Дама с Рилаккумой

または私は如何にして心配するのを止めてリラックマを愛するようになったか

2018年に観た邦画ベストテン

2018年に観た邦画ベストテン。

1・是枝裕和『誰も知らない』(2004)
2・是枝裕和そして父になる』(2013)
3・是枝裕和『歩いても 歩いても』(2008)
4・黒沢清『CURE』(1997)
5・黒沢清トウキョウソナタ』(2008)
6・黒沢清クリーピー 偽りの隣人』(2016)
7・黒沢清散歩する侵略者』(2017)
8・鈴木清順ツィゴイネルワイゼン』(1980)
9・深作欣二『やくざの墓場 くちなしの花』(1976)
10・周防正行『ファンシイダンス』(1989)

1・是枝裕和(1962-)『誰も知らない』(2004)
 2004年度のカンヌ国際映画祭において、主演の柳楽優弥が審査委員長のクエンティン・タランティーノから絶讃され、日本人初にして世界最年少の主演男優賞を受賞した。その光の部分が世間の話題となっただけに、一層『誰の知らない』の持つ陰鬱さを忘れてはならない。
『誰も知らない』は1988年に東京都内で発覚した、児童扶養放棄事件を題材にしている。都内のアパートに引っ越しきた母親(YOU)と息子の明(柳楽優弥)は、他に次男と二人の娘を他の住民に隠して入居してきていた。明以外は部屋から出ることは禁じられている。つまり学校には通っていない。
やがて母親は遠くに仕事に行くと言ったきり姿を消す。明は金の工面のために複数の父親に会いに行くが、冷淡に扱われる。水道や電気も止まり、四人の生活は困窮していく。
 児童相談所や警察に行けば済むことではないかという批判が当然起こりうるだろう。確かに明は四人で一緒に暮らしたいという思いから児相と警察に行くことを拒絶しているものの、四人同士の連絡については何らかの配慮はあるであろうし、社会の福祉システムに頼った方が、四人の現状の暮らしよりも幸せであることは確実である。『万引き家族』(2018)でもそうだが、世間の良識派はこのような観点から是枝作品を嫌っていると言える。だがここで注意しなければならないのは、児相や警察に行けば解決するという常識は、我々が社会で教育を受けられてきたからこそ身についているということである。生まれたときから部屋に閉じ込められ、母親から学校に行く必要がないと言われ続けていれば、このような一見当たり前の発想がうまれることはない。
 子供たちがそもそも知らないことに関して知らないのが本当の問題なのではない。コンビニの店員やアパートの大家などは、明らかに異変に勘付いているが、大した行動を起こすことはない。知っているはずの周りの誰もが、自分は知らない、見ていないと思い込もうとしていることこそが問題なのである。
 
2・是枝裕和そして父になる』(2013)
 『誰も知らない』と同じく、実際にあった幼児取り違え事件を題材にしている。
 都内の大手建築会社に勤める野々宮夫婦(福山雅治尾野真千子)の一人息子が私立の小学校に入学した直後に、前橋の病院からの連絡で取り違えが発覚する。相手の家族は前橋で電気屋を営む斎木夫婦(リリー・フランキー真木よう子)とその三人の子供らであった。
 病院に対する訴訟と並行して、二家族は今まで育ててきた子を育てていくか、血の繋がった家族に戻すかどうかの選択を迫られる。判断の材料とするために親子交流が開始される。過去の事例では、血の繋がっている子供を選ぶことがほとんどであるという説明を受けても、野々宮家の父は今まで育ててきた子を渡そうとはせず、斎木家の父に対する階級的・人格的な嫌悪感をあらわにする。
 はじめは立派な父親のようにみえた福山雅治が、次第にエリート的ないやらしさを露呈していくが、母親や子供達、そして見下していたはずのリリー・フランキーとの交流によって、父親とは何かについて自省を深めていく。

3・是枝裕和『歩いても 歩いても』(2008)
 ある夏の日、恭平(原田芳雄)ととし子(樹木希林)の老夫婦の家に、海難救助のために亡くなった長男の命日に合わせ、娘(YOU)と次男(阿部寛)がそれぞれの家族を連れて帰省する。父の恭平は医院を辞めたが、なお診察室で日中を過ごしている。父と反りが合わない次男は、再婚したばかりの子連れの妻(夏川結衣)の紹介のために渋々帰ってきていた。
 『誰も知らない』や『そして父になる』とは異なり、普通の家族を描いている。それだけに何気ない言動から時折露出する個人の本音が棘のように刺さる。
 
4・黒沢清(1955-)『CURE』(1997)
 
 普通のホラー映画は心臓に負担を強いるだけだが、黒沢清のホラー映画、特に『CURE』は脳髄を蝕んでいく。
『CURE』の冒頭の数分は全てが異常である。とある精神科の診察室のシーンから始まるが、椅子といい、人物配置といい、あらゆる構図が異様な雰囲気を醸し出している。本を読んでいた患者と医師とが青髭伝説に関して謎めいた話を交わした後に、メルヘン調の音楽が流れ始め、中年の男が歩く姿が映される。男は隧道に入ってパイプをもぎ取り、明滅する隧道の灯りがクローズアップされる。場面は暗いホテルの一室に移り、部屋を歩き廻っていた男が不意にパイプを握ってベッド上の女を殴打する。風呂場に移り、激しいシャワーの音とともに男の激しい動きのシルエットが見える浴槽から鮮血が滴り落ち、最後に煌々と赤いサイレンを鳴らしながら気怠げにパトカーを運転する役所広司の顔が映る。目まぐるしく変わるシーンと明暗とが強烈な印象を残す。
 頸元にXの切り傷をつける猟奇殺人事件が連続して発生する。それぞれの犯人は容易に特定できたものの、誰も自分の犯行動機を説明できなかった。不審に感じた高部(役所広司)が捜査を開始し、実行犯達が犯行の直前にとある男と会っていたこと気づく。催眠や動物磁気といったオカルティズム的概念を映像に結実させ、観ている者の頭をも狂わせていく。

