで刊行、中公新書ラクレ
9・原武史大正天皇 』(朝日選書)
10・橘宗吾『学術書の編集者』(慶應義塾大学出版会)

1・田中眞澄(1946〜2011)『小津安二郎周游』(全二冊、岩波現代文庫
 蓮實重彦のことを無視しても小津安二郎のことは語ることはできるが、田中眞澄(まさずみ)の調査を無視することは不可能だろう。単著はわずか六冊しか残していないが、どれも徹底した資料渉猟によって成り立っている。文章は対象への愛に溢れ、鋭い指摘を有しながら、過剰に陥ることはなく簡勁である。お手本にしたい文章家である。

2・エリアス・カネッティ(1905〜1994)『眩暈(めまい)』(池内紀訳、法政大学出版局
 ノーベル文学賞を受賞した、群衆研究で知られる思想家の唯一の小説。自宅に図書室を持つ偏屈な中国学者の思索的生活は結婚によって崩潰していく。図書室の本が狂気に晒されていく様子が、グロテスクなまでに緻密に描かれる。「群衆と権力」の観点からみると疑問の尽きない難解な小説であるが、とりあえず読書家には悪夢のような小説である。

3・ロベルト・ボラーニョ(1953〜2003)『2666』(野谷文昭・内田兆史・久野量一訳、白水社
 「アルチンボルディ」という謎の作家を巡って、壮大なスケールで展開される一大長篇。巧妙に張り巡らされたプロットが文学の愉しみを再認識させてくれる。何度も読み返したい。

4・ギュスターヴ・フローベール(1821〜1880)『ブヴァールとペキュシェ』(鈴木健郎訳、岩波文庫
 フローベール最後の長篇。知的談義で意気投合した初老の男二人は偶然手に入れた遺産を元手にひたすら勉強する。園芸学、医学、天文学、宗教学、政治哲学、神学、教育学などありとあらゆることを興味の赴くままに学んでいく。それで二人は何を得たのかというと、特に何も得ていない。ブルジョワ的な学問の世界に溺れていく様子が滑稽でもあり羨ましくもある。

5・ダニイル・ハルムス(1905〜1942)『ハルムスの世界』(増本浩子・ヴァレリー・グレチュコ訳、ヴィレッジブックス)
 ペレストロイカ以降作品が公表され、世界中でカルト的な人気を誇っているハルムスの傑作選(未知谷からも出版されているが、翻訳が劣悪である)。
 ハルムスの多くの作品は数行で終わってしまう。どれも起承転結がなく捉えどころがないがその不条理に独特の味がある。しかしハルムスの作品と生涯を知っていくにつれ、ハルムスを取り巻くソ連社会の方がよほど不条理なのだということに気づいてしまう。1942年に、「ちょっと下まで」と呼ばれたハルムスは部屋を出て、それっきり戻ってこなかったという。

6・セルゲイ・ドブラートフ(1941〜1990)『我が家の人びと ドヴラートフ家年代記』(沼野充義訳、群像社
 ロシア・ソ連では亡命作家がかなり重要な地位を占めるが、ドヴラートフはごく平凡、大それた理想を持ってはいない亡命者であるということで、逆説的に特殊な位置にいるだろう。『我が家の人びと』はごく普通の家族の記録(ホラ話も)であるが、そのために親近感を覚え、哀歓を呼び起こされる。もちろん普通の人間の生活を普通に描けることは普通のことではない。

7・金森修(1954〜2016)『動物に魂はあるのか 生命を見つめる哲学』(中公新書
 タイトルの問題をめぐって、西欧の思想家たちはどのように考えてきたかを厖大な研究をもとに解き明かしていく。本書の結論はごくありきたりのものであるが、著者の厚い思想的基盤を踏まえれば、その結論の言葉の重みに感動してしまう。

8・竹内政明(1955生)『読売新聞「編集手帳」』(現在第三十集まで刊行、中公新書ラクレ
 新聞一面コラムの中でも特に名文として評価の高い讀賣新聞の「編集手帳」を2001年分から収録している。当時を思い起こすよすがとして。

9・原武史(1962生)『大正天皇』(朝日選書)
 明治天皇昭和天皇がよく語られる一方で、等閑視されている大正天皇が実は、文化的な側面、特に現代日本における象徴としての天皇の基礎を作りあげたという点で大きな功績を残していると再評価する。大正天皇のイメージが完全に覆るというスリリングがあるが、史料解釈がやや恣意的か。

10・橘宗吾(1963生)『学術書の編集者』(慶應義塾大学出版会)
 著者は名古屋大学出版会の編輯者。商業性と非商業性、専門性と一般性との間にある学術出版の世界を紹介する。

 

小津安二郎周游(上) (岩波現代文庫)

小津安二郎周游(上) (岩波現代文庫)

 

 

 

眩暈(めまい) 〈改装版〉

眩暈(めまい) 〈改装版〉

 

 

 

2666

2666

 

 

 

ブヴァールとペキュシェ (上) (岩波文庫)

ブヴァールとペキュシェ (上) (岩波文庫)

 

 

 

ハルムスの世界

ハルムスの世界

 

 

 

わが家の人びと―ドヴラートフ家年代記

わが家の人びと―ドヴラートフ家年代記

 

 

 

動物に魂はあるのか 生命を見つめる哲学 (中公新書)

動物に魂はあるのか 生命を見つめる哲学 (中公新書)

 

 

 

 

 

大正天皇 (朝日選書)

大正天皇 (朝日選書)

 

 

 

学術書の編集者

学術書の編集者

 

 

2015年に読んだ本ベストテン

 2015年に読んだ本ベスト10作品。

村上春樹村上春樹全作品 1990~2000 第6巻 アンダーグラウンド』(講談社
地下鉄サリン事件被害者へのインタビュー集。
97年発表の『アンダーグラウンド』を境に、春樹の作風は明らかに変化している。巷でしばしば、「やれやれ」と揶揄されるようなやる気のない初期の主人公達が、『アンダーグラウンド』後は、積極的に行動するようになっているのである。
そう考えると、『1Q84』(新潮社)で、日本ではほとんど忘れられていたチェーホフルポルタージュサハリン島』への言及が突然現れたのも故無しではない。『サハリン島』以降のチェーホフの世界が変質したように、春樹もまた『アンダーグラウンド』、そして同時期の阪神淡路大震災を機に変化していったのである。『アンダーグラウンド』は春樹にとっての『サハリン島』なのである。
一応村上春樹の作品というわけだが、春樹本人の手によるものはまえがき、あとがきとインタビューした方々に関する若干の説明、印象だけである。インタビューの内容には若干の脚色はあるだろうが、それぞれの人の言葉である。それなのに、『村上春樹全作品』において、春樹的な世界を味わえたのはフィクション以上に、この『アンダーグラウンド』であった。ところで、久しぶりにノンフィクション作家として今年度のノーベル文学賞を授与されたスベトラーナ・アレクシエーヴィチ(ベラルーシ)の『チェルノブイリの祈り』(岩波現代文庫)もまた、原発事故の被害者の声で成り立っている。様々な個人の声がこれほどの感動を呼ぶのはなぜだろうか。その理由を知るには先ず、近代文学が作者の独自性や個性の重視に偏重してきた歴史を批判的に検討しなければならないだろう。
アンダーグラウンド』には、なすこともなくおびえる人もいれば、加害者への怒りをあらわにする人も、わが身を省みず積極的に救助する人もいる。
或る人の淡々とした話が忘れられない。軽症のため病院で治療をうけるだけで済み、帰宅した。妻にその日の事件のことを話したが、終始無関心だった。まもなく離婚した。

ハーマン・メルヴィルアメリカ)『白鯨』(八木敏雄訳、岩波文庫
物語に入る前に、「鯨」のヘブライ語ギリシア語、ラテン語、古英語、ドイツ語、スウェーデン語、フィジー語の名称が羅列されていて、嫌な予感がするのだが、まさしくその通りになる。エイハブ船長のモービィ・ディック(白鯨の名前)への血湧き肉躍る復讐譚のはずなのだが、饒舌な語り手が勝手に鯨に関する薀蓄を延々と語り続け、百科事典と化す。ポストモダンとは何かがよくわかる。
なお、コーヒーチェーンのスターバックスはこの物語の登場人物スターバックからとったものである。公式には、創業者の一人が、スターバックがコーヒー好きということにちなんでつけた、ということになっているらしいが、作中ではスターバックはコーヒーが好きとはまったく書かれていない。一回だけ船員がコーヒーパックをもってくる描写があるので、そこから適当に採ったというのが事実であろう。これもまた『白鯨』的薀蓄。