5・黒沢清トウキョウソナタ』(2008、オランダ・香港と合作)

 タイトルやオープニングシーン、物語展開からして、エドワード・ヤンの『台北ストーリー』(1985、台湾)との関連が明らかである(と思うのだが、『台北ストーリー』が日本で一般上映されたのは2017年なので、黒沢清が実際にどこかで観ていたのかどうかはよくわからない)。
 一流メーカーの人事に勤めていた竜平(香川照之)は、人員削減の煽りを受けて会社を解雇される。家族には会社に行くふりをしてハローワークに通うが、プライドが邪魔をして苦戦する。一方で、大学生の長男は日本での生活に疑問を感じ、頼りない父のようになりたくないと、竜平の反対を押し切り米軍の外国人部隊に志願し中東戦線へ赴く。そして小学生の次男は母(小泉今日子)からもらっている給食費を、隠れて通っているピアノ教室の月謝にあてている。ピアノ教室の先生から音大附属校受験を薦められるが父から反対される。
 平成の不況下における父性の崩壊と家族の解体を描く。ありきたりの家族をリアリズム的に描いていても、やはり黒沢映画は怖い。
 
6・黒沢清クリーピー 偽りの隣人』(2016)
 原作は日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞した前川裕の『クリーピー』(光文社文庫)。北九州連続殺人事件を題材にしたとされる。
 刑事を辞職した高倉(西島英俊)は大学の犯罪心理学の教授となり、妻(竹内結子)とともに郊外の一軒家に引っ越してくるが、その隣人である西野(香川照之)の言動の端々を不審に感じる。
 警察からは身を引いていた高倉であったが、部下であった野上(東出昌大)から未解決の一家失踪事件の調査を頼まれ、修学旅行に行っていたため一人残された長女(川口春奈)の曖昧な記憶を引き出すカウンセリングを引き受ける。その捜査の最中、事件があった家と、自分の家との構図が奇妙に一致していることに気付く。
 日常的な風景が、ヒッチコック的な隣人恐怖を媒介にして、次第に黒沢清特有の異常な構図に侵食されていくのがたまらない。
 

7・黒沢清散歩する侵略者』(2017)
 劇団イキウメの前川知大脚本の舞台の映画化。
鳴海(長澤まさみ)は喧嘩中に突然失踪した夫(松田龍平)を病院に迎えにいったが、様子がおかしい。自分は夫の身体を乗っ取った宇宙からの侵略者であり、地球人の頭にある概念を盗んで学習しているのだという。鳴海は夫の言動に戸惑いながらも、失踪前よりも優しくなった夫に心を惹かれていかざるを得ない。街には他の侵略者が密かに乗り込んでおり、ガラの悪いゴシップ記者(長谷川博巳)がこの異変を追っている。
 生物学的恐怖を醸し出しながら、社会批判とロマンスをユーモラスに展開している。

8・鈴木清順(1923-2017)『ツィゴイネルワイゼン』(1980)
 内田百閒の短篇小説『サラサーテの盤』などが原作。百閒の文章とはまた違う清順美学で貫かれている。
 士官学校の獨逸語教授の青地(藤田敏八)は、元同僚で流浪の生活を送っている中砂(原田芳雄)から、1904年録音のサラサーテ演奏の「ツィゴイネルワイゼン」のレコードを聴かされる。途中でサラサーテの声が混じっており、何を喋っているのかを教えて欲しいというのだが、青地にも聞き取れない。この聞き取れないサラサーテの声のように、青地夫妻と中砂の遺族をめぐる物語は意味が不明瞭なままに進んでいく。意味は曖昧ながらも絢爛たる映像が、微妙な差異を伴いながら地獄のように反覆される。

9・深作欣二(1930-2003)『やくざの墓場 くちなしの花』(1976)
県警対組織暴力』(1975)における暴力団と警察の癒着というテーマを哀切に反復している。脚本は『仁義なき戦い』の笠原和夫
 激化する暴力団抗争を食い止めるため、喧嘩っ早いマル暴刑事の黒岩(渡哲也)が暴力的な阻止を試みるが、次第に片方の組に肩入れするようになる。スタンドプレイで抗争に介入する黒岩は、警察上部から疎まれ、薬物に溺れていく。
 大島渚が警察の本部長役で特別出演しており、当たり障りのないことを棒読みしているのも見どころ。

10・周防正行(1956-)『ファンシイダンス』(1989)
 周防正行が熱狂的な小津安二郎マニアであることはよく知られているが、商業映画デビュー作である『ファンシイダンス』は(大杉漣笠智衆の物真似に徹したあの怪作は除くとすると)最も小津の影響が色濃い。
 実家の寺を継がなければならない陽平(元木雅弘)は、バブル絶頂期の大学生活から離れ、お寺に修行に赴くこととなった。陽平が諸々の慾望を断ち切れず戒律を破っていくというコメディであるとともに、綿密な寺院修行のドキュメンタリーである。原作は岡野玲子の漫画『ファンシィダンス』(小学館文庫)。