レイモンド・カーヴァーアメリカ)『THE COMPLETE WORKS OF RAYMOND CARVER』(村上春樹訳、中央公論新社
村上春樹を知るには先ずカーヴァーを知った方がよい。さえない人間でも小説になるる見本。版元の中央公論社が途中で経営破綻したものの、なんとか完結した全集。

ミルチャ・エリアーデルーマニア)、アルベルト・モラヴィア(イタリア)『マイトレイ/軽蔑 (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 2-3)』(河出書房新社
エリアーデはフランス語の宗教学著作の方で知られているが、ルーマニア語で小説を書いてもいる。留学先のカルカッタの少女マイトレイとの接近と反目を通して、異文化を探る。異文化の問題は、ヨーロッパとインドの間だけではなく、夫婦の間にも存在するということがわかるのがモラヴィア。夫は妻の突然の不機嫌の原因が思いあたらず、結局、妻の事故死により何も分からずじまいとなる。

⑤ 呉明益(台湾)『歩道橋の魔術師 (エクス・リブリス)』(天野健太郎訳、白水社
アジア圏の文学も忘れてはいけない。『歩道橋の魔術師』は、台北の集合住宅を舞台にし、一見日本でもどこにでもありそうな懐かしさを与える一方で、不思議な魔術の世界と通じている。

エドワード・モーガン・フォースター(イギリス)『ハワーズ・エンド (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-7)』(吉田健一訳、河出書房新社
ジョージ・オーウェル(イギリス)『オーウェル評論集 』(小野寺健編訳、岩波文庫
テロ事件を機に、自由から秩序へと、どんどん1984年の方向に向かっていっている中(そもそもインターネットを使っている時点で管理されているとも云えるようだが)、オーウェルのあくまで毅然とした態度には圧倒される。しかし、世間に歯向かっては生きていけないのが大概の人間であり、フォースターが時代の中でびくびくちびちび執筆しているのも魅力的である。

荒川洋治本を読む前に』(新書館
現代詩作家を名乗る作者のエッセイ集。荒川洋治は難解な詩で知られる一方、1992年から2004年まで産経新聞の文藝時評を担当し、世評の高かった村上春樹大江健三郎の作品を批判するなど辛口の批評で知られた。文壇に阿らず、「宮沢賢治研究がやたらに多い。研究に都合がいい。それだけのことだ」と詩に書いて物議を醸し、『ゲド戦記』の挿入歌の歌詞が萩原朔太郎の詩と酷似していること(そのこと自体というよりもオマージュであることを殆ど公表していないこと)を批判して、「作詞・宮崎吾朗」を「作詞・萩原朔太郎、編詞・宮崎吾朗」に変更させたなかなか怖い人である。
『本を読む前に』は文字通り、本を読む前に人間としてあたりまえのことはやれ、できないなら文学なんか読む意味はない、と読書人ぶって偉ぶる似非文学通を糾弾するエッセイが中心である。読んでいてわが身に思い当たる節がたくさんあるのが痛い。

大沼保昭「歴史認識」とは何か - 対立の構図を超えて』(中公新書
アジア女性基金」など、歴史問題解決に尽力しながら、国内外、左右どちらからも批判され続けた著者の悲痛な思い。複雑な歴史背景を踏まえて、「聖人」の解決ではなく、「俗人」の妥協の重要性を訴える。

⑩ ヴェルメシュ(ドイツ)『帰ってきたヒトラー 』(森内薫訳、河出書房新社
 ナチス礼賛が厳しく制限されるドイツでなぜ出版できたのか不思議だが、面白い。自殺したはずのヒトラーが現代のドイツにタイムスリップしてしまった。彼はヒトラーそっくりのコメディアンに仕立て上げられ、毒舌ユーチューバーとして人気を博す。
 はじめ、本物のヒトラーだとは思わない周囲の人々との会話のずれや、マインスイーパーで地雷撤去のミッションに励むヒトラーの滑稽さに笑ってしまうが、秘書的役割の女の子へ恋愛アドバイスをしたり、極右を論破したがためにネオナチに襲撃されたりする後半になると、いつの間にかヒトラーに感情移入してしまっているという恐ろしさがある。
 ヒトラーは人間として非常に魅力的であり、現代のヨーロッパでも、表にはだせないがこのようなカリスマ的存在への待望の思いが残っているのかもしれない。現にフランスでは一連の出来事が起こり、ドイツはいつの間にかユーロ圏の覇者とならざるをえなくなり、ポーランドでは民族主義政党が大勝した。

 

 

 

白鯨 上 (岩波文庫)

白鯨 上 (岩波文庫)

 

 

 

大聖堂 THE COMPLETE WORKS OF RAYMOND CARVER〈3〉

大聖堂 THE COMPLETE WORKS OF RAYMOND CARVER〈3〉

 

 

 

 

マイトレイ/軽蔑 (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 2-3)

マイトレイ/軽蔑 (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 2-3)

 

 

 

歩道橋の魔術師 (エクス・リブリス)

歩道橋の魔術師 (エクス・リブリス)

 

 

 

ハワーズ・エンド (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-7)

ハワーズ・エンド (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-7)

 

 

 

 

 

本を読む前に

本を読む前に

 

 

 

 

 

帰ってきたヒトラー 上 (河出文庫 ウ 7-1)

帰ってきたヒトラー 上 (河出文庫 ウ 7-1)

 

 

2014年に読んだ本ベストテン

2014年のベスト10冊。

1ジェーン・オースティン(1776〜1817、イギリス)『高慢と偏見』(富田彬訳、岩波文庫)

2内田百閒(1889〜1971)『内田百閒集成』(全24巻、ちくま文庫)

3サマセット・モーム(1874〜1965、イギリス)
『人間の絆』(行方昭夫訳、岩波文庫、全三冊)

4アントン・チェーホフ(1860〜1904、ロシア)『かもめ』(浦雅春訳、岩波文庫)

5山之口貘(1903〜1963)『山之口貘詩文集』(講談社文芸文庫)

6ヴィスワヴァ・シンボルスカ(1923〜2012、ポーランド)『シンボルスカ詩集』(つかだみちこ編・訳、土曜美術出版販売)

7セルバンテス(1547〜1616、スペイン)『ドン・キホーテ』(牛島信明訳、岩波文庫、全六冊)

8阿川弘之(1920〜)『葭の髄から』(文春文庫)

9高島俊男(1937〜)『お言葉ですが・・・』(文春文庫、連合出版、全十七冊)

10柴崎友香(1973〜)『春の庭』(文藝春秋)

 

1、2『高慢と偏見』(『自負と偏見』)『内田百閒集成』

高慢と偏見〈上〉 (岩波文庫)

高慢と偏見〈下〉 (岩波文庫)

人間の絆〈上〉 (岩波文庫)

 オースティンと百閒先生とについては、倉橋由美子が『偏愛文学館』(講談社)で食べ物に譬えている。オースティンはブリティッシュティー、百閒先生は駄菓子である。どちらもたいして栄養にはならない。
山本健吉の「世界一平凡な大作家」という言葉がオースティンの全てをあらわしている。オースティン全ての長篇のストーリーは、ほとんど同じである。19世紀初頭のイギリスの田舎町の娘たちが結婚相手を求めていろいろな男に駆け引きをし続けるが、結局、自分の知性・階級に見合った男との結婚に落ち着く、というのがそれである。しかしその平凡極まりないストーリーには、破綻のない論理性、鋭い諷刺、人間観察、ユーモアが散りばめられている。

 阿川弘之氏は志賀直哉の弟子だけあって、文章にはうるさい。阿川氏は今の乱れ果てた日本語の本ばかり読んでアタマにきたら、寝るときに、枕上の『新輯内田百閒全集』の一頁を開いて心を鎮めるのだという。
百閒先生は、漱石先生の門下生である。漱石先生が伊豆の修善寺で吐血して生死の境を彷徨っていたときに、借金のお願いに行って先生を激怒させたことでも知られる。
 初期には『冥途』『旅順入城式』のような、漱石先生の『夢十夜』の世界を拡大させた小説もあるのだが、百鬼園先生はその永い生涯のなかで、身辺雑記ばかり書き綴った。借金とりから逃げ続け、法政大の独逸語の時間に俺の独逸語は独逸人には通じないと云って悪びれない。シュークリームのクリームをいかに吸うかを探究し、国鉄の職員を連れてなんの用事もなく借金をして鉄道旅行にでる。ヨーヨーで遊んでいるときには自分の身体が上下するような不思議な感覚を覚え、愛猫ノラの失踪に号泣する。座談会でも見たいラジオ番組があるから、と中座し、藝術院会員推薦のときの辞退理由は「イヤダカラ、イヤダ」。
書いていることは他愛ないが、その磨き抜かれた文章に一度嵌まってしまうと抜け出せない。

 

3『人間の絆』

人間の絆〈上〉 (岩波文庫)


 モームは本当に純文学作家なのかと云われると答えづらい。
 モーム自身は読者を楽しませるためだけに小説は読まれるべきだと主張しており、現にモームストーリーテラーとしての才能は突出している。モームの通俗性への批判は常に存在し続け純文学ではなくただのエンターテインメント小説だとも云われる。しかし、モーム好きで知られる中野好夫の云うように、「通俗というラッキョウの皮をむいていくと、最後にはなにもなくなるのではなく、人間存在の不可解性、矛盾の塊という人間本質の問題にぶつかる」のである。
 かつての日本でのモーム熱はすさまじいものであり、1959年の来日のときに頂点に達した。しかしモームの離日とともに急速に忘れさられ、文庫も次々と絶版になった。
 わずかにモームが生き残ったのが受験英語の世界であった。モームの英語は簡明で、試験問題、読本にはちょうどよかったのである。だが受験英語の世界でもモームは科学英語にとって変わられることとなった。
そういえば、高一のときにモームの「アリとキリギリス」を試験の課題で読んでいた。童話とは違って、まじめに働いたアリ的男がひどい人生を送り、遊んでばかりのキリギリス的男の方が人望があって楽しい人生を送る、という内容であった。そのときはモームの道徳のなさ、そしてそれを試験に出す千葉高の英語科の方針に怒った記憶があるが、もちろんモームの云っていることの方が正しいのである。
 忘れさられていたモームの再評価の機運は、受験英語モームを読んだことのある世代が、受験の頃を懐かしがってモームを読み返したことによってでてきたとも云える。その一人が訳者の行方昭夫である。
『人間の絆』は読者を楽しませるためだけに書いてきたモームが唯一自分のために書いた自伝的小説である。原題はOf Human Bondageと云い、スピノザからとられている。実は『人間の絆』という伝統的な邦題は不適当であり、『人間の絆(ほだし)』『人間のしがらみ』とでもした方がよいだろう。
 主人公フィリップは幼くして両親をなくし、片脚に障碍をかかえ、寄宿舎ではいじめにあう。成績優秀ながらも、厳しい学校生活に反感を抱いて、オックスフォード大学へのエスカレーター入学を断ってドイツへ留学する。しかし自分に藝術家としての才能があるのではないかとおもって、今度はパリの美術学校に通い出す。自分の才能に絶望し、ロンドンの医学校に通いだす。ここで落ち着くのかと思いきや、魔性の女ミルドレッドが現れ、まさに泥沼としか云いようのない修羅場が延々と続く。ミルドレッドだけでも全体の半分を占める。ミルドレッドが姿を消し、遅ればせながら研修医となったフィリップが赴任先、生涯の伴侶を見つけてようやく幕が閉じる。
 フィリップはモームの分身と考えてよい。実際のモームは脚の障碍ではなく、吃音をかかえていた。そして、小説、エッセイを読んでもまったくでてこないが、同性愛者であった。当時のイギリスでは同性愛は禁忌であり、同性愛を隠すために偽装結婚までしたモームの苦労ははかりしれない。
 『人間の絆』の重要な鍵となるのはペルシャ絨毯である。そこに人生を解く鍵があると告げられたフィリップは、時々考えてみて、物語の最後に気づく。人生に意味などないのだ。ペルシャ絨毯の模様に意味がないように。目的もなく、自分の赴くままに人生という絨毯を彩っていくしかないのである。

 

4『かもめ』

かもめ (岩波文庫)


『ワーニャ伯父さん』『三人姉妹』『桜の園』と並ぶ四大戯曲の最初の作品。
『かもめ』の初演は散々であったようだ。チェーホフは戯曲の執筆はやめようと考えたようだが、モスクワ藝術座のスタニスラフスキーの演出による再演では大成功を収めた。モスクワ藝術座のシンボルは今日もかもめを象ったものである。
 チェーホフの戯曲らしく、誰が主人公なのかはっきりせず、人物の会話もなんだかちぐはぐなのだが、生の憂鬱をひしひしと感じさせられる。第四幕の最後の作家志望の青年トレープレフの拳銃自殺(しかもそれは舞台裡で行われる)に至って、どうしようもない感情に襲われる。
しかしチェーホフ自身は『かもめ』を喜劇だと云い、悲劇として演出したスタニスラフスキーに異議を唱えている。だがこの戯曲のどこが喜劇なのかはまったく分からない。喜劇としてみるにはまだ若すぎるのか。

 

5『山之口貘詩文集』

山之口貘詩文集 (講談社文芸文庫)


 貘は、郷里の沖縄では評価が高いようだが、本土ではあまり知られていない。
 貘の恋愛観は現代的である。結婚相手が見つからないことへの嘆きを綴り続けた。貘において、恋愛の不能は人間としての不能に直結している。失恋を重ね、貘は人生の落伍者としての哀しみを味わい続けた。
しかし、琉球で培ったユーモア感覚、温かさも忘れてはいない。貘は結婚後は、いい夫、いい父として振る舞ったようである。

 

6『シンボルスカ詩集』

シンボルスカ詩集 (世界現代詩文庫29)


 シンボルスカは1996年に、ポーランド人としては4人目となるノーベル文学賞を受賞した。
ナチスによる占領、社会主義体制による抑圧、「連帯」からの民主化の時代を生き抜いたシンボルスカの詩は多分に政治的である。しかしその政治的要素は簡潔で哲学的な文章によって非政治的なものとして表現されている。

 詩集以外の雑文にはまったく手を出さず、晩年には詩集もどんどん薄くなっていったシンボルスカであるが、東日本大震災のときには特別に応援メッセージを贈ってくれていたことには感動した。

 

7『ドン・キホーテ

ドン・キホーテ 全6冊 (岩波文庫)


 『ドン・キホーテ』は近代小説の祖であるとともに反近代小説の祖でもある。
 一般的には前篇の、風車に突進する場面が有名であるが、前篇よりも後篇の方が遥かに面白い。
 ドン・キホーテ前篇は、後篇はサラゴサに向かうと予告して終わる。しかしセルバンテスが後篇を執筆中に贋作のドン・キホーテが出回った。検閲の厳しかった当時のスペインで作者名を偽った著作が発行できたのは異常なことであり、しかも贋作の作者はいまだ特定されていない。贋作の作者は序言で真作の作者セルバンテスを誹謗中傷し、セルバンテスは忿怒にかられ、ドン・キホーテ後篇を上梓した。
 後篇でドン・キホーテ一行は「前篇のドン・キホーテを読みました」という読者に会う。そこで、前篇のつじつまのあわない部分についての質問があり、ドン・キホーテは作者のアラビア人シデ・ハメーテ・ベネンヘーリのミスだと弁解する。(セルバンテスはベネンヘーリの書いたドン・キホーテベルベル人スペイン語に翻訳したものを筆記しているという設定になっている)
 そしてついにドン・キホーテは偽物のドン・キホーテの存在を知る。自分たちがまだ終えていないはずの後篇の冒険がすでに出版されているというのだ。しかもドン・キホーテは騎士道精神を無視し、サンチョ・パンサは好色漢として描かれているというのだ。これに激怒したドン・キホーテは急遽、行き先を予告していたサラゴサからバルセロナに変更し、偽物に一杯食わせる。
 ドン・キホーテは偽作のドン・キホーテの印刷現場にも立ち会い、偽作がスペイン中に広まっていることに唖然とする。
 ドン・キホーテは偽作に登場する人物と接触に成功し、その人物にあれは偽物であったと証言させることに成功する。
 『ドン・キホーテ』は物語としての面白さもさることながら、読者論、パロディ、狂気の問題、言葉遊びなど様々な要素がごった混ぜになっている。

 

8『葭の髄から』

葭の髄から


文藝春秋』巻頭に永らく連載されていた随筆集。簡潔でユーモアのある文章は、平成屈指の名文と云える。

 

9『お言葉ですが・・・』

お言葉ですが… (文春文庫)


週刊文春』に永らく連載され、月刊のほうの『文藝春秋』の『葭の髄から』と呼応して日本語の堕落を糾弾し続けた。
 文藝春秋が連載を中断してからは、連合出版にうつり、別巻が六巻まででている。高島先生の眼疾が悪化しない限りはまだまだ出してくれると思う。

10『春の庭』

春の庭 (文春文庫)


 柴崎友香はとうの昔に芥川賞をとっているとおもっていた。今回の受賞は力量としては当然だろう。
都内某所のマンションとその隣の一軒家の庭をめぐるささやかな物語だが、東京という都市とそこに住む人々への愛情がこもっている。大した事件も起こさずに、淡々と日常生活だけを綴って読ませるというのは大変な技倆なのである。
 ところで柴崎さんは授賞式のスピーチで「現実は現実を意味するだけ/でもそれこそがより大きな謎」というシンボルスカの一節を引用している。さらに、日本酒を飲みながら読みたい本に百閒先生の『阿房列車』をあげていた。やはり好きな作家とは読書の好みも重なるようである。

 

 

 

2013年に読んだ本ベストテン

 今年読んだ本のベスト10作品。版元が複数ある場合は読んだ版元を挙げた。

 

島崎藤村『夜明け前』(第一部上下・第二部上下、岩波文庫

 

 

森鷗外渋江抽斎』(岩波文庫

 

福澤諭吉福翁自伝』(講談社学術文庫

4ぶんまお(末木文美士)『ボクの哲学モドキⅠ・Ⅱ』(トランスビュー

 

九鬼周造『「いき」の構造』(講談社学術文庫

原田正純水俣病』(岩波新書

 

鈴木邦男『失敗の愛国心』(理論社

 

出久根達郎『古本夜話』(ちくま文庫

 

古本夜話 (ちくま文庫)

古本夜話 (ちくま文庫)

 

 

 

十川信介中勘助銀の匙』を読む』(岩波現代文庫

10永山則夫無知の涙』(河出文庫

 

 

夜明け前 全4冊 (岩波文庫)

夜明け前 全4冊 (岩波文庫)

 
渋江抽斎 (岩波文庫)

渋江抽斎 (岩波文庫)

 
新訂 福翁自伝 (岩波文庫)

新訂 福翁自伝 (岩波文庫)

 
ボクの哲学モドキ・I 1999-2002

ボクの哲学モドキ・I 1999-2002

 
ボクの哲学モドキ・II 2003-2008

ボクの哲学モドキ・II 2003-2008

 
「いき」の構造 他二篇 (岩波文庫)

「いき」の構造 他二篇 (岩波文庫)

 
水俣病 (岩波新書 青版 B-113)

水俣病 (岩波新書 青版 B-113)

 
失敗の愛国心 (よりみちパン!セ 34)

失敗の愛国心 (よりみちパン!セ 34)

 
古本夜話 (ちくま文庫)

古本夜話 (ちくま文庫)

 
中勘助『銀の匙』を読む (岩波現代文庫)

中勘助『銀の匙』を読む (岩波現代文庫)

 
無知の涙 (河出文庫―BUNGEI Collection)

無知の涙 (河出文庫―BUNGEI Collection)